昨夜、アパートに戻って、ソファーで本を読んでいました。
そのとき妻の携帯電話が鳴りました。どうやら親族からのようです。ところがしばらくすると、妻が泣きだしたのです。
何ごとが起こったのか?
激しく泣く妻を横に、私は電話が終わるのを待っていました。
ひとしきり泣いて電話を切った妻は、おもむろに私に言いました。
「お姉さんの父親が死んだの。私、すぐに田舎に帰りたい。」
もう夜9時を過ぎています。これから帰るとすれば、翌日の飛行機しかありません。
私はスマホを使って飛行機の時間を探します。
朝、7時台のがありました。その次は12時台です。妻は、7時台のに乗ると言います。
もうネットでの予約はできないので、翌朝、空港へ行ってチケットを買うことにしました。
「あなた、送って行ってくれるの?」
私は、「もちろんだよ」とばかりにうなずきました。
しかし、私の頭の中では、様々な思いがあったのです。
「飛行機か。また5千バーツくらいかかるのかなあ。痛い出費だなあ。」
「まあでも、こういうときの余裕として貯金しているんだから、思い切って使わなかった意味がないよね。」
「私は行かなくていいんだろうか?」
「お姉さんて言ってるけど、実の姉妹じゃないから、きっと従姉妹なんだろうなあ。」
「従姉妹の父親だとすると、おじさんじゃないか。でも、妻の両親の実の兄弟じゃないよね。」
「まあわからないけど、妻が催促しないんだから、私が行かなくても問題ないんだろう。結婚式で会ったかもしれないけど、まったく覚えていないし。」
「できれば仕事は休みたくないからなあ。葬式は3日から7日くらいあるだろうから、そんなには付き合えないし。」
「それにしても4時起きか。大変だなあ。まあ、ゴルフのことを考えれば同じか。」
薄情で打算的のように感じられるかもしれません。けれど、これが実際に私が考えたことです。
私もまだ、現実に翻弄される部分はあるのです。
「お金がもったいないなあ。使わないで済む方法がないだろうか?」
反射的に考えてしまいます。
しかしよく考えると、これは不安から来る考えです。
もし充分にお金があるとわかっていれば、そんなことは考えないでしょうから。
ですからもう一度、冷静になって考えるのです。
「待てよ。たかだか5千バーツ(約1.5万円)じゃないか。それで妻が喜ぶのなら、価値ある使い方じゃないか。」
「お金は使うためにあるんだよ。そうそう、今読んでいる日木流奈(ひき・るな)くんの本にも、お金は代価、代わりのものだとあったよなあ。」
「そんなものを惜しんで、本来の価値があるものを失ったら、それこそ本末転倒だよ。」
こんな感じで、自分で自分を説得するのです。
と言うことで、今朝は4時起きでした。
準備をしてから空港に向かい、航空会社のカウンターでチケットを購入しました。
チケット代は、片道2千バーツ程度で済みましたが、妻に2千バーツ取られました。往復のタクシー代を考えると、やはり約5千バーツの出費です。
妻はすぐにチェックインし、搭乗ゲートに向かいます。私はそれを見送って、タクシーでオフィスまでやってきたと言うわけです。
ですから今朝は6時過ぎにはオフィスに入り、今日の打ち合わせの準備を済ませ、このブログを書いているということなのです。
たまには、こういう日があってもいいよね。
2013年07月24日
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