「反省しなさい」「反省が足りない」などと、よく言われたものです。
そう言って叱られるたびに、心の中には嫌な気分がありました。
頭では、謝らなければいけないと思う。けれども、それを受け入れることを心が許さないのです。
以前に「非難することの目的」にも書きましたけど、「神との対話」シリーズでは罪悪感と反省は違うと言っています。
「罪悪感は無意味だ。反省とは違う。反省とは自分がしたことがまずかったと思い、もう二度としないぞと思う気持ちだ。罪悪感はわたしたちを非難し、何をしようとも決して赦(ゆる)されないぞとおどす。反省は力を与えてくれるが、罪悪感は麻痺させて動きがとれなくしてしまう。」
これからすると、罪悪感を抱いたり抱かせたりすることは役に立たないけれど、反省させたり反省することは役立つことになります。
でも私は、「何かちょっと違うな」という気持ちがありました。
それは、言葉の定義です。
たしかに「神との対話」で書かれているように、罪悪感と反省という言葉を対比させて用いるときは、その説明のとおりだと思います。
反省というのは言葉のとおりに、自分の考えや行いを振り返って、どうすればもっと上手く行っただろう(=自分らしかっただろう)と、自分に尋ねてみることだからです。
しかし実際に私たちが遭遇する場面では、記事の最初に示したように、ある意味で恫喝的な言葉として使われます。
そこで言うところの「反省」とは、まさに「罪悪感」そのものを示しているのです。
「反省が足りない」ということを言う人は、相手が恐縮して罪悪感を抱いていないことに対して腹を立て、何とか罪悪感を抱かせようとしています。
「反省しなさい」と言って怒る人は、相手がうつむいて「ごめんなさい」と謝罪することを求めています。
以前、「なぜ謝罪を求めるのだろう?」という記事にも書いたように、それでは本当の意味で相手に反省させることはできません。
同じ「反省」という言葉を使っていても、その意味するところが違うように思うのです。
そんなことを考えていたとき、ふと思いついた言葉がありました。
それは「観察」です。
反省ではなく、観察した方が良いと思いついたのです。
観察とは、ある事象がどうして起こるのかを詳細に見ることです。ものごとの理屈を知ろうとすることです。
「神との対話」で言っている反省とは、まさに観察そのものではないでしょうか?
何かやったときに、上手く行かなかったのです。では、上手く行かせるにはどうすればよいか?
上手く行かなかった事象を、たんねんに調べてみることです。すでに起こったことを思い返しながら、そのときの心の動きを観察するのです。
実は最近、仕事上のことで非常に苛立つ(いらだつ)ことがありました。
私はもともと短気な性格だと思っていますが、そのときもある報告を見て、思わず声を発してしまったのです。
「何やってんだよー!こんなことしたら意味がないじゃないか!」
そしてそれを上司に報告し、どう対応するかを相談しました。
ところが、私が苛立つ理由を一所懸命に説明するのですが、どうも上司の反応が悪いのです。私の言葉が相手の心に届かない。そんな感じがします。
そうなると私は、さらに必死になって自分の理屈を説明しようとします。
そのときの私の気分は、正直に言って良くありません。
しかし、後で冷静になって考えてみたのです。
私は非常に苛立ったのに、上司はそうでもなかった。同じ事象を見ているはずなのに、その反応には大きな違いがあった。
だとしたら、私の中で感じていた苛立ちは、私固有の問題ではないだろうか?
そう言えば私は、同じようなケースで苛立つことがある気がする。そのケースを分析してみたら、苛立ちの原因がわかるのではないだろうか?
そんなことを考えてみたのです。
もしこのとき、反省することをしたら、どうなったでしょう?
反省するのは、私が苛立ったことに対する反省です。つまり、「苛立つこと」=「悪いこと」だから、それをやめるためにどうするかを考えるのです。
そうすると、多くの場合は相手のせいにします。自己正当化するのです。
そしてせいぜい、自分にも少しは非があったと認めるくらいで終わります。
これではまったく反省になっていません。ですから、同じような事象が起これば、また同じように反応するでしょう。
せいぜい、爆発しないように我慢する力が強くなる程度でしょうか。
これでは何も進歩していません。我慢するというのは、否定的な感情のエネルギーを解放せず、内に溜めておくだけのことですから。
これをストレスと呼びますが、ストレスが溜まればいつかは爆発します。
消えてなくなりはしないのです。解決を先延ばししているだけです。
そんなことがあったので私は、「反省」という言葉も使い方を誤らないようにしなければと思ったのです。
それならむしろ、反省ではなく観察と言った方が良いと思います。
たとえば子どもが何かいたずらをしたとき、以前なら「反省しなさい」と言ってしかる場合でも、「観察してみたらどう?」と言って解決方法を示してあげられます。
どうして上手くいかなかったのか?今度はどうすれば上手くいくのか?
その答を見つけない限り、何も解決しないし、何も進歩しないのですから。
2013年07月06日
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