タイで暮らして12年になりますが、よく「よほどタイが気に入られたのですね」とか、「タイはそんなに良いところですか?」などと言われることがあります。
一瞬、何と答えようか言葉に詰まってしまいます。
そして、自分の記憶にある様々な思いが、心を駆け巡るのです。
私がタイに来たのは、仕事のためでした。タイ語はもちろん、英語もからきしダメという私は、タイ人の通訳についてもらって、何とか仕事をしたのです。
そのころには、次のように感じていました。
「タイは、遊びに来るなら良いところだけれど、仕事をするのは大変だよね。」
遊びだと良いのは、日常生活が精神的にも経済的にも楽だからです。
たとえば、タイ人から反日感情を感じたことは、これまでまったくありません。
旅行で韓国に行ったときは、その短い2〜3日の間でさえ、「日本人は嫌いだ」という対応をされたことがありましたから、この差は大違いです。
やはり、最初から受け入れてもらっていると感じられるのと、そうでないのとでは、精神的に随分と違うでしょう。
また私が暮らすバンコクは外国人が多いため、タイ人が外国人慣れしているという理由もあります。
それもあって、外国人である私がすんなりと受け入れられているのでしょう。
しかも物価が安い。都内の移動にタクシーを使っても、だいたい120円程度で済みましたから、日本だと電車の初乗りほどでした。
食べ物も、無理に屋台などで食べなくても、サービスアパートのレストランとか、オフィスビルのキャンティーン(社員食堂みたいな場所)などを利用することで、1日300円程度に抑えられました。
最初は日本での生活のようにケチケチしていた私ですが、先輩から「もっとタイの経済に貢献したらどう?」と言われ、徐々に考え方を改めていくことになりました。
タイ人の金持ちは、自分でできることでもあえて自分ではやらないんですよね。
メイドさんや運転手さん、警備員などを雇って仕事をさせるのです。
最初の頃は「同じ人間を差別するようで嫌だ」と感じていたのですが、でも、そうすることで学歴のない貧しい人でも生活できているという現実があります。
差別するのが嫌だからと言って、メイドの仕事や運転手の仕事を奪ってしまうと、彼らは仕事がなくなります。
ですから、彼らに仕事をしてもらってお金を払うことが、彼らと共に生きることになるのです。
そういうことを感じるようになって、積極的にお金を使うようになりました。
屋台で串焼きを買う時も、自分用に1本2本とケチケチ買うのではなく、10本20本とまとめて買って、他の人に分けてあげれば良いのです。
「こんなの買ってあげても、いらないと思う人もいるだろうしなあ。」
なんていう心配もありましたが、酔った勢いで買って帰り、アパートの守衛さんにあげたことも何度かあります。
また、カラオケ・スナックで働いていた女の子(田舎から出てきた20歳くらいの女性)と親しくなったので、メイドとして働いてもらったこともあります。
週に3日、部屋の掃除と洗濯をお願いして、約1万円を給料として払いました。
日本にいたときは忙しくて、「月に2回1万円で掃除をしてくれる人がいないかなぁ」などと思っていたのですが、タイではそれがいとも簡単に手に入ったのです。
そういう日常の生活では、自分が急に金持ちになった気分がして、気持が良かったのです。
金持ちの感覚というのは、自分が力強くなったとか、大きくなったという感覚に近いです。パワーアップした自分です。
自分にパワーがあると感じることは、人にとって喜びなのですね。
ですから、タイで暮らすことそのものは、楽しく感じたのです。
しかし一方で、仕事は大変でした。
言葉の問題もありますが、それ以上に文化の違いが大きいのです。
一言で言うなら、タイ人はあまり合理性がない文化を持っています。
たとえて言うなら、ある目的地に向かう場合に、日本人だったら何も言わなくても最短経路を選択するでしょう。あるいは、もっとも経済的なルートです。
そこには、合理的な理由で選択するという思考があるのです。
ところがタイ人は、多くの場合にそれがありません。
ですからタクシーに乗った時など、「わざと遠回りされてボラれちゃったよ」と言う日本人がいますが、あれは間違いです。
タイ人の運転手からすれば、ただその道を知っているからという理由で、その遠回りの道を選択しただけかもしれないのです。
わざと遠回りをして多めに料金をもらおうなどという計算ができるタイ人は、ほとんどいないと言って良いと思います。
こういう文化の違いがどうして問題になるかと言うと、日本人が「こうするのが当然でしょう」と思うことを、タイ人は当然とは思っていないからです。
そのため、依頼したことが思い通りにならないと、「どうしてそうなるの?普通こうでしょう?」と言いたくなるのです。
たとえば、家を建てるところを見ると面白いですよ。
基礎を作って柱を立てるのは良いのですが、そのあとで床にタイルを敷いたりします。
「えっ、まだ壁や天井ができてないのに。ペンキで汚れちゃうじゃないの?」
日本人だったら当然のように、こうした段取りを考えます。そして、なるべく無駄のないように、効率的な順番で作業をするでしょう。
けれどもタイ人は違います。思いついたところからやるのです。やって上手くいかなかったら修正するのです。
案の定、新しい床のタイルは、天井や壁に塗ったペンキなどで汚れてしまいます。
そのあとを一所懸命にきれいしにしていますが、日本人からすれば無駄な作業ですよね。
「だから言わないこっちゃない。そうなることは見え見えじゃないの?少しは頭を使ったら?」
そう罵倒したくなるのですが、この感覚の違いは大きいですね。
こんな感じですから、納期など守られるはずがありません。約束など、半分は忘れています。
こういう文化を持つタイ人と一緒に仕事をすると、ストレスが溜まりますよ。私も、何度もキレそうになりました。(笑)
そのうち、自分の身を守るようになります。
ストレスが溜まって苦しむのは自分ですから、最初からストレスが溜まらないように予防するのです。
たとえば、「どうせ期日なんて守られない」と考えて、余裕を持って仕事を依頼するとか、複数の仕事をいっぺんに依頼しても忘れるだろうからと、非効率でも1つひとつ仕事を依頼するなど、やり方が変わってきます。
そして、効率的だとか時間を守るという価値観を重視しなくなります。
それらを重視するから、タイ人の対応に腹が立つのです。ですから重視しないことによって、自分の身を守るのです。
これを俗に「タイ(退)化する」と言っています。
3年もタイで仕事をすると、日本に戻ってから3ヶ月くらいのリハビリ期間が必要だと言われるほど、価値観が変わってしまうのです。
5年以上いると、日本では使い物にならないとさえ言われます。おそらく私も、そうなのでしょう。(笑)
タイの社会に完全に埋没してしまえば、「タイ(退)化」しても問題はありません。
しかし、日本の企業から出向で来ている人は、日本とのやりとりが日常的に発生します。
すると、日本からは「どうしてこれができないんだ!?」と責められることになります。日本の常識からすれば、できて当たり前だからです。
できない理由はありません。でも、タイ人を使ってやらなければならない状況では、それは簡単なことではないのです。
そのため、「だってここはタイだから」という、まったく理由として成立しないような理由を言うしかなくなるのです。
そしてあまりに責められて頭にくると、「だったらお前がここに来てやってみろよ!やってみたら、どれだけ大変かわかるからさ。」とキレることになるのです。
私の場合は幸いにも、日本側との接点が少なくなってきています。意図的に少なくしてきたとも言えますけど。
そのため今では、以前ほどはストレスを感じないでいられます。
それでも時には、価値観の違いに直面させられて、イライラしてしまうことはあります。
でもそれを、いろいろなことを気づかせてくれるチャンス(機会)なのだと考えるようにしています。
実際、そんな非効率で合理性があまりないタイ人でも、最終的にはみごとなものを作ったりしています。
あるいは任せた仕事を、与えた納期に間に合わないとしても、こちらが設定しているぎりぎりの期限には間に合わせてくるのです。
ですから、彼らのやり方でも、最終的には80%以上、いや90%以上はちゃんとできているのです。
残りの10%くらいの精度を上げようとして、日本人は命を削るが如く必死になっているとも言えます。
「概ね上手くいっているのに、わずかなことまで完璧にしようとして、あくせくしてイライラするのは、本当に人間らしいことなのだろうか?」
そう考えるようになってから、だんだんと心が自由になってきたように思います。
私は完全主義者の典型でしたから、タイ人の生き方には、「こんな生き方でも許されるんだ」という驚きとともに、解放感を感じました。
いいかげんな生き方をしているようで、それが実はちょうど良い加減なのかもしれない。
自分の生き方を別の視点からながめてみることで、他の選択肢もあることが見えてきたのです。
2013年06月28日
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