2013年06月21日

映画「ワールド・ウォー Z」を観ました(ネタバレ注意)

昨夜は、例によって妻と映画デートでした。

これまでも「バットマン」「ピー・マーク・プラカノン」などを観て、その感想を書いてきましたが、今回はブラッド・ピットが主演の映画「WORLD WAR Z」です。

日本では、8月10日全国拡大ロードショーとなってますね。全米公開が6月21日となってましたが、タイではそれより前に公開されたってことですかね。

本当は別の映画(スーパーマン)を観たかったのですが、良い席が売り切れだったので、仕方なくこちらにしました。ブラピのファンには申し訳ありませんけど。

けれど、こちらもほぼ満席状態でした。あとで調べてみると、かなり期待されてる映画のようですね。


さて、その映画の感想を書きたいのですが、どうしても一部ネタバレになってしまいます。

これから映画を観て楽しみたい方で、ネタバレは嫌だという方は、以下をスルーしてください。

 

ストーリーをかいつまんで説明すると、以下の通りです。(ネタバレ注意)

謎のウィルスに感染した人がゾンビみたいになって他の人を襲い、噛まれた人は感染して同じくゾンビのようになっていきます。

その勢いが凄まじく、次から次へと感染が拡大して行くのです。

そこに立ち向かうのが主人公のジェリー(ブラッド・ピット)です。

最終的には、ジェリーが感染を抑える(正確にはちょっと違いますが)ワクチンを入手し、それによって人々が救われるのです。


 

映画そのものは、とてもよくできていると思います。特に最初にゾンビが現れるシーンは、見ている自分まで逃げ場のない恐怖のどん底に突き落とされたような気になりました。

ただ映画の最後の場面で、私は違和感を覚えました。

感染してゾンビ化した人々を、次から次へと殺して行きます。まるでゴミか不要物であるかのように。

音でスタジアムにおびき寄せたところへミサイルを打ち込む。火炎放射器で焼き殺す。死体をブルドーザーで始末する。

まるで後片付けでもするかのように、大量に発生したゾンビを駆逐していくのです。



聖書にある最終戦争がモチーフなのでしょう。

世界は神の側とサタン(悪魔)の側に分かれて大戦争を行い、天使ミカエルに率いられた神の軍団がサタンの軍団を討ち滅ぼす。

だから容赦の無い殺戮が正義の行いとして称賛されるのです。


しかし、その光景を見て、私の心に喜びとか快感はありませんでした。

「あなたの親が、子どもが、恋人が、あの中にいるかもしれないのですよ?それで平気なのですか?」

そう問いかけたくなったのです。


実際、映画のストーリーでも、それを示唆する内容がありました。

ジェリーの家族はゾンビたちから逃れようとして、ある男の子とその両親の家に逃げ込みます。

しかし、いつまでもそこにいるわけにも行かず、ジェリーたちは脱出を試みます。

ビルの屋上まで逃げたとき、あの男の子が逃げてきて合流しました。

ジェリーは男の子を連れてヘリで逃げますが、その途中で何人かのゾンビを殺します。

その中に、その男の子のお父さんがいました。そしてお母さんも。

男の子にとってみれば、両親を目の前で殺されたのと同じです。



そんなシーンがありながら、どうして最後のシーンが、まるで邪魔者であるかのようにゾンビを皆殺しにするのでしょう?

感染を防ぐワクチンでさえ作れたのなら、ゾンビ化した人々を治す薬だって、何とかなるのではありませんか?

涙ひとつ見せず、自分の家族が助かったら、それでOKなのですか?あなたはそれで平気なのですか?

私の心には、そういう怒りを伴う問いかけが満ちていたのです。

 

もちろんこれは、映画の話です。

映画そのものにケチをつけるつもりはありません。

ただ私はこの映画によって、自分の中にはこういうストーリーに違和感を感じ、こういう結末は嫌だという思いがあることが明確になったように感じました。

手塚治虫さん「海のトリトン」で示されたのは、どちらが善でどちらが悪かわからない世界でした。

ただ戦うことの虚しさだけが残るのです。


神が愛だと言うなら、どうしてサタン(悪魔)を抱きしめないのか?

サタンを癒すことさえできなくて、どうして愛が勝利できるというのか?


最終戦争の話には、疑問を感じざるを得ません。最終的にすべてが滅べば良いのなら、そういう選択肢もあるのでしょうけど。

 

さて、あなたはこの映画を観て、どんなふうに思われるでしょうか。

いやー映画って、本当にいいもんですね。(水野晴郎ふうに)
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 15:23 | Comment(28) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
まだ 公開とか 全然前 なんで 当然 観てないのですが

気になったので story を 検索 してたら ここに 着ちゃいました。


結論 は 観ません。

CG なんですが 人を あの様に 表現 されると どうも・・・ あれは 絶対間違い です

怒りも・・ 気分 悪いです


表現の 自由 ですけどね


Posted by 80srockyrock2 at 2013年07月10日 12:19
> 80srockyrock2さん

コメント、ありがとうございます。
映像は予告編か何かで見られたのでしょうね。

> 怒りも・・ 気分 悪いです

その気持ち、大切にしてくださいね。
それが良いかどうかではなく、自分がそういう気持ちを抱いたということは、間違いのない事実ですから。

そしてその気持ち(つまり自分自身)を大切にできたら、そうさせてくれたのは、あの映像とも言えるわけですよね。
つまり、あの映像があったから、自分自身を知り、大切にすることができた。
それは、ありがたいことではないでしょうか?


私も、表現の自由を尊重したいと思います。
問題は、それによって自分が何を知り、何を大事にするかということだと思うのです。

そういうことを、一人ひとりの人が考えるようになると、世の中って良くなるような気がしませんか?
私は、そう思っています。
Posted by 赤木 (幸せ実践塾塾長) at 2013年07月10日 13:16
うーん、もちろん映画の世界ですが、実際それが現実ならそんな余裕はないと言い切れる。

自分が兵士なら間違いなく容赦しないでしょう。
Posted by at 2013年07月18日 19:08
> 匿名さん

コメント、ありがとうございます。

まさにそこですね。
現実ならどうするか?

その思いの結果が今の世の中だというのが、私の考え方ですし、このブログで紹介しているような本に書かれていることなのです。

もちろん、どう考えるかは人それぞれですよ。


それと、どう行動するかということと、どう考えるかということは、必ずしも一致しません。
たとえば同じ誰かを殺すという行動であっても、憎しみを抱いて行動することもできるし、無念さを味わいながら行動することもできます。


そして、私が上記に指摘した点は、すでに無害になったゾンビを容赦なく殺している、ということに対してです。
無害にするワクチンでさえ作れたなら、元の人間に戻す薬を開発するという発想があっても良さそうなもの。
もちろん、それが開発されるまでに何かあって有害になる可能性もあるので、殺すことが現実的には最善かもしれませんよ。
でも、私には忍びないのです。


そういうことも含めて、何かを考えるきっかけになったのでしたら、幸いなことだと思います。
Posted by 赤木 (幸せ実践塾塾長) at 2013年07月18日 20:40
ゾンビが出てくる映画でゾンビを殺さない映画は見たことがありません
ゾンビを捕まえて治す薬を作る?www
何か疲れそうな性格してますねw
Posted by 笑 at 2013年07月27日 07:32
> 笑さん

コメントをありがとうございます。
何をどう考えるかは、人それぞれですからね。

ただ残念ながら私は、まったく疲れませんよ。
それは、誰か他の人を変えたいとは思わないからです。

人はそれぞれですし、他人を変えることはできませんから。
Posted by 赤木 (幸せ実践塾塾長) at 2013年07月27日 20:49
コメントの返しといい色々感想はありますが
ゾンビの処理方法についてはなんともおもいませんね
この最後見てかわいそうとか複雑とかいうのは
ただの偽善、それも最悪の
平和ボケもここにきわまれりと言った感想しかないですね

自分の親しい人がゾンビのまま処理されずに野放しのままとか真っ平ごめんですなあ
Posted by at 2013年08月01日 08:38
> 匿名さん

コメントをありがとうございます。

どう思われるかは、人それぞれですよ。
私の考え方に対して「偽善」「最悪の平和ボケ」と批判されるのも、それもまたその人の自由。
価値観、考え方は人それぞれです。

そして、その人がそう考えることによって、その人自身を創っているのであって、私がそれを受け入れない限り、私には何の関係もないことです。

と言うようなことを、このブログでは書いているのですけどね。


> 自分の親しい人がゾンビのまま処理されずに野放しのままとか真っ平ごめんですなあ

それは私も同感ですね。
私は、何とかする方法があるのではないか、と思ったので、そう感想を書きました。
そのまま放っておけば良いとは思いませんでしたから。

何とかできるだろうし、もしどうにもならないのだとしても、殺すことに何とも感じないとか、それをゲームであるかのように楽しむという感覚は、嫌だなと思うのです。
つまり、そういうのは私らしくない、と思うのです。
 

ま、これも私の考え方ですからね。
他の誰かに押し付けるつもりもないし、私の考え方が素晴らしいのだとか、正しいとか、一番優れているなどと言うつもりもありません。
1つの考え方にすぎない。それだけですよ。
Posted by 赤木 (幸せ実践塾塾長) at 2013年08月01日 11:21
そんな綺麗事言える大人が社会で生きていけるのか
ちょろいもんだな

そもそもそんな簡単にワクチンが誰の家でも手に入ると思うのか世界規模でウイルスが広まっているのに?
誰がワクチンをもってくるように頼めるんだ?自分たちしかいないだろ 自分がゾンビになったら元も子もないだろ
現実的に考えるっていうのはそういうことだよ
Posted by at 2013年08月02日 13:51
> 匿名さん

コメントをありがとうございます。

考え方は人それぞれですから、私は匿名さんのような考え方も、もちろんアリだと思います。
ところで匿名さんは、もう映画をご覧になられたのでしょうか?
もしまだでしたら、ぜひご覧になられてくださいね。
自分で観て、どう感じるか。それが重要なことだと思いますので。


★単なる誹謗中傷でないコメントは、それが反論であろうと掲載させていただいています。
しかし、お名前がないコメントが増えてきて、それをいちいち「匿名さん」とお呼びするのも嫌なので、今後はお名前のないコメントは、掲載しない場合がありますのでご了承ください。
また、コメントの内容が同じで、私の返答が同じようなものになってしまう場合も、掲載しないことがあります。
合わせてご了承ください。
Posted by 赤木 (幸せ実践塾塾長) at 2013年08月02日 15:42
ワクチンというのはウイルスに感染しなくなるのではなく、だた存在をカムフラージュするだけのものだったと思います。
また、WHOのくだりでゾンビは死んでいて内蔵が働いていないからウイルスが効かないという説明があったのでゾンビはすでに死んでいます。なので、いくらゾンビを治そうとしたところで死んだものは生き返りません。
だから、人類の文明を再構築するにあたってゾンビを駆逐するのは、当然のことだと思います。
Posted by 川島 at 2013年08月03日 03:30
> 川島さん

コメント、ありがとうございます。
ワクチンについての正確な説明もしてくださって、感謝です。

川島さんが後半に説明された内容ですが、私はほとんどわかってませんでした。
この記事では書いてなかったかもしれませんが、私はほとんど英語がわからないのですよ。
他の映画関係の記事では書いてますけど。

なるほど、そんなことが言われていたのですね。
教えてくださって、ありがとうございます。

私も、それを知った上で観ていれば、少しは感じ方が変わったかもしれませんね。


川島さんは、「ゾンビはすでに死んでいるのだから、駆逐するのは当然」と感じられたのですね。

それも1つの見方だと思います。
人それぞれに見方がありますから、それを否定するつもりはありませんよ。

ただ、見方は他にもあると思います。
どれかが絶対的に正しいわけではなく、1つの見方がそれぞれにあるだけだと。


たとえば脳死の患者が動くことがあります。
それを見て、家族は「まだ生きている」と考え、助かる可能性があると思うかもしれません。
しかし医学的には、脳死になったら助からない、というか、その時点で死んでいると考える学者もいるでしょう。
その学説を家族が受け入れられないことがあっても、私は不思議ではないと思います。


この映画を観て、私が「違和感を覚えた」のであって、他の人も違和感を覚えるべきと言っているわけではありません。
それぞれの方が、それぞれ感じたいように感じる。
それで良いのではないでしょうか。

それぞれに違った見方ができるからこそ、私は楽しいと思うのです。
Posted by 赤木 (幸せ実践塾塾長) at 2013年08月03日 15:18
初めまして。
これは娯楽映画なのですから、もっと気楽に観ても良いと思いますよ。
あまり、肩肘張らずに…

私からすると「ゾンビを容赦なく始末するなんてあんまりだ」というのも「現実的にはそうするしかないだろ」というのも、どちらも正しい感性だと思います。

ワクチンについてですが、やはり赤木様に事実誤認があり、映画の設定では、あれは噛まれてもゾンビ化しなくなるのではなく「ゾンビに襲われなくなる」という効果です。ですので、現実的にはすでにゾンビになった者をどうにかできるかといえば、どうにもならないとなってしまう。
言ってしまえば、すべては主人公を生き延びさせラストでゾンビを容赦なくシマツするための「ご都合主義」です。こういってはなんですが、ゾンビ映画なんて、そんなものですよ。シリアスなドラマではないのですから。

まぁいろいろ深く考えると、この話はいわゆる聖書の「最終戦争」をモチーフにしているんだろうなとか、エルサレムの描写は現実の民族紛争を皮肉っているのだろうか、とか…あるいはウイルス発生源であるはずの中国に全く触れられないのは、やはり中国映画市場への配慮か…など、たくさん考えてしまいますけれど。
かくいう私も、映画の進行上、無関係な人物が無意味に酷い目に遭ったりすると、それだけで気分が悪くなってしまくらい繊細な男です(笑)
なのでこの手のパニック映画を観るときは、あえて頭をカラッポにして観ることにしています。そうでないと楽しめませんから…
Posted by Coptic_Light at 2013年08月04日 04:47
> Coptic_Lightさん

コメントをありがとうございます。

Coptic_Lightさんがおっしゃるように、「娯楽映画なのですから、もっと気楽に観ても良い」というのも、もちろん1つの見方ですから、私は否定しませんよ。

そのことについては、Coptic_Lightさん自身が「どちらも正しい感性だ」と書かれているので、おわかりなのでしょう。

これまでのコメントにも書いてある通り、この映画を観て、誰がどう感じようと自由です。
それが私がいつも申し上げていることですから。


> 現実的にはすでにゾンビになった者をどうにかできるかといえば、どうにもならないとなってしまう

と、Coptic_Lightさんは考えられるのですよね。
それもまた、1つの見方ですから、私は否定しませんよ。

ただ私は、わずかでも可能性があるならということを考えるし、仮に殺さなくてはならないとしても、何とかできないのかという忸怩(じくじ)たる思いを持つと考えるのです。

そういうように考える自分であることを、この映画を観て気づいた、ということが、このブログ記事の趣旨です。


> なのでこの手のパニック映画を観るときは、あえて頭をカラッポにして観ることにしています。そうでないと楽しめませんから…

それも1つの方法ですね。良い方法だと思います。
どうぞ、映画を楽しんでご覧ください。
Posted by 赤木 (幸せ実践塾塾長) at 2013年08月05日 11:18
初めまして、自分R34と言います。

自分意外とゾンビ系の映画が好きでよく見ているのですがこの記事を読んで自分が思ったことなのですが、まだこの映画を見た訳ではありませんが、この映画のラストのシーンの所でゾンビを次々と殺しているという所で、勿論その中に家族や恋人が居て、最悪殺してしまうかもしれませんが、僕は思ったのです。この人たちを撃たないで果たして彼らを必ずしも救えるのかと。彼らは自我を崩壊して訳も分からず生存者に突っ込んでいく、そのような状態の彼らを生かしておくのが本当に彼らにとって幸せなのかと思うのです。

しかし、これは彼らを必ずしも助けられると決まっていない場合だけであって、赤木さんが思っているように彼らを元に戻す薬も作れるのではないかと言うような場合なら僕は逆の考えを持ちます。一人でも多くを助けれればいいのにな、と思うのです。しかし、このようなジャンルではこのように「助けられそうなのに助けない」が多いんですよね...(I am Legendとかの例外もありますが)例えば、バイオハザード3とかですね。主人公のアリスは自分の血液から感染者達を助けられる薬を作れることを伝えられたにもかかわらず、その時に薬を作る設備が整っていたにもかかわらず、その後も生存者と共に戦うのみで、「人類を救う」のではなく、「生存者を救う」と、言うような感じになってるんですよね...

大変長くなりましたが、最後に僕は、このような作品を楽しむために見るの時でも、このような事を考えながら見るべきではないかと思います。大変長くなってしまいすみません。
Posted by R34 at 2013年08月08日 23:59
> R34さん

コメントをありがとうございます。

映画やドラマって、その中で完結しているんですよね。
ですから、その結論に対して違う考え方を持つ(=別の結論を想像する)ということは、充分にあることだと思っています。

もちろんそれも人それぞれですから、完結したストーリーをそのまま楽しみたい方もおられるでしょうし、私のように有り得そうもない結論を思い描く人もいると思います。
R34さんは、きっと私に近いタイプなのでしょうね。

私は以前は、TVドラマの水戸黄門のような勧善懲悪モノが好きでした。
でも途中から、あの手下たちは上からの命令でしかたなく従っているだけかもしれないのに、助さん格さんたちにやられて、かわいそうだなと思うようになりました。
最初から印籠を出して、それでも歯向かってくる人だけを退治すれば良いのに・・・と。

まあ、そんなことを考えながらも楽しんで見ていましたけどね。
いずれにせよ、映画やドラマは、そういったそれぞれの人の考え方を誘発してくれる、ありがたいものだと思っています。

いよいよ明日、日本でも封切りですね。
かなり話題になっている超大作ですから、どうぞお楽しみください。
Posted by 赤木 (幸せ実践塾塾長) at 2013年08月09日 11:24
そもそも英語が良くわからない状態で見て内容もよくわかっていないのに、その映画を批評することが間違っていたと思いませんか?それでは、あなたご自身が批判している、親だか何だかよくわからないけどゾンビだから抹殺すればいいや、という考え方と何が違うのでしょう?つまりは誤解に基づく批判ですが、幸せの求道者がこういうことをして良いのでしょうか?これも人の価値観、考え方の違い、で済まされるのでしょうか?間違っていることは間違っているど認めることこそ、自分の過ちに苦しみ続けないですむ、幸せへの道だと思います。いろんなことを考えさせてくれるありがたい映画も、内容をきちんと理解してこそ、ありがたさが他人に伝わるものだと思います。
Posted by 田中 at 2013年08月10日 06:59
> 田中さん

コメントをくださって、ありがとうございます。
わざわざお名前を入れ直してくださったのですね。
その熱意にほだされて、掲載させていただくことにしました。

まず、田中さんは何をそんなに怒っていらっしゃるのでしょう?
田中さんと縁もゆかりもない私が、何かを感じたと表明することが、そんなに腹立たしいことでしょうか?

仮に私と田中さんが知り合いで、田中さんの前でこのブログに書いたことを言ったとしても、そんなに頭に来るようなことでしょうか?

おそらく、ほとんどの人にとって、私がどう考えたとか、どう感じたなどと言うことは、どうでもよいことだと思うのです。

なぜなら、人はそれぞれだから。感じ方も考え方も、違っていて当然だからです。

同じように考えるべきという考え方の方が不自然だと、私は思いますよ。
だって、そう考えたとしても、人の本質は自由ですから、絶対に同じようにはなりません。

そうなると、苦しいのは田中さんご自身ですよね。
思い通りにならないし、腹は立つし。

まあもちろん、その考え方もまた、人それぞれですけどね。
ですから、田中さんがそれで良いと思われれば、変える必要もありません。


ということで、田中さんが私を批判するのも自由ですし、それにしたがわないのも私の自由です。

私は、私の考え方にのみ従います。
私が私らしく生きずに、田中さんの言いなりに生きるとしたら、それこそ私の存在意義がありませんからね。

このやり取りを見て、どう感じるかもまた、それぞれの方の自由です。

私は、そういう自由を尊重したいと考えています。


それと、私は映画の批判はしていませんよ。文章をよーくお読みになってくださいね。

こういうストーリーは嫌だと私が感じる、私はそういう人間だったと気づいた、ということを言っているだけです。

私は、こういう映画を上映するなとか、作るななどと批判はしていません。

さらに言えば、駄作だとかダメな作品だなどという評価もしていません。

それに、大筋で私が思い違いしている部分はありません。

つまり、英語でわからなかった部分を指摘された方がいらっしゃいますが、その話を聞いた上でも、特に気持ちは変わらないということです。


また、すべてを完璧に理解していなければ、感想を述べていはいけないのでしょうか?

おそらく田中さんは、そうお考えなのでしょうね。私は違いますけど。

たとえば、誰かがピカソの絵を見て「気持ち悪いと感じる」と言うことは、許されないことでしょうか?
もっと絵を勉強して、ピカソの絵がどれほど素晴らしいか理解してからでないと、自分の気持ちを述べてはいけないのでしょうか?

夜空を見たとき、美しい星空だと言わないといけませんか?
満天の空を見て、悲しく感じる人がいてはいけませんか?

対象のどこに着目して、過去の記憶の何と結びつけて、それをどう感じるかを決めるのも、それぞれの自由だと私は考えます。

田中さん、自由になった方が楽ですよ。幸せですよ。
私は、そう考えます。もちろんこれをどう考えるかも、田中さんの自由です。


> 間違っていることは間違っているど認めることこそ、自分の過ちに苦しみ続けないですむ、幸せへの道だと思います。

この部分は同意します。素晴らしい。

間違っていたら間違っていたと認めることは重要です。
そして、自分を改めることですね。

それが失敗の意義だし、進化成長とはこのことです。

どうぞ、その思いを忘れずに、幸せにお暮らしください。
Posted by 赤木 (幸せ実践塾塾長) at 2013年08月10日 15:28
はっきり言いますけど、あなたゾンビ映画の見方を知らない素人だと思いますので感想を偉そうに書くべきでは無いと思います。
Posted by ああああ at 2013年08月10日 22:42
>「あなたの親が、子どもが、恋人が、あの中にいるかもしれないのですよ?それで平気なのですか?」

その気持ちわかります。自分も、最後のシーンを見てなんとなくそんな気持ちになりました。あの行動が止むを得ないということは理解できないわけでもないのですが、元は人間だったんですもんね・・・。なんとなく悲しい気持ちになりました。
Posted by asrga at 2013年08月11日 15:43
> ああああさん

コメントをありがとうございます。

はっきり言うことは良いことです。問題点が明確になりますからね。(嫌味じゃなく、本当にそう思っていますから。)


> ゾンビ映画の見方を知らない素人

これは面白い視点ですね。
ゾンビ映画の見方の素人と玄人がいるとおっしゃるのですね。
何をもって素人、また玄人と判断するのでしょう?
免許制度とか、資格認定制度があるとはっきりしますが、そんなものはありません。
そうすると、このように判断されたのは「ああああさん」であって、「ああああさん」の考え方だ、ということになりますが、どうでしょうか?
つまり、人それぞれだと言うことです。


> 感想を偉そうに

「偉そうに」というのも、「ああああさん」が感じたことですよね。
冷静になって読んでいただければ判ると思いますが、私は、私の感想が優れているとか、正しいとか、みんなそう感じるべきだなどと、ひとことも言っていません。
それのどこを「偉そう」と判断されるのでしょう?

単に「ああああさん」と考え方が違うから、自分の考え方が否定されたように感じられて、それで私を批判したいだけではありませんか?

もちろん、何をどう感じて、どう考えるかはその人の自由。
私はそう考えていますから、「ああああさん」がどう感じて、どう考えようとかまいませんよ。
ですから私は、私のように感じない人を批判したいとは思いません。


ただ知っておいていただきたいのですが、「ああああさん」が発した言葉は、そのまま自分自身に返ってくるということです。
毒のある言葉を吐けば、その言葉の毒は自分の心と体を蝕むのです。

現に、そういうコメントを書かれることで、少しも気持ちよくないでしょう?
幸せな気分になれないでしょう?
もったいないと思いませんか?
せっかくの人生なのに、その中のわずかな時間とはいえ、こういうことで幸せな気分でいられないなんて。


でも、こうしてコメントを書かれたということは、沸き上がってきた感情を何とかしたいという気持ちの現れだと思います。
「こんな感情は嫌だ」という思いです。
それをどうすれば良いか?

そのことを考えてみてくださいね。
これまで多くの人がやってきたように、暴言を吐き、それでも言うことを聞かなければ暴力に訴え、他人を傷つけ、恨みを買い、ちっとも幸せになれないという生き方で良いのかどうか。

どう考えるか、決めるのは常に自分です。
人にはそれぞれ自由意志があるのですよ。
他人や環境がどうであれ、それに左右されずに決めることができる。だから自由なのです。
自ら自由を棄てることは、もったいないからやめた方が良いと思います。
Posted by 赤木 (幸せ実践塾塾長) at 2013年08月11日 18:00
> asrgaさん

コメントをありがとうございます。

さっそくご覧になられたのですね。
共感してくださって、ありがとうございます。


第二次世界大戦の末期に、特攻を命令した士官たちはきっと、兵士は人じゃないと感じていたのでしょうね。

考えてみたら、彼らにだって愛する家族がいるのに。
それを平気で殺せたのは、人だと思わなかったからです。

そのことを先日、小説の「永遠の0(ゼロ)」を読んで感じました。

兵士の命の扱い方が、日本とアメリカでは違っていたことは知っていましたが、そのことを実感させられたのです。


実感するということは大切ですね。
単に頭で理解するだけだと忘れてしまいますが、心に響いたことは忘れられませんから。

そういう意味で、いろいろなことを感じさせてくれる映画やドラマ、小説などの物語(ストーリー)は、とても重要なものだなと思います。
Posted by 赤木 (幸せ実践塾塾長) at 2013年08月11日 18:11
ひとそれぞれって言えば誰もが理解してくれると思ってるんですか?貴方は考えが甘すぎます、貴方はもし愛するひとがぞんびになっても可哀想だから殺さないんですか?人を殺すのは確かに罪になると思いますがぞんびはすでに人を食い殺しているんですよ?
こんな考えならもしウイルスが発生したらとっくに死んでますよ?

世の中には道徳的な考えも必要ですがそうではいけない事もあります

貴方の言っていることはただの綺麗事です。
Posted by ましゅー at 2013年08月12日 02:06
> ましゅーさん

コメントをありがとうございます。

また同じような回答の繰り返しになりますので、詳細は以前に書いたものをお読みくださいね。


> ひとそれぞれって言えば誰もが理解してくれると思ってるんですか?

私がそんなことを言いましたか?
私は、「人それぞれ」ということが事実だと考えているだけですよ。

これはすぐに証明できます。
少なくとも、ましゅーさんと私は、ここで意見が違っています。
このことからして、人それぞれという事実があるではありませんか?
それともましゅーさんは、その事実を否定されるのでしょうか?

私は、私がどう考えるかも自由だし、ましゅーさんがどう考えるかも自由だと言っています。
ですから、私の考えを理解するかどうかは、ましゅーさん次第なのですよ。


> 貴方は考えが甘すぎます

それはましゅーさんの判断、つまり価値観ですよね。
私の価値観ではありません。人それぞれですから。

それで、私が「甘すぎる」とした場合、ましゅーさんに何か影響がありますか?
私には何の影響もありませんよ。
だって、そう判断されたのはましゅーさんであって、私ではありませんから。

ましゅーさん、よーく考えてみてくださいね。
私が甘すぎると判断したのは、ましゅーさん自身の価値観によるものです。
ですから、その判断によって影響を受けるのは、ましゅーさんご自身ですよ。


そのことと同様ですが、ましゅーさんは私のことを激しく非難されていますよね。
そうすると、ましゅーさんにとって何か良いことがありますか?

ましゅーさんがどれだけ私を非難しても、私がそれを受け入れない限り、その言葉はましゅーさんご自身に還って行くだけです。

他人を変えることはできません。人それぞれですから。

それなのにその無理なことを通そうとして、批判、非難、誹謗中傷、最後には暴力というようにエスカレートさせていく。
それが、これまで多くの人がやってきたこと。
そして、すべて上手く行かなかった実例ではありませんか。

ましゅーさんは、他人から非難されて、あるいは暴力を振るわれて、自分の生き方を変えるような生き方が好きですか?
そういう社会が素晴らしいとお考えでしょうか?

自分が考えていること、自分がやっていることが、そのまま私たちの社会を創っています。
ですから、ご自身がどう感じるのか、どう考えるのかを大切にしてください。


最後に、人それぞれとは、他人や環境からの影響を受けなくて済むということにつながります。
簡単に言えば、人は自由だということです。

それぞれの自由意志で、自分がどう考えるかを選択できるのです。

私の言動に影響を受けるのも自由だし、受けないこともまた自由です。
すべては自分が決めていること。
そのことに気づくだけでも、生きることが楽になりますよ。
Posted by 赤木 (幸せ実践塾塾長) at 2013年08月12日 12:15
初めまして。
先日、この映画を観て来まして、
たまたまこちらの記事を拝見しましたので…
ついでにコメントさせていただこうかと。
(記事の最後に「どう思われますか?」とあったので。。。w)

ゾンビ映画好きの私としては、結構堪能できました。
あくまで映画としてですが。
自分がもしこの世界に居たら…身内が感染したら…とか、そう考えることもありますが、
もしそうなったら自分の事しか考えられなくなりそうですけど、たとえ生き延びても絶望しか無さそうですね。

で、本作に関して、色々とツッコミどころもありましたけど…それはさておき…、
ラストの感染者を駆除するシーンについて、私の思ったことを…

それまでの流れや状況から考えて、最終的に感染者を駆除するのは選択として間違ってないかと思います。

確か、最後に出来たワクチンのようなものは、ただゾンビに襲われなくなるだけの「虫除け」に過ぎず、感染を防ぐわけでも治療できるわけでもない、それだけのものだったかと思います。

ただ積極的に咬まれなくなっただけで、一時凌ぎに過ぎません。
咬まれなくても水や動植物を経由して感染も可能性としてあるかもしれません。
ウィルスが変異して、「虫除け」が効かない新種が現れる可能性もあるかもしれません。
ならば悠長に脅威をほったらかしたまま、治せるかも分からない治療薬の研究をしてる場合ではなく、効率良く迅速に、まずは脅威となる感染源を徹底排除するべきだと思います。
別にそれが楽しくてやってるわけでもないと思いますし、そういう描写にも見えませんでした。

また、もし治療薬が出来たとしても、全員を治療は現実的とは思えません。
あれだけの数で、獰猛で俊敏で、たとえ一体でもかなり厄介です。
捕獲だけでも相当なコストでしょうし、1人ずつ拘束して投薬…
その過程で更なるパンデミックが起こりそうな気もします。
(よく似た映画で、『28日後』という作品がありましたが、その続編の『28週後』がちょうどそんな話で、沈静化したかに思えた騒ぎの後、ちょっとした綻びから更なる災害へと発展する話でした。)

治療出来たとしても、おそらく回復までに時間が掛かるでしょう。
その間のケアは誰がするのでしょうか?
人類のほとんどが感染した状況で、ただでさえ人手が足りないであろう中で、感染者を野放しにしたまま、限られた非汚染区域で地道な治療に追われていては、やがて物資不足などにより、もしかしたら復興よりも滅亡の方が早いかも…?

それと、映画を見る限り、感染者はほとんど手遅れに見えます。
とても回復の見込みがあるようには思えませんでした。
ウィルスの浸食作用や、リミットの外れた肉体酷使により、おそらく全身はボロボロで長くは持たないのではないでしょうか?
完全に理性を失った様から見ても、脳のダメージも深刻な気がします。
(これらは推測に過ぎませんが、リスクを冒して治療を試みる価値があるかどうかの判断材料にはなるかと思います。)

以上の観点から…
「救うに値しない」などと言ったら残酷ですが、現実的に見て、生き残った人々も余裕が無い状況で、感染者排除は妥当な選択というか、仕方無いと思います。
Posted by siosava at 2013年08月13日 03:57
> siosavaさん

コメントをありがとうございます。

siosavaさんは、そう感じられたのですね。
それならそれで良いと思いますよ。
単に私とは違うというだけですからね。
Posted by 赤木 (幸せ実践塾塾長) at 2013年08月13日 11:11
ジェリー達が研究所に着いてワクチンの話しをしたとき死者にワクチンを打っても効果がないということで生きている人間にワクチンを投与することになった
それと
いずれゾンビ達が進化、適合、なんらかの変化によってワクチンが意味をなさなくなる場合を考慮し、「戦いはまだ終わっていない」「時間稼ぎにはなる」と最後のナレーションで言っていた
つまりゾンビから人間に戻すのは不可能理由は死んでいるから
もう一つ。今ワクチンの効力が充分なうちにゾンビ共を駆逐する必要があった、否、しなければまた被害が増える一方になる可能性がある
実際にああいう世界になった場合そんな綺麗事を言っていたら死ぬ、ってか考えない
そもそも食料、燃料、水、etc。あらゆるものが不足しているあの世界でゾンビを人間に戻す研究を続けるのは厳しい、やっていたとしても研究所はもう指で数えられるくらいしか残っていないはず。
仮にゾンビから人間に戻すことに成功したとする。
果たして生きているか?
一年以上水や食べ物を口にしていない腐敗した身体、
人間に戻せても死体になるのでは?
Posted by あ at 2013年08月16日 02:00
> 「あ」さん

コメントをありがとうございます。

ただ、もうすでにいくつもいただいたコメントと同様ですので、私の返事も同じものになります。

感じ方は人それぞれですし、考え方も人それぞれですよ。

「あ」さんがそうお考えになりたいのでしたら、それで良いではありませんか。
私は違う、というだけのことです。


一点だけ付け加えさせていただきます。

「あ」さんも、他の方もそうですが、「可能性が少ない」ことを理由に、「やらない」と考えるのが合理的で正しいと主張されているようですね。
そして、その合理的な(と思われている)考え方に、万人が同意すべきだと。

でもそうしたら、「奇跡」ということは起こせませんよね。


人類の進歩には、多くの無謀な挑戦があったということも事実です。
たしかに、その挑戦に成功した者は少ないかもしれません。
しかし彼らは、周りの人から無理だと言って止められてもやりました。
言うことを聞かないからと言ってバカにされたり、罵られたりしてもやったのです。

現在の人は、現在の視点からしか過去の人のことを見ようとしません。
ですから、成功した人が最初から立派で、みんなから讃えられていたと錯覚しているのです。

けれど、世界初の飛行機による有人飛行を行ったライト兄弟の名前を出すまでもなく、成功するまでは相当な批判や嫌がらせがありました。
いや実際は、成功してからでも、その成功を認めないと言い張る人たちの抵抗を受けたのです。


どんなに反対されても、諦めずに最後まで希望を見つめていた人が、奇跡を起こすのです。
それが、人類に進歩をもたらした人たちの考え方です。

私は、そういう生き方を素晴らしいと思います。
おそらく「あ」さんは、そういう人に共感しないタイプの人なのでしょう。
もちろん、それも「あ」さんの自由です。


このように、その人がどう考えるかによって、その人の人生が創られます。
「人は、その人が考えるような人になる」というのは、そういうことなのです。

ですから、どうぞご自身がなりたい人らしい考え方を、ご自身の自由意思でもって選択してください。

「あ」さんがどんな考え方をされようと、私はとがめたりしません。
批判も非難も、嘲笑もしませんよ。
なぜなら、それは私自身も通ってきた道ですから。
そして、他の人の批判などをしないという考え方を、私は自由意思で選択したいと思うからです。


本当は、もうこの記事のアクセスも下火になってきたし、同じようなコメントは掲載しないと予告していたので、今回のコメントも載せるのをやめようと思いました。

でもそうは言っても、わざわざエネルギーを使ってコメントされたわけですから。
しかも、名前のないコメントは載せないと書いた部分も、しっかり読まれたのでしょう。
たとえそれがどんな名前だとしても、ここに掲載してほしいという欲求の表れかと思います。

そう感じたので、特別に載せることにしました。
こういうご意見のコメントとして載せるのは、これが最後になります。
ご了承ください。m(__)m
Posted by 赤木 (幸せ実践塾塾長) at 2013年08月19日 12:40
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