2013年06月17日

幹事は大変だと改めて思いました

昨日は、ソフトボール仲間のゴルフコンペがありました。

「へたくそソフトボール」と称して、老若男女が上手も下手も関係なく集まって楽しむソフトボールを、バンコクの日本人仲間を中心に行なっています。

その集まりの中にも、ゴルフ好きのメンバーが多数います。そこで持ち上がったのが、チームの垣根を超えてゴルフを楽しみましょう、という話でした。

ソフトボールだと、どうしてもチームごとに固まってしまいます。ゴルフなら、同じパーティーのメンバー同士の交流もできますからね。

題して、「へたくそソフトボール・ゴルフコンペ(HSG)」です。ゴルフなのかソフトボールなのか、よくわからない名前ですね。(笑)

第2回HSG


今回は2回目だったのですが、その幹事を、私が所属するチームがやることになりました。

成り行き上、チームの代表になっている私がやることになってしまいました。(汗)


初めてゴルフコンペの幹事をやったのですが、改めて幹事という裏方仕事は大変だなあと思いましたよ。

参加するだけの人は自分のことだけ考えていれば良いのですが、幹事は全体を見なければなりません。

いろいろなことを想定して、あれこれ手配しなければなりません。

それだけでも大変だと思いますが、ましてやここはタイですから。タイ特有の困難なことがあるのです。


それは一言で言えば、「コミュニケーションの問題」です。

意思疎通ができないというか、思っていることが思っているままに伝わらないのです。

もちろん言葉の問題もありますが、それ以上に文化の問題が大きいと感じています。気持ちや考えていることが伝わりません。


コンペの予約などは言葉の問題もあるので、会社のスタッフにお願いしました。

そのため、私と会社のスタッフの間、会社のスタッフとゴルフ場の電話担当者の間、ゴルフ場の電話担当者と各部署の担当者の間の、それぞれでコミュニケーション・ミスが発生したようです。

今回のコンペが終わるまでに、思い通りにならなかったことを、以下に箇条書きにします。


1.プレー代が、問い合わせた時は1人1,200B(約3,750円)だったのに、正式に予約した後から1人1,300Bだと言われた。(言った言わないの水掛け論になるので、あきらめました。)

2.パーティーの飲食代が1人300B(約950円)と言われたので、ビールは含まれるか尋ねると、「含まれる」との回答。あとでビールの量に制限があるのかと尋ねると、「含まれるのはソフトドリンクだけ」と言ってきた。(飲食代にソフトドリンクが含まれるかなど、わざわざ尋ねるわけもないのに。)

3.事前にパーティー会場の場所を知っておこうと思い、図にかいて「ここですか?」と場所を尋ねたら、違うと言って他の場所を教えてくれた。けれど実際にはその場所に会場らしきものはなく、私が示した場所が会場だった。(まったく複雑じゃないのに、敢えて図にしたのにわからない理由が理解できません。)

4.ニアピン用に立てる旗を用意してくれると言うので、各ホールに事前に立てておくのではなく、8本を手渡ししてほしいとお願いし、渡してくれる担当者の名前と携帯番号まで確認しておいた。しかしゴルフ場へ行ったら、旗はすでに各ホールに立てられていた。(「わざとでしょ?」と言いたくなります。)

5.パーティー会場の前にコンペの名前を表示するからと言われたので、「HSG 2nd」と伝えたのに、会場には何も書かれていなかった。

6.パーティー費用の計算は、コンペの予約人数か、それとも実際にパーティーに参加した人の人数かと尋ねたら、実際の人数だと答えたから、人数の増減は問題ないと考えていた。しかしコンペの5日前になって、予約人数で計算するから確定してくれと言われた。(実際の人数の増減があったときどうするかがわからないと、コンペ参加費の計算ができない。だからわざわざ尋ねたのに・・・。)

7.パーティーの精算内容を確認したら、人数が概算申込み時の人数になっていた。(なんのために予約人数を確定させたのだか。しぶしぶでも訂正に応じてくれたから、結果的には予定通りですけど。)


こういった意思疎通が上手くいかないことが発覚するたびに、私は無力感に打ちひしがれ、怒りを通り越して呆れる気持ちになるのです。

「だから何度もわざわざ確認したのに・・・。」

そうした努力が水の泡です。そのたびにオロオロし、怒り、慌てふためく惨めな私が現れるのです。

怒声を浴びせるようなことはしませんが、言葉や態度には現れていたでしょうね。

今になって思えば、自分の未熟さを恥ずかしく感じますが、敢えて正直に書くことにしました。


かっこうをつけても仕方ありません。私はまだまだ、このレベルです。

そのたびに何とか自分を変えなければと思うのですが、すぐには思うようになりません。

こういうトラブルを鷹揚と受け止め、にこやかにしていられたら素敵なんでしょうけどね。

 

けれど、多少は自分を変える努力はしています。

パーティーが終わった後、余った料理を持ち帰るために、袋に詰めてもらいました。

給仕の子は、料理を手際よくビニール袋に入れ、その口を輪ゴムで縛ります。

私も手伝ったのですが、料理を袋いっぱいに詰めると、輪ゴムで縛れないのです。それなのにその給仕の子は、なんでもないように簡単に縛ります。

「みごとなものだなあ。」

そう感心したとき、精算内容が間違っていたとか、袋詰を依頼してもなかなか来てくれなかったことなどへの不満が、スーッと引いていったのです。


私は、料理を詰めてくれた給仕の子にお礼を言って、チップを100Bほどあげました。

ちょっと多すぎるかとも思ったのですが、諸々のお礼だと思って、思い切ってあげたのです。

心から他の人を素晴らしいと思うとき、ありがたいと感じるとき、心は浄化されるのですね。
 

部屋に戻ってから、読みかけだった「安岡正篤「宇宙と人生」」を読みました。

するとそこに、今回の出来事を象徴するようなことが書かれていて、私の胸を打ちました。

冒頭に安岡正篤の言葉を引用したように、東洋思想の根幹にある考え方が「自反」、すなわち自らに反(かえ)るである。
「お前のせいでこうなったんだ。どうしてくれる!」
 といきり立つのではなく、このトラブルは私に何を伝えようとしているのだろうかと、心の耳を澄まして聴き入る。何が起ころうとも甘んじて受け止め、自分の身に振り返って考える。すると、大切なメッセージが見えてくる。
」(p.190)


「あー、そうだった、そうだった。すべての出来事は贈り物だったんだ。」

思い通りにならないとき、つい「相手が悪い」と思ってしまう。そうじゃないと、まるで「自分が悪い」ことにされてしまいそうだから。

でも、そういう視点から離れて見れば、別の見方もできます。

「天はこうやって、やることなすことを空乏(くうぼう)にして、私自身の精神を鍛えてくださっている。」

孟子の言葉によればそうなるのですが、それもまた1つの見方です。

「こうやって苦労したからこそ、幹事をやる人の苦労がわかる。次からは幹事の人をもっと助けてあげよう。」

そういう優しい気持ちを抱けるようになるのも、また別の見方をしたからです。


陽明学では、「事上練磨」と言います。

学問は頭のなかで行うのではなく、実体験に基づくべきであると。そうすることで、より学問を究めることができる。実際に役立てられない学問は、学問ではないのです。


まだまだ未熟ですが、時間をかければこのように穏やかな状態に戻れます。

本を読みながら思索する時間が、私を本来の私に引き戻してくれるのです。

手元に読む本があって、自省する時間があるということは、とてもありがたいことだと思います。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 16:39 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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