昨日紹介した「居場所のない子どもたち」の鳥山敏子さんの本を探しているとき、なぜか自然農についての本が検索にひかかりました。
有機農法だとかいろいろな農業手法がありますが、なぜか自然農という言葉に惹かれました。
私自身、農業体験はあまりありませんが、いくつか本を読んで、農薬や化学肥料に頼らない農業にしなければいけないと感じていたのです。
検索にひかかったのは、鳥山さんと川口由一さんの共著となっている「自然農」だったのですが、その関連の本として、この「自然農という生き方」がありました。
どちらにしようか迷ったのですが、タイトルに惹かれてこちらにしました。
自然農の手法ではなく、その考え方に基づいた生き方というのが、心に響いたからです。
本はペーパーバック版で、あまり質の良い紙を使っていません。
これも、自然に優しいというテーマに合わせたものなのでしょうか。
内容は、文化人類学者で環境運動家の辻信一氏が、川口由一さんに尋ねるという形式になっています。
自然農というのは、有機農法とも違っていることが、すぐにわかりました。
まず不耕起が重要で、肥料など一切持ち込まないと言うのです。
土壌を改良するという考え方がありません。いえ、むしろそれを嫌います。
害虫とか益虫など、人間の恣意的な判断をせず、自然そのままを重視します。虫や草を敵にしない考え方です。
土は何でもよく、その上で行われている生命活動が重要なのだという考えです。
育った草が半年から1年で枯れます。生まれた生命がそこで死ぬのです。
その枯れ草が溜まって腐るわけですが、そこには小動物や昆虫、菌類などの生命活動があります。
それを川口さんは「亡骸(なきがら)の層」と呼ぶのですが、これが作物を育てると言うのです。
この本の前半は、川口さんがどういう経緯で自然農をすることになったかが書かれています。
川口さんがどこからそういった哲学的な考え方を得たのかわかりませんが、好きなこと、やりたいことを優先すべきだと考えるようになったそうです。
たいていの人はここで不安になり、「やっぱりまずお金を稼がないと」と考えてしまうのですが、川口さんは違っていました。
「収入はありませんでしたが、子どもたちといっしょに芸術的な暮らしを送り、正しいこと、やりたいことのやれる日々で、毎日、幸せでした。」
(中略)
「お金のことでいうと、いのちの道、人の道からはずれるようなことさえしていなければ、必要なものは後からついてくる、という確信がありました。実際そうでした。人に恵まれる、仕事に恵まれる、場に恵まれる、お金に恵まれる。みんな後からついてきました。ぼくは好きなこと、やりたいこと、正しいこと、必要なことをして、生かされてきました。すべての人の生き方の基本はそうあるべきだと思います。」
(p.55 - 56)
この確信は、いったいどこから来るのでしょうか?驚く他ありません。
自然農をすることで、近所からの苦情もあったそうです。
けれども川口さんは、けして自分の正義を主張しなかったそうです。
相手には相手の正義があるのだから、自分が正義を主張すれば、言い合いになってトラブルが大きくなるからと。
そして川口さんもまた、この世の実相を的確に表現されています。
「いのちの世界はすべて一体にして、個々別々です。今生きているいのちも、過去のいのちも、未来のいのちとも、切り離すことのできない、ひとつの存在であり営みです。同時に、ぼくはぼく、あなたはあなた、過去は過去、太陽は太陽、それぞれ別々の存在であり営みでもある。」
(p.100)
老子の無為自然という考え方に近いとも言えますし、「神との対話」シリーズで示されている考え方とも言えます。あるいは、宮沢賢治的な考え方と言いましょうか。
いずれにせよ、生命の実相は「ひとつのもの」という見方を多くの人がしており、川口さんもそうだと言えるようです。
川口さんは、全員が自然農をすべきとは言いません。
それぞれの人に、それぞれの使命があると言います。
しかし、どういうことをして生きようとも、その生き方は自然農に示される生き方であるべきだと言うことです。
単なる農業技術ではなく、人がどう生きるべきなのかという深い問いから生まれた、農業はどうあるべきかという問いの答え。それが自然農なのです。
現在、川口さんの自然農を学ぶ人たちの集まりがあって、川口さんもその指導をされてるそうです。
詳細は、赤目自然農塾の「気楽に自然農」というWEBサイトをご覧ください。
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