最近、神渡良平さんの本をよく読んでいますが、それによって久しぶりに安岡正篤氏の思想に触れた気がしています。
それだけでなく、有名無名を問わず、多くの心ある人々の考え方にも触れました。
その結果、やはりこれは間違いないなと、改めて思うことがありました。
「すべてはひとつのもの」
「神との対話」シリーズでそう言っていますが、このことですべての問題が解決するというのが、私が得た結論です。
そしてそれは、昔から多くの人が語っていることに気づいたと、これまでも書いてきました。
それを神渡さんの本を通じて、再確認した次第です。
たとえば、「中村天風「幸せを呼び込む」思考」によれば、天風氏はこう言っているそうです。(p.171)
「自分というものは、ひとりでいるのではない。常に宇宙霊というものに包まれていて、しかも宇宙霊は全知全能の力を持っている。それと結び付いている生命を自分が持っているのである。
[運命を拓く(中村天風著/講談社)]」
天風氏が言うところの「宇宙霊」とは、キリスト教などで言う「神」と呼ぶこともできるでしょう。東洋思想で言うなら「天」と言い換えることもできます。
このように、全知全能で宇宙を満たしているものとつながっている。そう天風氏は言うのです。
同じように、「安岡正篤 立命への道」によれば、安岡氏はこう言っているそうです。(p.197)
「人間の生命というものは全きもの、無限にして永遠なるものです。その偉大な生命がなんらかの機縁によって、たまたま一定の存在になり、一つの形態を取るのです。我々人間が存在するということは、すでに無限の限定であり、無限の有限化であることを知る必要があります。この有限化を常に無限と一致させるということが真理であり、道理であり、道徳であります。
[運命を開く(安岡正篤著/プレジデント社)]」
生命は無限で永遠であるということは、天風氏が言う宇宙霊と同じものと考えられます。
その宇宙霊(生命)の一部が有限化したものが、人間の本質だと言うのです。つまり、私たちがよく言う「魂」というのは、無限で永遠な「生命」の一部であり、それはすべてつながっているのだと。
また、「一隅を照らす生き方」によれば、宮沢賢治氏もこう言っているそうです。(p.105)
「自我の意識は、個人から集団へ、そこから社会へ、次には宇宙へと進化する。この方向は、古い聖者が踏み、また教えてきた道ではないか。新たな時代は、世界が一つの意識になり、生物となる方向にある。
[農民芸術論(宮沢賢治)]」
有限化し、分化した生命が、再び一体になる方向に進みつつある。そのことを宮沢氏は見抜いていたかのようです。
「静寂の時間がいのちの根を養う」では、もっと明確に安岡正篤氏の思想を伝えています。(p.148)
「一 宇宙人生は自己を実現しようとする絶対者の努力だ。
二 森羅万象は絶対者の顕現にほかならない。
三 絶対者の造化を端的霊妙に表すものは人だ。
四 絶対者は人間を通して、自ら《玄》から《明》に化した。
五 その絶対者を見失うことがないかぎり、人間は無限に向上発展してやむことがない。
[いかに生くべきか(安岡正篤著/致知出版社]」
もうまさに、「神との対話」シリーズで言っていることそのままです。
おそらくこちらが先でしょうから、「神との対話」の方が、安岡氏の思想を取り入れたと言うべきかもしれませんね。
安岡氏が晩年に傾倒したとされる老荘思想は、無為自然という言葉に表わされるように、自然との一体化こそが重要だという思想です。
自然というのは、森羅万象であり、宇宙全体とも言えます。
それはつまり、天風師の言う宇宙霊であり、生命と言うこともできます。
老荘思想にも、そもそもすべては一体である、つまりひとつであるという考え方があったのです。
仏教では、大乗仏教の重要な教典である般若心経において、「色即是空 空即是色」として、「万物=空(くう)」という関係を示しています。
このことは、「般若心経の意味がわかった」で詳しく書きました。
そして真言宗を開いた空海(弘法大師)もまた、同じような悟りを得たと言われています。
彼は、国家試験に合格した官僧でもないのに、唐の恵果阿闍梨に会いたい一心で挑戦し、不可能と言われた遣唐使に選ばれました。
恵果阿闍梨は空海と会ったとき、「お前が来ることは知っていた。待つこと久しかったが、今日やっと会えてとても嬉しい。」と言ったと記されています。
そして、短い期間で密教の秘法を伝授され、ついに空海は法統を受け継ぎ、真言宗の正嫡となって、日本に戻ってきたのです。
その空海が読んだ詩の中に、こういう文があります。
「声心雲水倶了々」
実はこれ、おじから形見分けにもらった掛け軸に書かれていた言葉だったのです。
昨夜、ふと思い出して開いてみたのですが、誰が書いたのかも、どんな意味なのかもわかりません。
けれど、その掛け軸がしまわれている桐箱が、素晴らしい造りなのです。
蓋を180度回転させて閉めても、ぴたりと吸い付くように閉まります。そしてその箱をなでてみると、まるで乙女の柔肌かと思うほど、優しい心地よさが手に伝わってきます。
「これはただものではない。」
直観でそう思いました。そこで、掛け軸や桐箱の蓋の裏に書かれてあった言葉を書き写してきて、ネットで検索して調べました。
そこで初めて、それが空海の詩の一部だとわかったのです。
そして、その掛け軸を書いた方は、島根県出身の高野山碩学・文学博士の高木伸元(しんげん)氏でした。
※伸元氏の「しん」は、正式にはゴンベンです。
この詩(元の漢詩を読みくだしたもの)の全体と、高木氏による解釈があったので紹介しましょう。
[空海の声を聞く 弘法大師の詩文から]
「閑林に独坐す
草堂の暁(あかつき)
三宝(さんぼう)の声一鳥(いっちょう)に聞く
一鳥声あり
人心(ひとこころ)あり
声心雲水(せいしんうんすい)
倶(とも)に了々(りょうりょう)
(性霊集 十)」
「この静けき奥深き山に、一人弘法大師は瞑想に耽られていた。その明け方、三宝の声、この三つの宝というのは、この仏法僧、仏と、その仏の説かれた教えと、その教えをですね、広められる出家者、お坊さんですね。それをこの三つの宝と呼びます。三宝の声、一鳥に聞く。あのぶっぽうそう、ぶっぽうそうと鳴きますから」
奥深い山で深夜に瞑想をしていると、ぶっぽうそうという鳥の鳴き声が聞こえたのです。
その瞬間に、悟ったわけです。
「鳥の鳴く声と、私の心と、そしてこの自然と、まさにそれは、「倶に了々」である。一体である、繋がっているということですね。」
高木氏はこう言って、周りのすべてと自分が一体であるという感覚を得た体験と、空海の心境とを重ねて説明しています。
この「倶に了々」の部分ですが、「それぞれが明らかだ」と解釈している人もいます。
けれども、それでは意味が通じません。私は、高木氏の「一体である」「つながっている」という解釈を支持します。
ここ数日の間に読んだ本から、多くの人がこの世の本質を「ひとつのもの」であると言っていることを、改めて知りました。
ここに書きませんでしたが、上記で紹介した本の中には、他の方の同様の気づきについても紹介してあります。
そして、もともと一体のものであるけれど、そう気づくことが進化であり、重要なのだということも、同様に多くの人が語っています。
みなさんがどう思われるかはわかりませんが、私は、これを私の真実として受け入れます。
2013年06月13日
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