神渡良平さんの本の中では、比較的にさらっと読めてしまう本のように感じました。
この本は、いろいろな雑誌に書かれたものの中から、精神の成熟と静寂に関するものを集めて作られたようです。
そのため、それぞれの章ごとに話題が完結しており、また、雑誌の読者向けということもあってか、平易な文が多いように思います。
第一章は、アフリカを旅してキリマンジャロをご覧になった時の感動や、熊野古道を踏破されたときのエピソードが語られていて、旅行記のような読み物になっています。
また第四章は「一隅を照らす人々」として、ここでも無名の方の偉大な足跡を掘り起こされていて、読み手に勇気を与えてくれます。
しかし、この本を貫く神渡さんの考えは、一貫したものがあるように感じました。
それは、師父と慕う安岡正篤氏の考えでもありますが、天の計らいを受け入れて、己がやるべきこと(使命)に精進するという考えです。
心に残った部分をひとつ紹介しましょう。
安岡氏が政財界のトップたちに揮毫(きごう)した言葉に、「六中観」というものがあるそうです。
「死中、活有り
苦中、楽有り
忙中、閑有り
壺(こ)中、天有り
意中、人有り
腹中、書有り」
「忙中、閑有り」は一般にもよく使われるので、聞き覚えのある方もおられるでしょうね。
これらの中の「死中、活有り」について、サッカーの日本代表監督を務めたこともあるジーコ氏のエピソード(p.140 - 142)が書かれていました。
彼が現役のとき、大怪我をしたことがあったそうです。復帰確率10〜15%とも言われ、4度の手術をしたのだとか。
そうして復帰してセリエAのウディネーゼに移籍したところ、元の所属クラブの会長から「ジーコは故障だらけで、ウディネーゼでももはやチームのお荷物だ」と酷評されたそうです。
それによって発奮したジーコ氏はプレースタイルを変え、自らが敵陣に切り込むのではなく、絶妙なパス回しで味方に点を取らせるようなゲームメーカーとして、才能の花を開かせたのです。
後にジーコ氏は、言われた当初は会長のことを恨んだと言いました。「調子のいいときは神様と持ち上げ、調子が悪くなるとさっさと切り捨てる、と。」
しかし、そのことで発奮して自分の才能を開花させたということも事実です。それを受け入れたから、「だから今は会長に感謝しています」とジーコ氏は言ったのでしょう。
「ものごとにはいつも二つの側面があるものです。辛いことの後ろ側には、必ず良いことがくっついているものです。要はそれを探し出し、具体的なものにするために、努力することです。勝利は多くの犠牲と努力を払った者への最高の報酬なのです」
死地から復活したジーコ氏は、そう語ったそうです。
まさに、「死中、活有り」を、自分の人生で示したのです。
八方塞がりに思えるとき、それは何かが劇的に進化する兆候だと見抜くなら、絶望して心が折れることはありません。
「死中、活有り」の言葉は、そう私たちを励ましてくれます。
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