引き続き本吉圓子(もとよし・まとこ/円子とも書く)さんの本です。
こちらの方が「本吉円子の失敗させる!6歳までの子育て」の2年後に書かれた本のようで、編集の違いもあるでしょうけど、他の保育者を責めるような文は見あたりません。
子どもに対する愛情の重要性が、ひしひしと伝わってくる内容になっています。
書かれていることはだいたい同じなのですが、2冊読んでみて、2つの大きな柱があるように感じました。
1.子どもは甘えを必要としている。
2.子どもは本来、みんな良い子。
甘えを必要としているということに関しては、食欲や睡眠欲と同じレベルで、子どもが育つためには甘えることが重要な栄養なのだと言います。
ただし、甘えることと甘やかすことは違うと言って、好きなことを好きなだけさせるという放任には反対します。
甘えさせるというのは、たっぷりと愛をそそぐことだと言います。
では、どこまで注げば良いかというと、子どもが満足して「もういいよ」と言うまでだと言って、あくまでも子どもの感覚が重要だという考えです。
印象的なことが書かれていました。
それは、おねしょをする子は感受性が豊かだと言う話です。
実は私は、小学校6年生のころまで、ときどきおねしょをしていたのです。
本当におねしょが治ったのは中学1年生になってからで、たしか高校生になってからも1回やってます。(汗)
恥ずかしい話ですが、私はそういう子どもだったのです。ですから、本吉さんの言われることがよくわかります。
「そういう子どもはつらいことがあっても、それをいうとお母さんが悲しむことを知っていますので、なにもいわないで、そのつらさを自分一人で抱え込んでしまいます。それがおねしょや寝ぼけなどになって出てくるのです。」
(p.148)
私の両親も共働きでしたから、母は仕事から戻ってから、すぐに炊事を始めます。
やっと帰ってきた母親に甘えたくても、母は「あとでね」と言うばかりです。
食事が終わっても、後片付けは母がやります。それを待って、やっと甘えられると思ったら、今度は「疲れたから少し休ませてよ」と言って、テレビを見るのです。
甘えたい。でも、大変だということはわかる。その気持ちを、ずっと自分の中に押し殺して育ちました。
あるときは耐え切れず、おもちゃの鉄砲で撃ったこともありましたけどね。こっぴどく叱られました。
叱られながら、理不尽だと考えていたのです。
この中に、盲導犬の第一号になったチャッピーの話も出てきます。
どれだけ訓練しようとしてもダメで、盲導犬にすることを一度は諦めたチャッピーです。
それが、訓練を諦めてかわいがり始めた途端、言うことをきくようになったと言うのです。
今、盲導犬を育てるときは、最初の1年を徹底的に甘えさせることにしています。
そのことも、チャッピーの事例からわかったことなのかもしれませんね。
この本はタイトルにもあるように、「6歳までの子育て」用に書かれています。
けれども私は、これはすべての人に対して言える真理だと感じています。
子どもだけじゃない。今、大人になっている人だって、充分に甘えて育たなかった人は、心の奥に押さえつけているものがあるのです。
それを解放してあげないと、その人らしく生きることもできないでしょう。
誰もが本当は、たっぷりと甘える感覚を味わいたいのです。共感してほしいのです。
それを味わうことができたなら、何の不安もなく独りで生きていける。
そんな気がしてきました。

ほんとうですね。
子育てを学ぶことは、人間そのものを学ぶことだと思います。
よい本をご紹介くださり、ありがとうございました(^_^)
コメント、ありがとうございます。
他にも似たような本はありますが、本吉さんの本が一番読みやすく、変に政治的なことに首をつっこんでないので、オススメだと思います。
ことの本質は、「愛」かどうかだけです。
ある子どもの一部を愛して、一部を愛さないというなら、それは愛ではありません。
自分の好みを押し付けているだけです。
同様に片方を愛して、片方を愛してないというなら、それは愛ではありません。
ですから、子育て本に政治的な思惑を持ち込み、対立する主張をする人々を批判するなら、それは愛ではないのです。
そのことに気づかないと、子どもを本当の意味で愛することはできないと思います。
愛は、すべてを受け入れ、心から信じるものですからね。