2013年06月08日

安岡正篤 立命への道



「西郷隆盛 人間学」に続いて、神渡良平さんの本を続けて読んでいます。

格調高い文章は、読み慣れていない人には読みづらいかもしれませんが、慣れてくると、その調子良いテンポに心が踊ります。


今回は、神渡さんが師父と仰ぐ安岡正篤氏について書いたものです。

神渡さんには他にも、「人生の師父 安岡正篤」「安岡正篤 人間学」「安岡正篤の世界」など、安岡正篤氏に関する著書がたくさんあります。

  

この本は、単に安岡氏の足跡を追ったものではなく、その影響を受けた人々の姿勢や活動を描くことで、間接的に安岡氏の偉大さを浮かび上がらせています。

また、安岡氏の薫陶を受けた人ではなくても、同じような考え方で生きた人の中に、安岡氏の心を訪ね歩いています。

このようにして何枚も何枚も色形の違ったピースを組み合わせるようにして、やはり安岡正篤氏が自分にとっての師父なのだと、神渡さんは再確認しようとしているかのようです。

けれども、それが単なる自己満足ではなく、読者の心にも「そうなんだよなあ」と響いてきます。


「むすび」という神道の精神が日本人のバックボーンになっていると、安岡氏は言います。

仏教で言うなら「縁起」となります。すぐれた因が、すぐれた縁で、すぐれた果をむすぶ。だから結果なのです。

日本は和の国です。大きな和と書いてヤマトと呼ぶ。和というのもまた、人々の絆であり、むすぶことです。

そして和は、人と人だけでなく、人と自然をむすびます。

人が人や自然と一体となるとき、つまりがそのつと重なるとき、そこにが現れます。

このように日本人は、古くから天を表現する生き方を模索してきたのです。

その精神があったから、戦後の大変な時期を乗り越え、奇跡の発展を遂げることができたのだと。


この本は、東日本大震災の後に書かれたものです。

その状況を、まさに敗戦後の日本と結びつけて書かれた部分が目立ちます。

どんな悲惨な状況にあっても、他者を恨むことなく、自分で歩こうとした世界で唯一の民族。それが日本人なのです。

日本文学研究の第一人者でもあるドナルド・キーン米コロンビア大学名誉教授は、2011年4月に、日本国籍を取得して永住を決意したと新聞に報道されました。

「日本は震災後、さらに立派な国になる」

そう確信したからだそうです。


この本では、随所に安岡正篤氏の著書からの引用があります。

それを読んで、私も驚きました。「神との対話」シリーズで言われていることを、何とそれよりも前に、安岡氏が言っていたからです。

「運命を開く(プレジデント社)」からの引用です。

人間の生命というものは全きもの、無限にして永遠なるものです。その偉大な生命がなんらかの機縁によって、たまたま一定の存在になり、一つの形態を取るのです。我々人間が存在するということは、すでに無限の限定であり、無限の有限化であることを知る必要があります。この有限化を常に無限と一致させるということが真理であり、道理であり、道徳であります。



これを読んだとき、私の背筋に電気が走りましたよ。まさにそうだと感じたからです。

神渡さんもこれを読まれ、こう感じられたそうです。

−−私という存在は無限なる存在が有限化して現れたのだ。従って地上に出現した私という存在を練磨して、大本の無限なる存在に限りなく近づけることは、私に託された使命だ。私は私をつくり上げることを通して、天地創造に加担し、その一翼を荷っているのだ!

(p.197 - 198)


日本人としての誇りを取り戻し、世俗のことに一喜一憂することをやめ、天の計らいの中に精一杯に生きる。

そういう気持ちにさせてくれる一冊です。

安岡正篤 立命への道
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 16:37 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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