鹿児島県生まれの神渡良平さんにとって、西郷隆盛という人物は、やはり特別な存在なようです。
幕末から明治にかけては、日本の歴史の中でも有数の、偉大な人物が排出された時代と言って良いでしょう。
その中にあって、西郷隆盛という人物は、ひときわ輝く巨星だったようです。
神渡良平さん自身も、何度かの挫折を味わいながら、自分の使命として、生き方を問う書物を世に送り出すことに気づかれたそうです。
西郷隆盛という人物も、実に遠島3回という経歴があり、しかもその中の1回は、けして本土に戻ることがないとされた沖永良部島への島流しだったのです。
それでも希望を捨てず、私心をなくし、公のために、天のために、心を尽くした至誠の人でした。
西郷の生き方をしのんでは、「自分ももっとがんばらなくっちゃなあ。」と、神渡さんも思われたのではないでしょうか。
私もまた、この本を読まさせていただいて、そう感じました。
遠島されたとき、西郷はフィラリアにかかったそうです。
蚊を媒介にした感染症で、手足の皮が象のように固くなる病気で、それによって西郷の陰嚢は腫れ上がり、馬に乗ることができないほどだったとか。
その治療の意味もあって、よく温泉につかっていたそうです。
そのエピソードを読んだ時、私は一層、西郷の強さを感じました。
身体の不具合は、それだけで気持ちを萎えさせるものです。
しかし西郷は、そうであっても誰かと話すときはきちんと正座をし、拳を膝に置いて真剣に聞いたのだとか。
それを思うと、「ここが痛いだとか、しんどいなどと言ってられないな。」という気持ちになります。
「自分がいま置かれている状況をいたずらに嘆くのではなく、それを受け入れ、それを楽しみ、そこでベストを尽くせば、青天白日の日がやってくるのだ。」
(p.145)
神渡さんはこのように西郷の生き様を書いて、西郷はどんな状況でもそれを受け入れ、楽しんでいたから、人を惹きつける笑顔でいたのだろうと考えているようです。
私たちと同じように、いや、それ以上に、日々の生活の中には悩ましいことがたくさんあったでしょう。
けれども西郷は、「それもまた良し」とそれらを受け入れ、誠を尽くすことだけを考えて生きたのです。
神渡さんの本の特徴は、格調の高い文語調の言い回しが散りばめられていることと、意表をついた話題転換です。
西郷の話をしていたかと思えば、フッと視点を変えて、自分の身の回りの出来事を語ります。
こうすることでその内容を、自分の身に置き換えて考えることができるようになります。
単に「かくあるべし」というような押し付けではなく、自然と「そうそう、自分もそうだよ」と思わせてくれるのです。
私はこの本を、バンコクからアユタヤへ行く車の中で読み始めました。
その日は、アユタヤに派遣されている社員の慰労を兼ねた懇親会の予定があったからです。
読み始めると、自然と背筋が伸び、まるで正座でもしているかのような面持ちで読み続けました。
感極まると、涙が頬を伝います。それを運転手さんに悟られないように、窓の外へ視線を移したりしました。
「こんなに頑張って、日本を支えてくれた人がいる。」
それを思えば、自分の悩みなど取るに足らないことのように感じます。
漢詩がたくさんあって、多少読みづらいかもしれませんが、西郷隆盛という人を身近に感じさせてくれる良書です。
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