それはある意味で恥ずかしいことでもあったのですが、すべてをさらして裸になることが、私自身の成長に役立つと思ったし、また、読んでくださる方にとっても、参考になると思ったのです。
そうやって自分の過去を思い出しながら明らかにしていく中で、私の考え方がどう変わってきたかも、よくわかるようになりました。
今日は、そのことをお話したいと思います。
子どものころの私は、内気で気が弱く、臆病な性格でした。駅で汽車の切符を買えないほど、不安の塊だったのです。
自分が想定した以外のことを言われたら、どう対応すれば良いかわからなかったのです。
そんな事態が発生したら、どうしたら良いかわからず、パニックになりそうだったのです。
だから、なるべくそういう可能性から逃げようとしました。初対面の人が苦手なのも、おそらくそこから来ているのでしょう。
そんな私でしたが、徐々に将来のことを考えるようになります。
いずれは大人になり、親の庇護から離れ、1人で暮らしていかなくてはなりません。
そのことを考えると、本当に怖かったのです。とても1人では生きていけないと思っていましたから。
しかし、ずっと親元で助けてもらえるわけではないことは、子どもの私にでもわかる現実です。
そこで私は考えました。
どんなことが起ころうとも、それをすべて想定内にしてしまえば良いのだと。
つまり、「こう来られたら、こうする。ああ来られたら、ああする。」というように、すべての対処方法を知っておけば、何が起ころうと慌てることがないはずです。
私は、懸命に知識を増やしました。家にあった平凡社の百科事典などを、片っ端から読んだのです。
自分の知識が増えてくると、他人の知識の無さが目についてきます。
「そんなことも知らないで、よく平然と生きているねえ。」
私は驚きとともに、努力をしない態度を無意識に非難したのです。バカにしたのです。
そういう気持ちは、自然と現れてしまうようで、私は皮肉屋になっていました。
そうやって雑学に強くなったものの、それでもすべてを想定内にすることはできませんでした。
やはり知らないことはたくさんあったし、まだ知らないことがたくさんあるという思いは、私の心に不安として残りました。
「いくら知識を蓄えても、すべてを想定することは不可能だ。」
その結論に達するのは、時間の問題だったと言えるでしょう。
そこで私は考えました。知識ではなく、どんな場面でも通用する判断基準のようなものを身につけるべきだと。
そういう判断基準のようなものを探していた時、歴史に耐えた古典を学ぶことだと説く本と出会い、それからは集中的に古典の解説本を読みました。
論語などの儒教関係が中心でしたが、老荘思想なども学びました。
そうやって、何が起ころうとも沈着冷静に対処できるような、しっかりとした自分を作ろうとしたのです。
いわば、知識から知恵へのシフトです。
古典をわかりやすく解説していることもあって、安岡正篤(まさひろ)氏の本もたくさん読みましたし、その影響で、雑誌の「致知(ちち)」も購読しました。
また、人の心理を知ることが重要だとも考えて、心理学に関する本もよく読むようになりました。
しかし、どんなに知恵を学び、己を修養していっても、やはり弱くて小さい自分が消えることはありませんでした。
「所詮、人とはこんなに小さくて無価値なものなのか?」
自分自身の弱さを、乗り超えることができなかったのです。
そのころは、自分に対してものすごく厳しい人間だったと思います。
会津藩の「什の掟(じゅうのおきて)」というのも、儒教から来ているものですが、「ならぬものはならぬ」と言うように、絶対的な価値観に従うことを自分に強要しました。
それだけでなく、同じように他人にも厳しさを求めたのです。
他人にも厳しいけど、自分にはもっと厳しい。
そう自分を評価していました。そしてそれを、「他人に厳しく自分に甘いよりマシだ。」と考えていたのです。
けれども、理性的にはそうあるべきだと思いながら、心のどこかでは「それは違う」と考えていたのです。
いくら自分に厳しくして社会に役立つ人間になろうとしても、完全には弱さを克服できないし、誰からも評価されない。
むしろチャラチャラとしたいい加減な感じの人の方が、異性からモテたり、友だちからも人気があったりする。
それでもかまわないと思いながらも、「なぜそうなるんだろう?」と考え、どこか満たされないものを感じていたのです。
今にして思えば、「神との対話」などと出会う中で、私は知恵からさらに直観へとシフトしたように思います。
理性的に考えれば、自分が自由であることは嬉しいものの、他人を自由にさせることは恐怖です。
ですから「責任のない自由はない」などと言って、他人を規制することを正当化します。
しかし、その他人を規制することを正当化するために、自分をも規制せざるを得なくなるのです。
こうして自由というものを望みながら、不自由を選択してきたことが、知恵の限界だったのだと思います。
今は、心の声に従って、理性を黙らせておくということを考えています。
つまり理性的な判断を封印し、自分の直観に従うという生き方です。
「人はパンのみに生きるにあらず」ということを言って、子どもらしい理想主義的な話をしたとき、父は「されどパンがなくては生きられない」と反論しました。
現実に生きる者として、家族の生活を支える責任を負うた者として、父としては当然のことだったのでしょう。
私がそれに反論できなかったのは、やはり理性的に考えれば、それは正しいことだったからです。
しかし今、私は、その壁に挑戦しようと考えています。
私の中には、どうしてもそれに立ち向かえと言う声が聞こえてくるのです。
理性的な判断をするから、不安を捨て去ることができない。だったら、理性を封印することだ。
無謀かもしれないし、大バカ者かもしれません。
けれども、「それが私らしい生き方だ」と言う心の声に、したがって生きてみようと思うのです。
先日、帰省した時に、25冊の本を持って帰りました。
傾向としては、哲学系か心理学系ですが、子どもの教育や生き方に関するものがほとんどです。
さらに、本田健さんの本なども追加注文したので、未読の本が30冊あります。
これらを読むことで、さらに自分自身をパワーアップさせたいと思っています。
【├ 私の生い立ちの最新記事】