2013年05月21日

すべての答は自分の中にある

昨日の記事で、男女平等と男尊女卑のどちらが正しいのか、ということを書きました。

ここでいう「正しい」とは、絶対的な真理だという意味ではありません。

自分の価値観において、正しいかどうかです。つまり、自分の真実です。


そしてこの正しさは、何の根拠もありませんし、根拠を必要としません。

ただ、自分がそう感じるものです。自然とそう感じてしまうのです。

そういった自分の真実を知り、その真実に忠実に生きることが、自分らしい生き方になります。


ただそのとき、注意することが2つあります。


1つは、他人の価値観を自分の価値観だと思い込んでいるのでは、という注意です。

そういう人は、「常識だよ」とか「普通はこうする」といった、自分以外のものに権威を求めます。

西欧人なら、「聖書にそう書いてある」と、聖典を根拠にするのでしょうね。あるいは、「宗教指導者がそう言っている」などと言うかもしれません。


そうやって他人の価値観に合わせようとすると、だんだんと恨みがたまります。

なぜなら人の本質は自由であり、自分らしく生きたいと思っているからです。

それが制限されるのですから、何に対してかわからないけど、恨みがたまるのです。それをストレスと呼ぶ人もいます。

「良い子症候群」などと呼ばれますが、反抗期のない、親に従順な良い子は、親の愛を得たいがために、自分自身を偽って生きています。

ですからそれがいつか爆発して、非行に走ったり、逆に自分を殺してしまう衝動になったりするのです。


もう1つの注意は、過去の自分の真実を絶対視していないか、というものです。

この世はすべて変化します。変化しないものは一切ありません。諸行無常と言われる所以(ゆえん)です。

その「すべて」の中には、当然、自分自身も含まれます。

私たちは、日々変化し、常に成長を続けているのです。

昨日のあなたは、今日のあなたではありません。

ですから、昨日まで自分の真実だと言っていたことに、いつまでもとらわれていてはいけないのです。

今日感じる真実が、昨日のそれではないと思ったときは、だいたんに変えるべきです。

 

この2つのことを注意していないと、本当の自分の真実を明らかにするチャンスを逃してしまいます。

そのチャンスを逃せば、自分らしく生きることができないでしょう。


自分らしく生きていない時、あなたの魂は感情という言葉で、あなた自身に知らせてくれます。

「なんだか気分がむしゃくしゃする。」「気分が冴えないなあ。」「どうも、しっくりしない。」など。

幸せな生き方をしようとしていても、そう感じる時があります。

そのときは、もう一度、自分自身を振り返ってみることです。

「何かにとらわれているのではないか?」


ブッダは、教えにも戒律にもとらわれるな、と言いました。

執着しないとは、言葉通りに、あらゆるものの必要性を排除することです。

その必要性を排除する必要性さえも、排除することです。

そのようにして、完全に自由な状態に自分を置くことで、本当の自分の進むべき道が見えてきます。


人は本来、誰からも、何も、教わる必要性はありません。

自分が自分の心の声に耳を傾ければ、すべて聞こえてくることです。

ときには答が、誰かの言葉で語られたり、何かの書物に書かれていたりするかもしれません。

けれど、その言葉の中に真実を発見するのは、その人自身の心です。

自分の心が感応したから、それが真実だと感じるのです。


私たちはすでに、答を知っているのです。

それを知らないふりをして生きているだけで、本当は知っています。

ですから、本当は知っているということを知れば、あとはそれに気づくだけなのです。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 12:49 | Comment(0) | 幸せ実践塾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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