メルマガ「SJ通信」では、最近の2回で、私の周囲で起こったドタバタ劇について書きました。
内容はちょっと公開できませんので、どうしても知りたいという方は、「SJ会員」にご登録の上、過去ログからダウンロードしてご覧ください。(今現在はまだ掲載していませんが、近日中に過去ログに入ります。)
「まったく、どうしてこうなっちゃうのかなあ。」
そう言って嘆きたくなるような問題は、私たちの人生ではよく起こります。
それで友だちなどに話をして、共感してもらおうとすることがありますよね。
そんなとき、友だちからこう言われたことはありませんか?
「それくらいなら、まだいい方だよ。オレなんて先日、・・・なことがあったんだぜ。」
共感してもらいたかったのに、軽んじられたような気がして、なんだか話をして損した気分になってしまいます。
でも、ここでちょっと考えてみてほしいのです。
人生における問題って、誰にもあるのでしょうか?なくなることはないのでしょうか?
どんなに恵まれているように思われる人だって、様々な問題を抱えています。
ですから、芸能人の美男美女のカップルに不倫騒動など起こると、興味津々で雑誌やTVのバラエティー番組などを見てしまうのでしょう。
他人の不幸は蜜の味とも言いますが、「へー、あれだけ幸せそうだったのに。人はわからないもんだよねー。」などと言いながら、問題があるのは誰も同じなのだと思って安心するのです。
さて、もし人生から問題がなくならないのだとしたら、私たちの生き方を改める必要があると思えませんか?
問題が起こると、何とかそれを解決しようとします。
それは良いのですが、問題が起こるたびにうんざりし、問題が起きていないときでも、問題が起こるのではと不安になって、気分がスッキリしないというのは、どこか変ですよね。
だって、どうせ問題がなくならないとわかっているのに、うんざりしたり不安になるのでは、人生そのものを楽しめないということではありませんか?
むしろ逆に、問題が起こったら喜び、問題が起こっていないときは、ワクワクしながら今か今かと待ち構える、というような生き方ができたら、人生が楽しいと思いませんか?
実は、人生から問題がなくなることはありません。(きっぱり)
なぜなら、人生の意義から考えてみても、問題がない人生は、人生の意味がないからです。
私たちの人生は、自分自身を進化させ、より高く大きな自分を表現するためにあります。
そうだとしたら、より大きな自分になるための機会(チャンス)が必要ですよね。
それが、人生で起こる様々な問題なのです。
ふとしたことで友だちやご近所さんとケンカしたり、歩いていて犬の糞を踏んづけたり、突然会社からリストラされたり、乗っていた電車が事故でストップしたり、・・・。
このように、様々な問題が起こるのです。
そのとき、あなたはどういう自分であることを選ぶのでしょうか?
問題とは、一見するとピンチに見えます。しかし、ピンチに見える時がチャンスなのです。
そういう、どうすれば良いか迷うような状態だからこそ、より大きな自分を選ぶことができるのです。
聖書にも、イエスの言葉としてこんなことが書かれています。
「自分を愛してくれる者を愛したからとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。自分によくしてくれる者によくしたとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、それくらいの事はしている。 また返してもらうつもりで貸したとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でも、同じだけのものを返してもらおうとして、仲間に貸すのである。 しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者の子となるであろう。いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。」
(新約聖書・ルカによる福音書 6章32-35節)
つまり、愛しやすい人を愛することは、そんなに大したことではないのです。自分が大きくなっていませんから。
けれども、愛しがたい人が目の前に現れたら、そこで葛藤が起こります。
「愛すべきなのだろうけど、大変だなあ。」
その葛藤があるからこそ、乗り越えた時に自分が大きくなるのです。
たとえば恋人から、「あなたって最低ね」と文句を言われたとしましょう。
「ちくしょう!オレにだって言い分はあるんだ。だいたいお前に、そんなことが言える資格があるのか!?」
そう心の中で反論したくなります。大きな問題が発生したのです。
そこです。そのときです。チャンスは目の前にあります。
ですから、どんなに豊かになっても、どんなに人間的に優れた人になっても、人生の問題はなくならないのです。
その人に合ったぴったりの問題が現れます。
そして、「さあ、この状況で何を選択するの?どういう自分であろうとするの?」と、私たちに問いかけてくるのです。
そしてさらに言えば、この問題は私たち自身が創っています。引き寄せていると言っても良いでしょう。
なぜなら、自分の進化(成長)にもっとも関心を持っているのは、自分自身だからです。
自分がどんな課題を持って人生を歩んでいるか、知っているのは自分だからです。
ですから、自分で自分にとってもっともふさわしい状況を創りだし、自分の成長を促そうとしているのです。
人生とは、自作自演のドラマなのですよ。しかも、アドリブが効くドラマです。
そう考えてみたら、人生がつまらなく感じられますか?
もしそうなら、自己の成長の喜びを、まだしっかり味わっていないからです。
思い出してください。
何かができるようになったときの、あの嬉しかった出来事を。
誰もがそういう経験をしているはずです。進化しない人は、誰もいないからです。
その嬉しかった気持ちを思い出せば、人生に対する見方が変わるでしょう。問題に対する捉え方を変えられるはずです。
問題は、決してなくなりません。
ですから、問題から逃げようとするのではなく、問題を歓迎しましょう。
そして、それがチャンスなのだと思って、問題の解決に取り組みましょう。
2013年05月16日
この記事へのコメント
コメントを書く
●コメントを書く前に、こちらのコメント掲載の指針をお読みください。