2013年05月06日

なぜ同じような出来事が何度も起こるのか?

ブログにも書いていますが、今は「神とひとつになること」を精読しています。

その中で、ふと考えさせられた一文がありました。

あなたの観察力が鋭ければ、同じ状況や環境を何度も何度も、新たな自分自身を創造するまで繰り返し呼び寄せていることに気づくだろう。

(p.194)


これは、人生において起こることには意味がない、という話の流れで書かれています。

たとえば、黒猫が前を横切ると不吉だと言われますよね。

そういう謎解きが必要なものは、何もないのだと言うのです。

もし、私たちに知らせたいことがあるなら、間違いようのない方法で知らせる方が良いからだと。

だから、起こる出来事には意味がないのです。

ただその出来事に、私たち自身が意味を与えるのだと。



これはどういうことかと言うと、出来事というのは私たちに、自分を定義する材料を与えてくれるだけだということなのです。

つまり、他人や環境など、あらゆるものとの関係で、「私は◯◯だ」という定義を行なっているのです。

そしてその定義によって、自分の人生を創造しているのだと。


雨が降るという出来事に、「ツイてないなあ」と思う人は、「私はツイてない人間だ」という定義を自分で行ったのです。

雨が降るという出来事に意味があるのではなく、出来事に意味を与えたのです。

ですから同じ出来事でも、「稲がよく育って嬉しいなあ」と考えることもできますよね。

「私は幸せだ」という定義を自分で行ったのです。

 

だから、何かが起こった時に「どうしてか?」と問うのをやめなさいと言います。

意味は私たちが与えるものなのだから、自分で選びなさいと言うのです。

どうして起こったのかを、自分で決めなさいと。

 

そして、さっきの一文です。

同じような出来事を何度も繰り返す。

私にも身に覚えがあります。

私は、同じような失恋を何度も繰り返しましたから。(笑)

微妙に状況が異なるものの、だいたい同じような感じです。


私は、自分には女運がないのかと思いました。

こんなに一所懸命に愛しているのに、どうして相手はその10分の1も応えてくれないのかと思いました。

そして、同じような体験を繰り返したのです。

 

さっきの一文に答があります。

新たな自分自身を創造するまで

つまり、私が同じような自分を創造していたから、同じような結果(出来事)が現れたのです。

出来事に意味があったとするなら、「同じ考えからは同じ結果しか現れないよ」と言うことでしょうか。

あるいは、「ほら、あなたが望んだ通りの結果だよ」と言うことでしょうか。

どうにでも言えますね。


そして私は、あまりに同じような出来事が起こるので、ついに飽きたのです。

そういう人生に飽き飽きしたのです。

だから、「どうでもいいや」とばかりに、必要性を捨てました。

良く言えば開き直ったのです。


もう愛されなくていいと決めたのです。

そして、自分の得にもならないことをしようと決めました。

それは、何も見返りがなくてもいいから、愛そうとすることでした。

 

私が新しい自分を選択したことによって、人生の流れが明らかに変わりました。

あれほど、うまくいかない女性関係ばかりだったのに、生まれて初めて、上手く行ったのです。


原因があるとすれば、それは私自身が変わったからです。

相手から愛されたい自分というものを捨て、相手がどうであろうと関係なく、無条件に愛そうとする自分に変えたのです。

まだ完全とは言えませんが、意図的にそうなろうとしています。

 

それまでの私は、自分の外に原因を探していました。

その原因に対処するため、自分ではないものになろうとしました。

それはすべて相手のため、と思い込んでいました。

でも、そうではありません。

本当は、私がとてもほしいと思っている相手からの愛情を得ようとして、相手がほしいと思うものと取引きしようとしただけなのです。

つまり、自分自身のためです。


そして、その努力が実を結ばないと、相手に原因があると考えて責めました。

あるいは自分に価値がないのだと自己卑下しました。


枝葉の部分で違いはあっても、幹はすべてこのパターンです。

だから、同じことを繰り返したのです。


私が同じように考えていたから、同じような出来事が引き寄せられただけだったのです。

人生を変えたいなら、相手を責めても、また自分を責めても、何の役にもたちません。

そんなことより、自分がどう考えているかを知って、その考え方を変えることです。


「私は◯◯である」というように、より自分らしい自分であることを宣言するのです。

そしてそうであるかのように考え、そうであるかのように行動するのです。


日々の出来事には、何の意味もありません。

その意味を与えるのは、自分自身です。

その与えた意味によって、自分とは何者なのかという定義をすることになります。

宇宙はその宣言をコピーし、私たちの人生に投影してくれるのです。

 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 18:29 | Comment(1) | SJ通信過去ログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
人生同じことが繰り返し起こる。これは間違いないようです。ひとつの人生でなく、また自分の人生だけでなく、子供の人生にも親やそのまた親(祖父母・祖祖父母)で起きたことが、そのままソックリ同じような事象が起きてしまいます。コピーが繰り返されコピーされる。どこかで、それを避けようと気を付けているときは起きませんが、忙しい、いろんなことを考えなければならないなど、そんなことを忘れてしまう、その時に、前に起きた事象やご先祖さんからのコピー事象が起きます。良い事、悪い事関係ないようです。
 さらに、一つの人生で、いつも同じような人間に出くわす。人が変われど、同じようなことを言ってくる人間と何度も出くわす。永遠に続くのでしょうか?
 同じ過ちを犯す奴はバカだといわれますが、人は
同じ過ちを時間を超えてまた犯し、逆に成功や幸福も
時間を超えて再び訪れる。
 自然体で生きるのがようのでしょう。 時流に逆らわず、自然体で生きて、自己の考えを確立することが大事だと思います。
Posted by 匿名 at 2017年06月26日 21:19
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