2013年05月06日

幸せは経験ではなく、意志である

今日は5月6日で会社はお休みです。

日本は5月5日の祝日が日曜と重なったので振替休日ですが、タイも5日が国王の即位(戴冠)記念日で、今日はその振替となっています。

今日は私の他にも出社している社員がいますが、ほとんど誰もいないオフィスで仕事をしています。

 

さて、先日も「神との対話」シリーズ「神とひとつになること」からピンと来たところを書いたのですが、今日も同様に書いてみたいと思います。

「神とひとつになること」

写真はちょっと見づらいですけど、ただ赤線が引いてあるだけでなく、文を囲ったり、上部に範囲の印をつけたり、ページの角を折ったりしているのがわかると思います。

少なくとも読むのは4回目だと思うのですが、何度読んでも、これだけ気づきが得られます。

まあ、それだけ理解が遅いとも言えますけど。(^_^;)


それはさておき、今日、紹介したいのは、幸せについて書かれていた部分です。引用しましょう。

痛みからの解放は、必要なのではなく、そのほうが好ましいというだけだ。必要性から好ましさのレベルに移れば、あなたは自分の経験に比類ない力をふるえるようになる。

(中略)

肉体的な痛みのレベルより下ならば、必要性という幻想に対処するのはずっと容易だ。

幸せになるにはある人物が、成功するにはある仕事が、満たされるには感情的、物質的な何かが必要だとあなたは思うかもしれない。そのときこそ、「たったいまのわたしは、それなしで存在している」、そう気づくべきだ。

それなのに、なぜそれが必要だと思うのか?

よくよく考えてみれば、生きるのには、あるいは幸せであるためにさえ、それは必要ないと気づくだろう。

幸せは経験ではなく、意志である。

幸せに必要だと思うものがなくても、幸せになれると決めればいい。そうすれば幸せになる。

(中略)

あなたの経験は意思決定の結果であって、原因ではない。

(p.198 - 199)


つまり、私たちが出くわす出来事というのは、結果であって原因ではない、ということなのです。

それはつまり、私たちの創造の「結果」であり、私たちの在り方の「原因」ではない、ということです。


原因が私たちにあり、私たちが原因そのものであるなら、出くわす出来事によって左右される必要性はありません。

私たちがそうありたいように、自分で在り方を決めれば良いのです。

そしてその在り方が原因となって、結果である出来事を創造します。あるいは引き寄せます。

このことが、大昔から多くの人が言い続けてきたことなのです。


一見、そうは見えません。幻想は、とても現実的ですから。

だから私たちは、何度もそのことを耳にしながらも、信じてこなかったのです。

何度も何度も、そう言われているのに信じないから、自分の真実とならなかったのです。

 

私はまだ、その一部を知ったに過ぎないでしょう。ほんの一部を体験しただけでしょう。

けれども、その体験によって、そのことが正しいと感じたのです。

もちろんそれは、私にとっての真実です。

ですから、あなたにとっても正しいことだとは言いません。私の言うことをすべて信じるよう強制したりはしません。

ただ、あなた自身で感じてほしいのです。

ひょっとしたら何か、自分が見逃してきたことがあるのではないか?

そう考えて、自分の心の中に答を探してほしいのです。


私は、私の人生をさらすことで、みなさんへのメッセージとしたい。そう思っています。

大昔から言われ続けてきたことが、本当に正しいのか?少なくとも私にとって、本当に正しいことなのか?

そのことを、私がそのように生きることによって、示そうと思うのです。

なぜなら、それがもっとも私らしい生き方だと思うから。

今、私は、そういう生き方ができることを、心から感謝しています。心から喜んでいます。

そして私は今、とても幸せです。
 

posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 14:45 | Comment(0) | 幸せ実践塾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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