2013年04月29日

昇給と愛の減少感

一昨日の記事にも書きましたが、本業の方は昇給・昇進の作業で忙しくしていました。

今は経営者として、社員の給料を決める立場ですが、以前は一般の社員として働いていましたので、両方の気持ちを体験させてもらってます。


社員からすると、昇給がいくらになるかとか、昇進するかどうかは、経営者(上司)から自分がどう評価されているか、という証になるのです。

どれだけ口で「あなたは能力も高くて素晴らしい」と言われても、昇給・昇進で形に現れないと、だんだんと不満に感じます。

「あんなに仕事ができないやつと自分の昇給額が、どうして同じなの?」

このように他人と比べて、自分の取り分が少ないと主張するのです。


そういう気持ちはわかります。私も、同じようなことを体験してきましたから。

ただ私の場合、あまり強くは感じませんでした。

それは、本を読んで生き方を学んできたこととも関係します。

たしか論語にあったと思うのですが、「世間に名前が知られるようになるかどうかを気にするより、評価にふさわしい実力があるかどうかを気にすべきだ。」というようなことが書かれていました。

また、「借りの多い人生より、貸しの多い人生のほうが良い。」ということが書かれた本もありました。

それにも共感したので、自分の評価がどうかよりも、評価される以上の働きをしようと思ったのです。


それに私は、2つの大学に通った関係上、社会人になるのが他の人より4年遅れています。

ですから、高校までの同級生と比べると、明らかに給料が少なかったのです。

年下の先輩に仕事を教わりながら、いつかは実力で追い越そうと思っていました。

そういうこともあって、あまり近視眼的な見方をしなかったのです。


それでも、昇給のときの金額は気になりました。

「なんだ、あれだけ評価が高いと言われても、1万円も昇給しないのか。1年先輩を追い越すには、あとどれだけかかるのだろう。」

そんなことを考えたこともあったのです。

 

今、経営者として社員の給料を決めようとすると、やはり経営者としての立場から考えてしまいます。

予算が青天井なら、いくらでも上げてあげたいのです。

でも、そんなことをすれば、経営が破綻するのはわかりきったこと。だからできない。

その怖れの元になっている考えは、主に以下のようなものです。


まず、社員は毎年昇給することを当然だと考えています。

つまり、今年より来年、来年より再来年と、増えていくのが当然だと。

そうすると経営者としては、少なくとも数年先、もっと言えば10年くらい先の給料がいくらなら適当なのか、ということを考えざるを得ません。

そして当然、今年の給料は、その未来の給料までの曲線の一部として定められるのです。

今年、大幅に昇給してあげたい。でも、もしそれをやったら、来年はそれよりもさらに高い給料を払わなければならない。下げることは、法律上もできないのですから。

誰かの給料が増えるということは、それだけ経費の予算を食いつぶすと言うことです。

会社の利益を目的とする立場の経営者としては、経費を抑えることも、また目的なのです。


また、社員は他者との比較で自分の評価を考えます。

まずは同期の社員と比較し、自分の評価が高いのか低いのかを考えるでしょう。

そして、同期ではない他の社員とも比較します。

「入社して間もない社員の昇給額が大きいのに、もっと大変な仕事をしている中堅社員の昇給額が少ないのはどうして?」


給料の総額に予算があると、その配分に経営者は頭を悩ませます。

どこかの層を手厚くすれば、どこかを削るしかありません。

日本と違って、転職することが当然と考えている人が多いタイでは、仕事を覚えて使えるようになった社員がどんどん辞めてしまうので、とても影響が大きいのです。

ですから、そういう社員が辞めないようにするために、入社してから3〜5年くらいの社員の昇給額を大きくしてあります。

でもそうすると、30歳くらいからの昇給額が目立って抑えられるようになり、それ以降の社員が不満に感じるのです。

 

以前にハマった宗教では、「愛の減少感」ということを教えていました。

神は完全な愛なのだらから、神からの愛が減ることはない。けれども、それを受け取る側の人間が、「愛が減った」と感じることがあるのだと。

聖書の中で、アベルとカインの物語があります。

その中でカインは、弟のアベルを殺してしまいます。理由は、神がアベルだけを愛して、自分を愛してくれなかったから。

カインはそう感じたのですが、それを「愛の減少感」と呼ぶのです。


できの悪い社員が自分と同じだけ給料をもらうと、なんだか自分の価値(評価)が損なわれたような気がする。

「あなたは、あなたとして充分な額をもらっているじゃないか。」

そう言われても、評価されていないと感じてしまうのです。

 

今回の昇給・昇進でも、本当に頭を悩ませました。

できないと思われる社員だって、良いところはたくさんあるのです。

それなのに、ある特定の価値観だけで能力を判断し、給料で差をつけるべきなのでしょうか?

差をつけられた社員は、どうして自分の評価が低いのかと、不満に感じるかもしれません。


結局、どうやっても全員を満足させることはできないのです。

誰もが満足する答があるなら、とっくの昔にその解決策が示されているでしょう。

答がないからこそ迷うのであり、迷うからこそ自分らしさを発揮できる余地があるのだと思います。


最終的な拠り所は、「そうすることは自分らしいか?」という質問の答しかありません。

誰もが満足する完璧な判断ではないし、他の人とは違うかもしれないけれど、「これが私だ」という結論を出すしか他に仕方がないと思うのです。

そしてその自分らしさを考えるとき、もう1つの質問を自分に対してします。

「今、愛ならどうする?」

経営と関係ないと思われるかもしれませんが、私は、経営もまた人生の一部だと思うのです。

人生の一部だということは、私の一部だと言うことです。つまり、私自身の表現なのです。

どれだけ怖れを手放せるのか?不安を捨て去り、どれだけ愛として生きられるのか?それが私自身への挑戦です。

 

今日、社員全員に、昇給と昇進を発表します。

社員がそれをどう受け止めるか、それはわかりません。

少しでも気持ちを汲んでくれれば良いがと思いますが、それへの執着は捨てます。

社員たちがどう思うかは、社員たちの自由です。

ただ、私はこの状況の中で、自分らしい表現ができただろうか、もっと良い表現がなかっただろうかと、これからも考えると思います。

そして、こういう現実を生きることができることを、心からありがたいと思うのです。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 12:28 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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