「小さなコツ塾」を開いて、生きるためのコツを教える活動をされています。
私も毎日、野澤さんのメルマガを読んでいます。
昨日も読んだのですが、その内容が心に残りました。
同じ内容がブログにあるので、そちらをお読みください。
「自分を好きになるコツ」についてです。
野澤さん自身が、10年かけてやっと気がついたというもの。
そのコツを説明している部分を引用しましょう。
◆------------- 引用始め -------------◆
自分を認められず空回りする
自分を客観的に見てみると、
二つの勘違いを続けて
いたことが分かりました。
一つは、
何かを手にすることで
自分を認めようとしていた。
仕事で成功し地位や名誉、
お金を手に入れれば、
高級な家、車、服、時計が
手に入れば自分を認められる
だろうという勘違い。
もう一つは、
完璧な自分になったら自分を
認められるだろうという勘違い。
(中略)
この二つの”だろう”が大きな勘違いでした。
10年間、いくら努力しても
その先にゴールはありませんでした。
一番の近道は、
今のありのままの自分を受け入れ、
自分で認め、温かく育てていくこと。
それができるようになると、
現実が一気に好転していきました。
(中略)
結局、
今のありのままの自分を認め、
受け入れ、愛さないない限り、
何をしても、何を手に入れても
永遠に満たされることはない。
◆------------- 引用終り -------------◆
つまり、何か素晴らしい価値を得ることができれば、自分のことが受け入れられるようになると考えたのは、間違いだったと言うのです。
それは非常に遠回りで、近道は今の自分を、そのまま受け入れることだったのだと。
これは、「本物の自信」と同じことですよね。
自信というものも、何かが他人より優れているから得られる自信と、何の根拠もなく持っている自信の2種類があります。
そして前者を、私は「偽物の自信」と呼んでいます。
後者の「根拠のない自信」こそが、「本物の自信」です。
なぜなら、他者との比較によって得られた自信は、同様に他者との比較によって簡単に崩れるからです。
したがって、その自信を保持し続けようとすると、常に他者との競争に勝たなくてはなりません。
そのためにどうするか?
強迫観念に駆られたように、自分を進化させる努力をする。
あるいは、負けない相手とだけ競争するよう、対象となる他者を絞る。
前者は疲弊するでしょうし、後者は性格がねじ曲がります。
ですから、本物の自信を持たなくてはなりません。
本物の自信は、今の自分をそのまま受け入れることです。
そのままで、自分は素晴らしく価値のある存在だと認めることから生じる自信です。
これは文字通りです。
学校の成績が悪い自分を、足が短くて胴が長い不恰好な自分を、異性にモテない自分を、そのまま受け入れるということです。
受け入れるとは、「それでいいんだよ」と認めることです。
では、どうして、そんな無価値と思える状態の自分を、「それでいいんだよ」と認められるのでしょうか?
どう考えたら、そんなふうに思えるのでしょう?
その考え方がわからない限り、本物の自信は得られません。
よく考えてくださいね。
たとえば成績が悪いという自分ですが、それは単に事実です。
この場合、「悪い」というのは価値判断ですから、正確に言えば、成績がクラスで下から10番以内に居続ける自分ということでしょうか。
その事実を変えることはできませんが、その評価を変えることは可能です。
その事実を「悪い」と呼ぶこともできますが、「良い」と呼ぶことも可能なのです。
悪いと考えるのは簡単なので、良いと考える例をあげましょう。
たとえば、成績の順位は、2番がいるから1番がいるのです。
もちろん、全員が同点なら全員が1番でしょうけど、それでは順位をつける意味がありません。
順位をつける人が1番を喜ぶのは、2番以下の人がいるからです。
と言うことは、下位の人がいてくれるから、相対的に上位の人が優越感を得られているわけです。
つまり、上位の人が喜べるのは、下位の人のお陰です。
下位の人は上位の人を、喜ばせてあげたのです。
他人を喜ばせてあげられる人って、素敵じゃありませんか?
上位の人は下位の人に感謝すべきですね。
自虐ネタではありませんよ。
事実、そうではありませんか?
つまり、事実(=自分の属性)をどう価値判断するかは、自分が決めることです。
自分が受け入れやすいように、意味を与えたら良いのです。
そして、そうなると、事実そのものには大した価値はなく、それよりも、そこにどういう意味を与えるかが、より重要だと言えますよね。
もしそうなら、その意味を与えている存在、つまり自分そのものの価値がはるかに素晴らしいことになります。
現実がどうであろうと関係なく、そこに意味を与えられる自分。
その素晴らしい価値を認識するだけで、最大級の自信が得られるわけです。
「でも現実には、成績が悪かったら良い大学にも入れないし、良い会社にも就職できないでしょ!?」
それこそ考え方次第です。
何を良いと言い、何を悪いと呼ぶかです。
入れた大学を「良い大学」と考えればよいのだし、就職できなければ、他の道を行けという天の導きだと考えれば良いのです。
それに、仮にレベルの高い大学に進学し、大企業に就職したとしても、それがどうしたと言うのです?
「みんなから尊敬されるし、お金も入るから、幸せになれるじゃないか。」
果たして、そうでしょうか?
そこがそもそも考え違いなのですよ。
中卒で社長になり、納税額日本一になった斎藤一人さんもおられます。
昔なら松下幸之助さんも、バリ島の兄貴こと丸尾孝俊さんも高学歴ではありませんから。
「それは特殊な例でしょう。確率的には、やっぱり高学歴でないと...。」
「確率的に」と言いましたね。
そこに、間違った考え方(信念)が表れています。
つまり、そう言うことによって、自分の人生は確率的に他の要因によって決まると、自分で宣言したことになるのです。
自分が認めたということは、自分がその意味を与えたと言うことです。
だからあなたの人生は、確率的に他の要因で決まる人生なのです。
成績や学歴など、自分の成功や幸せとは何の関係もありません。
容姿の優劣も、自分の成功や幸せとは何の関係もありません。
それを自分で認めないから、認められなくなるような出来事を引き寄せてしまうのです。
自分の信念が、自分の人生を創造しているのですよ。
もうそろそろ、自分でも気づいているのではありませんか?
あなたは、ある事実が原因で自分のことが好きになれず、自信を持てないでいると考えていた。
そう考えているから、そうなのです。
逆に言えば、もしそう考えなかったら、そうではないと言うことです。
あなたの人生は、あなた自身が創造しているのです。
自分が創造した通りの人生を、あなたは体験しているのです。
つまり、あなたは創造者です。
それって、素晴らしくないですか?
自信を持てるようなことではありませんか?
さらに言えば、あなたは創造者でなくなることはできません。
誰にもその能力を奪う力はないのです。
ただあなた自身が、創造者でないフリをすることができるだけです。
創造者でないフリをしながら創造するから、自分が創造したものに驚いている。
自分のマジックだと忘れていて、そのマジックに驚いているマジシャンのようなものですね。
今までのあなたは、まさにそうだったのです。
いずれにせよ、そんなおちゃめなことまでするあなたは、なんと素晴らしい存在でしょう。
自分のこと、好きになれませんか?
自分のことを好きになり、受け入れ、自信を持つなら、意識して、意図的に創造できるようになります。
そういう生き方を、あなたに提案しているのです。
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