2013年04月22日

愛は何も必要としない

今、「神との対話」シリーズ「神との友情(上)」を精読しています。

その中に、愛について書かれていた部分を、今朝、読みました。

何度も何度も読んでいるのですが、そのたびに「なるほどなあ。そうなんだよなあ。」と思います。

神との友情(上)


その内容を紹介しようと思ったのですが、本が手元にない(自宅にあるので)ため、引用ができません。

それでも今日は、そのことについて書きたい気分なので、私なりに解釈したことを書こうと思います。

 

まず、愛することと必要性を、同じものとか似ているものと勘違いしている人が、とても多いと思います。

「I love you.」と言ったあとで、続けて「I need you.」と言うのは、もう定番ですよね。


「あなたが居ないと、私は生きていけないの。」

こんな殺し文句に、クラクラっとしてしまう男性も多いでしょう。(笑)


何を隠そう、私自身がそうでした。

必要とされたかったし、相手の愛を必要としていたのです。


しかし、それが愛だと勘違いしていたために、私たちの、いえ、私の愛は悲惨なものになったのです。

相手に対して、様々なものを求めました。優しさだったり、気遣いだったり、貞操観念だったり。


そして相手にも、私を必要とすることを求めました。

私が必要とされていないように感じると、不安になってこう言ったのです。

「もう、ぼくのことを愛していないの?」

 

この何かを必要とする考え方は、相手に負担を強います。

「私がこれだけ想っているんだから、その十分の一くらい応えてくれたっていいじゃないか。」

だいたい、そんな風に誰もが考えるのです。

「たまには電話してきてくれてもいいでしょ。いつも私から電話してばかり。私のこと、そんなに好きじゃないの?」


相手は動揺するでしょう。

「私の何がいけないと言うんだろう?そんなに悪いことをしたのかなあ?」

そして、相手を失うかもしれないという不安が大きいと、自分を偽って相手に合わせようとします。

しかしそれは、自分の自由が犠牲にされることですから、徐々に耐えられなくなるでしょう。そしていつか、爆発するのです。


不安がそれほど大きくない場合は、束縛しようとする相手に耐えられなくなるでしょう。

「うっとうしいなあ、いちいち。いいじゃないか、オレにはオレのやり方があるんだからさ。」

いずれにせよ、その愛は破局を迎えることになるのです。

 

何が間違っていたのでしょうか?


それは、愛だと思いながら、相手の何かを必要としたことです。


 

ただ必要なものを必要と考えるだけだったら、まだ問題が少なかったのです。

たとえば奥さんがご主人に、毎月の生活費をもらおうとする。

「あなた、今月の生活費をくださいな。それがないと、家族が生活していけないんだから。」

愛とかどうとか関係なく、家族のために生活費が必要だと言えば、特に問題にはならないのです。


けれども、必要性を感じることが愛であり、またそれに応えることが愛であると勘違いすると、とたんに問題が大きくなります。

「あなた!どうして生活費をくれないのよ!あなたの家族でしょ?家族のことを愛していないの?」

「もちろん愛しているさ。でも、いろいろ事情があるんだよ。ちょっとくらい待てないの?そのくらいのこと、愛があるなら何とかやりくりしろよ!」


愛は、何も必要としないものです。

なぜなら、愛は無制限だから。

何にも制限されないということは、自由だということです。



愛は、相手が幸せであることを望むのです。

もしそうだとしたら、どうして相手の何かを必要とするでしょうか?

相手が幸せなら、それで良いではありませんか?


相手が自分に優しくないとしても、相手がそれで幸せそうにしているなら、喜んでいられるはずです。

仮に相手が浮気をしたとしても、それで相手が楽しいのなら、それすら喜んでいられるはずです。

相手が自由で、自分らしく生きているなら、そのことを喜べる。それが愛なのです。


それを勘違いして、自分が幸せになるために相手の何かが必要だと思い、その必要なものを手に入れるために自分の愛を差し出そうとする。

そんな取引きを愛だと思っているから、上手く行かなくなるのです。


取引きなら取引きとして、きちんと契約書を交わせば良いのです。

具体的に、誤解がないように、すべてのことを決めて、契約すれば良いだけです。

仕事や商売では、そのようにしているではありませんか?

もしどちらかがその契約に違反すれば、定められたペナルティーが課されて、契約が破棄されるだけのことです。

死ぬだ殺すだなどと、ドロドロの状態になる必要性など、どこにもないのです。


すべては、愛と必要性を同じようなものと勘違いしていることが原因です。

ですから、その違いをハッキリとさせることが重要です。

自分は今、相手の何かを必要としているのだろうか?

その必要性がある限り、本当の意味で相手を愛することはできないのです。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 20:40 | Comment(0) | 私の考え | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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