何の気力も起こらず、ただ寝て、起きて、また眠くなるのを待つ日々。
起きて誰かと話をしても、たわいもない話をしているときはいい。
でもいつかは、「今のままじゃいけないよ。」という話題になってくる。
そうすると、自分が責められているような気持ちになって、とても辛くなった。
その辛さは、いつまでも私の心の中に残り、私を責め続けた。
だからその辛さから逃げるために、没頭するものを探した。
通常なら1回100円するゲームセンターのゲームが、そこは1回50円でできた。
古い機種だからだろう。昔やったことがあるようなゲームばかり。
「4回200円までにしておこう。」
最初はそんなことを思うのだが、それで終わるはずがない。
1度行けば、最低でも500円は使ってしまう。それで終われば良い方で、結局は最初に両替した1000円すべてを使ってしまうのだ。
親からもらう月に2万円の仕送りが、そうやってゲーム代に消えていった。
「こんなことやっていても何にもならないのに・・・。」
そう頭ではわかっていても、どうにもならなかった。
そんな引きこもりの日々は、いったいどのくらい続いたのだろう。
1年だったか、2年だったか。
将来に何の希望も見出だせなかったが、このままじゃいけないということだけはわかっていた。
「もういい。すべて捨てて、まっさらな状態からやり直そう。」
そう考えたとき、なんだか力が湧いてきた。
今から思えば、捨てる決意をするために、時間が必要だったのだと思う。
もちろん時間をかけずに済むなら、その方が良いのだろうけど。
でも、逆を言えば、時間をかけさえすれば何とかなるとも言えるわけだ。
猛烈な吹雪の中では、下手に歩き回らない方がいい。
同じように人生においても、木枯らしが吹き荒れているときは、身体を丸めてうずくまっているだけで良いのかもしれない。
自暴自棄になって転げ落ちるよりは、じっとしていた方がいい。
そうすれば、いつかは変わりたいという欲求が芽生えてくるから。
細木数子さんの六星占術が流行ったとき、私も自分を占ってみた。
木星人マイナス。
理詰め、几帳面、我慢強い、対人関係が不得手、大器晩成型、策士。そして、「石橋を叩いても渡らない」ほど慎重。
私が自覚している性格が、ピッタリ当たっていた。
そしてその占いによれば、大殺界の時は下手に動くなとのこと。
残念ながら、その引きこもっているときは大殺界ではなかったので、そういう意味では占いが当たったとは言えない。
でも、大殺界のとき、つまり人生で八方塞がりの時は、動かない方が良いというアドバイスは当たっているように思う。
ジタバタしたってどうにもならないときは、ジタバタするなってこと。
大丈夫、何とかなるから。そう思って、嵐が過ぎ去るのを待つ他ない。
「生きてさえいれば、何とかなるから。」
NHKのドラマ「開拓者たち」で、主人公のハツが口癖のように言っていた言葉が、なぜか心に響いた。
きっと私も、そういう体験をしてきたから、その記憶が思い起こされたのだろう。
【├ 私の生い立ちの最新記事】