昨夜は、タイに来て以来の友人と、久しぶりに焼き鳥屋で会食しました。
もう12年になります。
お互いに、10年以上も同じところで暮らしているなんて、田舎以来のことだみたいなことを話して、この10年を懐かしみました。
そのせいでもありませんが、昨夜は夜中の2時くらいから明け方5時くらいまで、ほとんど眠れませんでした。
この日も暑くて室温が34度くらいだったのですが、23時くらいには扇風機をつけてベッドで横になりました。
しかし2時前くらいに、暑くて目が覚めました。
それで、エアコンを27度で1時間後に切れるように設定したのです。
ところが、身体の上側の表面は冷えるものの、ベッド側が冷えません。
何度も何度も寝返りをしていたら、1時間が過ぎてしまいました。
空気は冷えてきているので、今度は28度で1時間に設定したのですが、うまくシグナルが飛ばなかったようです。
1時間を過ぎてもエアコンがつきっぱなしだったのに気づいて、手動で切りました。
4時を過ぎたころ、明らかに気温が下がって寝苦しさがなくなったので、そのうち眠るだろうと思ってウトウトしていました。
そして目が覚めたら長針が30分くらいだったので、7時半の目覚ましが鳴るころだと思って起き、携帯電話の時間を見たらびっくりです。
なんと8時25分です。いつもは8時半に部屋を出るので、完全に寝坊でした。
おそらく寝室のドアを閉めていたため、リビングに置いた携帯電話の目覚ましの音が聞こえなかったのでしょう。
あわててヒゲを剃り、シャワーを浴び、着替えて部屋を出たのが8時35分でした。
我ながら、なんと素早い準備でしょう。
お陰で遅刻せずに済みました。 (^^ゞ
こんなとき、以前だったらまったく違った心情だったと思います。
「うわっ、なんで目覚ましが鳴らないんだよ!?ちくしょう、暑くてエアコンをかけたためにドアを閉めて、それで聞こえなかったんだ。なんでこんなに寝苦しいくらいに暑くなるんだよー!?」
もうすべて、周りのせいです。(笑)
目覚まし時計を設定している携帯電話をリビングに置いておくのは、目覚ましのアラームがうるさいと妻が言ったからです。
きっとそのことも取り上げて、妻が悪いと、妻のせいにしたかもしれません。
そして機嫌を悪くして、自分がいかにツイていないかと言って、運命を呪うのでしょう。
冷静に考えれば、すべて私に原因があります。
エアコンをかけてドアを閉めたなら、そのとき携帯電話をベッドルームへ入れても良かったのです。
あるいは、外気温が下がったとわかった時点で、寝室のドアを開けても良かったのです。
方法はいくらでもあったはず。
でも今は、こんなことで苛立ったりはしません。
まず思ったのはこうです。
「うわぁ、ラッキーだった。8時25分なら、10分くらいで着替えられるから、遅刻せずに行けそうだ。目覚ましが聞こえなくてもこの時間に目覚めて、本当に良かったよ。」
そして、どのくらいで部屋を出られるか、自分への挑戦だと思って急いで準備することを楽しんだのです。
暑くて寝苦しかった時も、嫌な気分にはなりませんでした。
眠れないなら、この眠れない状況を楽しもうと思ったのです。
その日あったことを反芻してみたり、これから起こりそうなことを想像して楽しんだり。
そんなふうに今あるがままで満足し、心穏やかに余裕を持っていられるのも、日頃の努力の賜物だと思います。
今日、「「原因」と「結果」の法則B」を読み終えました。これから最後の4冊目に入ります。
3冊目の本には、最後の方(p.186 - 191)に満足することについて書かれていました。
それによると、満足すべきものと満足すべきでないものがあるが、それを混同するから満足することに対して、良いとか悪いなど、相反する評価があると言うのです。
そして、満足すべきことは次の3つだと言います。
@自分の人生内で発生するすべてのこと
A自分がいま所持しているもの
B自分がめぐらす清らかな思い。
これらは満足することによって、「悲しみや落胆から」、「不安や不幸から」、「自らを苦悩に陥れる、けがれた思いから」、それぞれ「自由になる」と言うのです。
一方、満足してはならないものにも、以下の3つがあると言います。
@自分の知識
A自分の人格
B自分の知恵
これらに満足すると、進化や成長が止まってしまうのです。
ですから、「真の満足を感じている人たちは、精力的かつ勤勉に働き、あらゆる結果を、増加した知恵や知識とともに、穏やかな心で受け入れ」ると言います。
「足るを知る」とよく言われますよね。
現状に満足しなさいというわけです。
しかし、これに対して「現状に満足したら進歩しなくなるじゃないか?」という反論があることも知られています。
そのことについて、すでに100年以上前に答が与えられていたのですね。
自分の人生で起きた出来事や、今現在、持っているものについては、それで充分だと満足すべきだと言います。
けれども、自分の知識や知恵、人格といった成長するものに関しては、現状で満足してはならないと。
今の現実は、過去の自分の思考の結果です。
結果に対して文句を言っても、その結果を変えることはできません。
変えるべきは起きてしまった結果ではなく、それを引き起こした原因である思考です。
そう考えて研鑽を積むなら、より大きな自分を表現できるようになります。
昨日より今日、今日より明日と、日々成長していく自分を見るのは楽しいことです。
そういう成長の過程にあるのだとわかれば、穏やかな気持ちでいられます。
そして、出来事はすべて自分の成長のための最適な条件だとわかれば、それらを満足して受け入れることもできるでしょう。
寝苦しいほど暑かったのも、明け方まで眠れなくて寝坊したのも、すべて私にとって良いことです。
それを満足して受け入れるから、私は穏やかな心でいられるのです。
2013年04月03日
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