最近のメルマガ「SJ通信」では、かなり過激だと思われる内容を書いています。
特に性的(セクシャル)な表現が過激だと思われるので、「(18禁)」とタイトルに入れ、そういうのを読みたくない方へ配慮しています。
私自身、これはちょっと過激だなあとは思うのですが、やはりここで遠慮していては私らしくないと思い、表現を緩めないようにしているのです。
こういう過激なメルマガを書くと、評価がはっきりとわかれますね。
メルマガの解除は、だいたいこういう過激なものを書いたあとに発生します。
その一方で、「良かった」という反応も、こういうメルマガの後の方が多いようです。
今回は、特に「良かった」という反応が多かったので、書いた本人が驚いています。
「別に共感されなくてもかまわない。ただ、私が真実だと思うことを、私の真実として語ろう。」
そういうつもりで書くのですが、それでも共感していただけると嬉しいですね。
感想を送ってくださった方もおられるので、その一部を紹介しましょう。
・Nさん
楽しく、学になります ありがとうございます。
・Rさん
いつも興味深く拝読させていただいております.
今までもやもやして,何とも府に落ちなかった性に対する幾つかの事柄が,今日の先生のメールで少し氷解しそうな気がします.
ありがとうございます.
・Fさん
いつも質の高いメルマガありがとうございます。今回の回は全くその通りと思います。
メルマガの最後にあるURLをクリックして、「良かった」と意思表示してくださったみなさん、そしてこのように感想を送ってくださったみなさん、どうもありがとうございました。
みなさんの励ましや応援は、私にとってブログやメルマガを書く力となります。
少しでも誰かの役に立っているのだと思うと、書きたいという意欲が増すのです。
ただ、共感していただくことは嬉しいのですが、そこに執着しないように考えています。
嬉しいからと言って執着すると、読者に媚びるようになります。
つまり私の真実を語るのではなく、読者ウケすることを書くようになってしまうのです。
商売的にはそれが王道かもしれませんが、私は、それは私らしいことではないと思うのです。
ですから、執着しないように心がけながら、これからもブログやメルマガを書いていくつもりです。
ところで、執着と言って思い浮かぶのは、幽霊ですよね。
ちょっとまだシーズンには早いかもしれませんが、タイはもう真夏ですから。
まあタイの場合、季節に関係なくお化けの映画がありますけどね。みんなピー(お化け)が大好きですから。
怖がるくせに、大好きなのです。怖いもの見たさでしょうか。
そのせいか、怖がらずにピーを見たいという欲求からか、ピーを題材にしたコメディーがけっこうあります。
今、上映されている「ピー・マーク・プラカノン」も、そんなコメディータッチの怪談です。
タイ人は、この映画を観て大爆笑するようで、そのヒットぶりがTVでも取り上げられていました。
劇場内で指さしながら大笑いする観客...。
あれっ、監視カメラの映像を、勝手にTV放映しちゃっていいの?ま、ここはタイですから、なんでもありですね。
と言うことで、いくら暗がりだからといって、おかしなことはしないようにしましょうね。
実際、変なことをしてて、捕まっちゃった人もいるようですから。
それはさておき、この映画の題材は、タイに昔から伝わる怪談「メー・ナーク」です。
好き合って駆け落ちした夫マークと妻ナーク。
しかし、マークが徴兵で出兵している間に、ナークは死んでしまいます。
マークが村に戻ると、死んだはずのナークが家にいます。
マークは村人が嘘をついたのだと信じず、幽霊のナークと生活するのです。
日本で言うなら、四谷怪談とか番町皿屋敷のような定番の怪談です。
それをコメディーにして、夫マークの視点で描いたものだそうです。
幽霊とかお化けを怖がるのは、世界中どこも同じかもしれませんね。
では、どうしてお化けが怖いのでしょうか?
実は私、今は幽霊とかお化けがまったく怖くないのです。
以前は怖がりで、夜中に1人でトイレに行けないほどだったのですが、最近はまったく平気です。
それでなぜ怖いのだろうと考えたのです。
幽霊は、執着心がとても強いのです。
もう執拗につきまといます。ストーカーと同じですね。
壁でもすり抜けてしまいますから、物理的に防ぐことができません。
何をされるかわからないという不安が、恐怖心を生み出しているのだと思います。
怪談を見ると、たいてい幽霊は人間を怖がらせて怖がらせて、最後は殺してしまいますよね。
でも、あれを観て私は思うのです。
「だったら最初からすぐに殺したらいいのに。」
殺すことが目的なら、さっさと殺したらいいと思うのですよ。
そうしたら、殺された人間も幽霊になりますから、今度は対等です。(笑)
と言うことは、幽霊の目的は殺すことではありません。
傷つけたいのではなく、愛されたいのです。
愛されたいという強い欲求が、愛への執着心が、「なんとかしてくれー!」という思いになってつきまとうのです。
そうだとしたら、愛してあげるしか方法はないのです。
愛するというのは、何も相手の欲求に応えることではありません。
相手を受け入れ、相手の自由を尊重し、相手が自由であることを喜んであげることです。
相手と意見が違っても、自分の意見を相手に押し付ける必要もないし、相手の意見を鵜呑みにする必要もないのです。
関心を持ちながら、無理に影響を与え合おうとはしない。
一見、無関心に見えるけれど、関心を持ち続けること。
それが、愛することだと思うのです。
それで相手が殺したいと言い、物理的に防ぐことができなかったなら、殺されるしか仕方ないではありませんか。
そう思っているので、私はもう幽霊が怖くないのです。
もし幽霊と出会ったなら、きっと出会う理由があると思うのです。
その体験を通じて、より自分らしい自分を表現する機会にしたい。
そう思うのです。
2013年04月01日
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