徳島県徳島市に「マチコミ図書室」という私立の図書室があります。
ここは、将来の日本を担う子どもたちに読んでもらいたいと思う本などを置いて、子どもたちのより良い成長のために作られたものだそうです。
そしてここは、「みやざき中央新聞」の公認ライブラリーとなっています。
「マチコミ図書室」のFacebookページもあって、そこでは同紙の過去の社説なども、ときどき画像で紹介しています。
その中から、先日紹介されていた「「宮崎映画祭」がやってくる!」と題した社説を紹介したいと思います。
最初は、このタイトルを見ても何の話題かわかりませんでした。
あとでわかったのですが、これは宮崎映画祭でアカデミー短編賞を受賞した「ビザと美徳」という映画が上映されることに関連して、杉原幸子さんから伺った話について書かれたものでした。
杉原幸子さんと聞いても、ピンと来ない人は多いでしょうね。私もまったく存じ上げませんでした。
でも、杉原千畝(ちうね)さんという名前なら、多くの方がご存知でしょう。幸子さんは、千畝さんの奥さんなのです。
日本のシンドラー(※)と呼ばれた杉原千畝さん。
※1993年に公開されたスティーブン・スピルバーグ監督の映画「シンドラーのリスト」が大ヒットしたとき、日本にも同じようなことをした人がいたとして、杉原千畝氏が注目されることになったため。映画は、ドイツ人実業家のオスカー・シンドラー氏が、1,100人以上ものユダヤ人の命を救ったという実話を元に作られた。
ご存知のように、ナチスドイツのユダヤ人狩りから逃れようとした人々に対して、最後までビザを発給し続けたという外交官です。
その数、2000人以上(※)。退避命令が出されて列車に乗ってからも、なおもビザを求めて押し寄せてくる人々のために、ビザを発給し続けました。
※社説では、後に助かったユダヤ人から聞いた人数として2000人という数字が書かれています。一般的には6000人のユダヤ人が助かったと言われています。
しかしあのビザは、日本政府の命令に反して発給されたものだったのです。
その経緯が、この社説の中で書かれていました。
「日本経由でアメリカへ逃れたい。だからビザを発給してほしい。」
そう言ってやってくるユダヤ人が、日増しに増えていったそうです。
当時、日本はドイツと同盟関係にありました。もしビザを発給して彼らを助ければ、外交問題に発展しかねません。
もちろん自分たちも、反逆分子として制裁を加えられる恐れもあります。
幸子夫人には当時、5歳、3歳、3ヶ月という3人の子どもたちがいました。
「子どもたちを守りたい。」母として、そういう思いがあっても当然だったでしょう。
日本政府に問い合わせた返事は、「ビザを出すな」でした。
内心、ホッとしたかもしれません。「命令だから仕方ない。」そう自分に言い聞かせることもできたでしょう。
でも窓の外を見ると、遠くからやっとの思いで歩いてきたのか、ボロボロの身なりのユダヤ人たちが、祈るような目でこちらを見ています。
中には、自分の子どもと同じくらいの年に見える子どももいます。
「この人たちを見捨てて良いのか?本当にそれで良いのか?」
心の中で、何度も同じ質問をしたことでしょう。
そんなとき、5歳になる息子さんが無邪気にも尋ねたそうです。
「あの人たち、何をしているの?」
幸子夫人は、悪い人に殺されるかもしれないから、助けてほしいと言って来ているのだと説明しました。
すると、息子さんが言ったそうです。
「かわいそうだね。助けてあげようよ。」
そう説明すれば、そう答えるのは当然という答です。けれども杉原夫妻は、その息子さんの一言で心を決めたのです。
「もう自分たちのことを考えるのはやめよう。人間として行動しよう。」
自分たちが制裁を受けるかもしれない。外交問題になるかもしれない。それによって、日本国民全員から非難され、罵倒されるかもしれない。
でも、これをやらなかったら自分たちは、人間ではなくなってしまう。
杉原夫妻が、すべてを捨てる覚悟を決めた瞬間です。
あとになって、自分でもそうすると言うのは簡単なことです。
その渦中にあるとき、本当にそういう決断ができるでしょうか?
自分が犠牲になるだけならまだいい。
自分だけでなく、子どもも犠牲にしなければならないかもしれない。
いや、日本全体を危険な方向へ押しやることになるかもしれない。
それでも、目の前の外国人の命を守ろうと思えるでしょうか?
おそらく杉原夫妻には、日頃から人の命を大切に思う信念があり、日本人も外国人も等しく重要な価値があるという信念があったのでしょう。
だからそういういざという場面でも、命を守ろうという選択ができたのだと思うのです。
2013年03月28日
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