2013年03月18日

子育ては老人が担うべき仕事

昨日、「神との対話A」を読み終え、引き続いて「神との対話B」を読み始めました。

「神との対話A」から「神との対話B」へ

いつも言うことですが、何度読んでも「神との対話」シリーズは飽きません。

そのたびに新たな気づきがあります。


昨年10月から精読を始めたときは、気になったところに青ペンで線を引きました。

今回は赤ペンで線を引いていますが、必ずしも同じ場所に引くとは限りません。

前回は何となく読んでスルーしてしまったところが、今回は気になったのです。


昨夜から今朝にかけて読んだところに、子育てに関する記述がありました。

その中で、子育ての問題について語っています。

この世の子育ての問題は、親が子を所有するという考え方によるものだと言います。

つまり子どもは親の所有物だから、親が子育ての責任を担わなくてはならない、という価値観です。


そう指摘されてみると、たしかに私たちは、「親が子を責任持って育てるのは当然だろう。」と、無意識に感じています。

でも、それは本当でしょうか?


「何言ってるの?動物だって、子を育てるのは親じゃないの。親が子を育てるのは、義務とか責任とか言う以前のことでしょう。」

そういう反論があるのはわかってます。

けれど、そうとは言い切れない思いもあるのです。


まず人間は、子育てに非常に長い時間がかかります。

動物では、最長でもだいたい1年でしょう。

もちろん寿命の違いもありますが、親が次の子どもを産む段階になれば、それまでの子育ては終わるというのが動物界の子育てです。

けれども人間は、今では20年くらい子育てをします。

肉体的な成長もそうですが、精神的な成長にも子育てが影響します。いわゆる教育の問題です。

同じ「子育て」とは言っても、動物のそれとはまったく次元が異なっているのではないでしょうか?


私は、広島大学の学校教育学部を中退しました。

理由は人生をリセットするためというのがメインでしたが、少なからず「私のような人間が教師になってはいけない」という思いもありました。

「自分自身でさえきちんと導けないような人間が、他人を教えるなんておこがましいにも程がある。」

TVドラマの「金八先生」を観て、あんな先生になりたいと憧れていました。

けれども、私にそんな資格(資質)があるのだろうかと考えると、どうしても踏み出すことができなかったのです。

「神との対話B」にも、この世では自分の精神を養っている段階で子育ての責任まで負わされるため、無理が生じているのだと指摘します。

そのことが自分の経験と照らしあわせて、とてもしっくりするのです。


私の妹に子どもがいるので、ときどき田舎の実家へ連れて帰っていました。

孫がかわいい私の両親は、それはそれは満面の笑顔でかわいがっていました。

その姿を見たとき、私はこう思ったのです。

「私も、こんなふうに育てられたかったなあ。」

少々の間違いを叱られることもなく、余裕を持って受け入れてくれます。

考えてみれば、当然のことですね。私の親もまた、年月とともに成長したのです。


私が子どものころ、両親は30〜40歳くらいでした。

まだ精神的に熟してはいなかったのです。

仕事上のストレス、日常生活のストレス、そこに子育てのストレスが重なったのでしょう。

自分勝手で、理屈よりも自己都合を優先する父親の態度に、私は腹を立てました。

そんな父親から叩かれたり、倉庫に閉じ込められたりされることを恨みました。

甘えたいときに甘えさせてくれない母親を憎みました。

大好きな両親、もっとも愛したい両親を受け入れられないことに苦しんだのです。

 

子どもを産むのは若者の役割です。

けれども、だからと言って子育ての責任まで負わせる必要があるのでしょうか?



もし、社会システムが変化して、親が子育ての責任を追求されることが一切なくなったら、どうなると思いますが?

まず、人口減少に歯止めがかかるでしょう。逆に、わずかながら上昇に転ずると思います。

そして、保育所の待機児童問題が解消します。


働く世代が子育てしようとするから、保育所が大量に必要になるのです。

子どもを老齢者が預かるようになれば、本当の意味での保育所は、それほど要らないのです。


「そんなことをしたら、親子関係が上手く行かなくなる。親からの愛情をもらえなかった子が、精神的にひねくれてしまうじゃないか。」

そう反論したい人もおられるでしょう。でもそれは、杞憂というか、それこそ偏見だと思うのです。

親が子を捨てるわけではありません。同居も可能です。ただ、社会全体で子育てを行うというシステムを導入するだけです。

現に、昔の日本にはそれがありました。

乳母の存在です。

また長屋など、近所同士で助け合うというシステムも自然にありました。

子どもたちは親がいないときも、近所の家に上がり込んで、そこの大人が面倒をみたのです。


子どもを親の所有物と考えている限り、親は子育ての費用をすべて負担することになります。

だから子どもを産めないし、産む年齢が高くなるし、保育所の待機児童の問題も起こるのです。

 

もし、社会全体で子育てをすると決めたら、どうなるでしょう?

「子は国の宝」と思うのでしたら、それは自然なことでしょう。


たとえば、子どもが生まれたらその子に子育て費用が国から支給されます。

1人につき月額10万円です。

因みに日本の20歳以下の人口は、約2,400万人です。

1人に年間120万円を支給すると、約28兆円の予算が必要です。

消費税でまかなうなら14%分です。

このくらい負担できませんか?


もしこれが実現すれば、母子家庭の貧困問題が解消します。

保育園の待機児童問題も解消するし、児童虐待問題も緩和されるでしょう。

そして何より、より多くの子どもがたっぷり愛されて育つようになるため、非行や犯罪なども減少するはずです。


理想論に思われるかもしれませんが、他人の子どもは自分とは関係がないという考え方を持ち続ける限り、私たちの社会が抱えている問題は解消しません。

なぜなら、それは私たちの本質に反するからです。

私たちの本質とは、私たちは「ひとつのもの」だということです。

他人のことを自分のこととして考えない限り、問題は解決しないと思うのです。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:14 | Comment(0) | 私の考え | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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