2013年03月09日

チャンスを逃してもったいない

昨日の記事に書いたように、池上彰さんの仏教に関する本を読みました。

「神との対話」との共通点もあったりして、がぜん興味がわきました。

それでさっそく、本を2冊注文しちゃいました。

池上彰さんが紹介していた本で、以下の2冊です。

「ブッダの真理のことば感興のことば」「ブッダのことば − スッタニパータ」

いずれも著者はインド哲学・仏教学者の中村元(はじめ)氏で、原始仏典の翻訳になります。

 

スッタニパータは、現存する世界最古のお経だそうで、弟子の質問に仏陀が答える形になっているそうです。

もう一方もスッタニパータと並ぶ最古のお経、ダンマパダの翻訳です。漢訳は法句経になるそうです。


「ほしい」と思ったら迷わず注文します。

本にはそうするだけの価値があると認めているからです。

また、そんなことができるのも、ネットショッピングの魅力ですね。

もしネットショッピングがなければ、「また今度書店に行ったときに探してみて、置いてなかったら注文するか。」という感じになるでしょうから、まず買わないでしょうね。


さて、今日はスーパーマーケットに寄って、カップ麺を大量に買って来ました。

カップラーメン

以前からときどきやっているのですが、会社のタイ人スタッフのために買っているのです。

日本から輸入したカップ麺は、安くても1個50バーツ(約150円)以上します。高いと150バーツ(約450円)くらい。

ですから、いくら大卒でそこそこの給料をもらっているタイ人スタッフとは言え、そうそう買おうとは思わないでしょうね。

タイのカップ麺なら、10〜20バーツくらいで売っていますから。

それで、社員たちに喜んでもらおうと思って、こうやって日本のカップ麺を買って置いておくのです。

社員たちは、誰がいつ食べることができるのかルールを決め、平等にチャンスがあるようにしているようです。


単に食事の補助という意味なら、安いタイのカップ麺を会社の経費で購入して、置いておけば良いのです。

そうしないのは、私が買ってあげたいからです。日本のクオリティーを知ってもらいたいし、日本の魅力を味わってほしいのです。

社員たちがどう思っているか知りませんが、少しでも喜んでくれるなら、このくらいのことはしてもいいかなと思っています。

 

今日は、そのスーパーでのエピソードをお話しましょう。

買い物カゴいっぱいにカップ麺を入れ、私は空いているレジにカゴをおろしました。

ところが、前の客がまだ精算が終わっていなかったようで、レジの店員は、私が置いた商品をスキャンしようとしません。

しばらく待っていると、前の客が何やらクレジットカードの伝票のようなものを持ってきて店員に渡しました。

すると店員はその伝票に、何やら書き始めます。

そこまででかなり時間が過ぎており、私の前後のレジでは、すでに2〜3人くらいの精算が終わってしまいました。

「失敗したなあ。こんなことなら他のレジに並べば良かったよ。」

そう思っていたら、後ろのレジの店員が、「こちら空いてますよ。どうぞ。」と声をかけてくれたのです。

でも、もうかなり待った後ですし、一部の商品はカゴに入らなかったので、手に抱えて持ってきてレジに置いてあります。

それで私は、「ほら、これ見てよ。」とばかりにレジに置かれた商品を指差し、「移動させるのも大変でしょ?」ということを暗に示したのです。

そこで店員がサッと運んでくれたなら嬉しいのですが、何も言わなくなってしまいました。

私がいたレジでは、やっと前の客の精算が終り、サインをしてレシートを受け取ろうとしていました。

「移動しても、たいして変わらなかったよ。それにしても、随分と待たされちゃったなあ。」

やっと私の番になり、精算して、袋詰めされた商品を受け取ってスーパーを後にしました。


その商品をオフィスまで運ぶ途中、私はそのことを考えていました。

「神との対話」では、すべての出来事は自分のためにあるんだと書いてあったよなあ。そういう観点で考え直したら、どんなことが考えられるだろう?」

私は、あのとき不満だったのです。

普通にクレジットカードによる支払いでも時間がかかります。日本と違って、少額でもサインをしますから。

だから私は、スーパーでは現金払いにしているのです。

それがこの日は、どうも普通のカードではなかったのでしょう。私もよくわかりませんが、カードの伝票に店員が書き込みをするなんて姿は、初めてみましたから。

「おいおい、いい加減にしてくれよ。」

誰が悪いわけでもないのですが、自分が待たされていることに不満を感じたのです。

だから後ろのレジの店員から「どうぞ」と言われた時も、「今さら言われたって遅いよ」という気持ちでした。

店員がボーっとしていたわけではありません。並んでいる客がいなくなったから、親切心(あるいは店のマニュアル)で声をかけてくれたのでしょう。

でも私は不満だったから、不服そうにレジに置いた商品を指差し、「どうぞって言われたって、簡単には移動させられないでしょう?見てわからないの?」という気持ちになったのです。


私は思いました。

「考えてみれば、誰も私を傷つけようとしたわけでもないし、たまたまそうなったことに私が勝手に腹を立てただけだったんだ。」

もしあのとき、私が不満を抱かずに、「へぇー、こんな支払い方法があるんだー。初めてこういうのが見られて、ラッキーだったなあ。」とでも考えたら、反応は違ったでしょうね。

後ろのレジの店員から「どうぞ」と言われたとき、今から移動しても大差ないと感じたとしても、「ありがとう。でも、ここで待ってますよ。」と言って、ニコッと微笑んだかもしれません。

そう考えたとき、私はこう思いました。

「しまったなあ。もったいないことをしたなあ。せっかくのチャンス(機会)だったのに。」

そう、私が、もっと私らしい私を表現するチャンスだったのです。

ああいうときこそ、最高の私が表現できたはずなのに。みすみすそのチャンスを逃してしまいました。

そう感じて、とても残念な気持ちになったのです。


でも、その代わりに、「神との対話」にあった別のことが理解できました。

本の中に、愛の無いセックスをすることは「悪いこと」というよりも、「もったいないこと」だと書いてありました。

その意味を理解しているつもりだったのですが、今回のことで、完全に腑に落ちました。

「そうか、「もったいないこと」と言うのは、こういうことなんだな。こういう感じが、まさに「もったいないこと」だったんだ。」


お陰で、また少し成長したように思います。

精算が遅くて待たせてくれたお客さん、そして遅いタイミングで「どうぞこちらへ」と声をかけてくれた店員さんは、みごとに私にチャンスを与えてくれていたのです。

そう思ったら、その人たちにも感謝の気持が湧いて来ました。

「今度はチャンスを逃さないようにするから。今回はここまでだったけど、気づかせてくれてありがとう。」

出会いは、出来事は、すべて必然で無駄がありませんね。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 17:07 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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