2013年03月04日

損を引き受ける覚悟を決める

昨日は、ソフトボールをしました。

朝からどんよりと曇っていて、今にも雨が降りそうでしたが、幸いに天気が持ちこたえてくれました。

その代わり、蒸し暑くてサウナ状態でしたけどね。

ソフトボールの練習


12時に練習を終え、昼食をとりにレストランへ向かうときに降り始め、到着したときは土砂降りに。

こういうスコールは久しぶりです。

昼食が終わって外に出ると、雨はほとんどやんでいました。

本当にラッキーです。

 

部屋に戻って、また「神との対話」シリーズを読んでいました。

そのときふと、頭に浮かんだことがありました。

それは、私がかつて、「損を受け入れよう」と決めた時のかすかな記憶です。

すっかり忘れていましたが、たしかにそういう決断をしたのです。


そのとき、どういう出来事があったのか覚えていません。

でも覚えているのは、起こる出来事の中で、「上手に生きよう」とすることに疲れたのです。


たとえば、誰もがやりたくないことだけど、誰かがやらなければならないことがあったとしましょう。

最初に「あ、それ、私はできないから。」と言って、いち抜けたと抜けられる人がうらやましかったのです。

だって、損なことをせずに済むわけですから。私だって、できることなら損はしたくありませんよ。

でも、それをすると「ひどいやつ」と思われるのではないかと心配で、そういう自分勝手(私はそう考えていたのです)なことができませんでした。

また、最後に引き受けさせられる人のことを思うと、その苦悩が伝わってくるようで、それを無視することも苦しかった。

損することより得することをしたい。けれども、それをはっきり言うと角が立つ(=悪く思われる)。そのジレンマがあったのです。

もし自分が得することをやってしまうと、今度は他人から批判されるのを防がなければならないと感じます。

自分のやったことを正当化しなければならないのですが、それがまた疲れるのです。


そういうことをあれこれ考えた末、私は決めました。

「いい。もう損してもいいから、やらなければならないことがあったら自分がやろう。そう決めておけば、誰も恨まなくて済む。少なくともその方が気持ちがいい。」

まだ「神との対話」を読む前だったと思いますが、私はそんなことを考えたのです。


もちろん、すぐにそれが実行できたわけではありません。

けれども、何度もそういう出来事を経験する中で、少しずつそういう生き方が身についてきたように思います。


前にも書きましたが、タイに来ることを決めたのもそうでした。

私は東京からJターンで岡山の会社に転職したのです。

実家のある島根県に近く、それでいて適度に都会的な街。岡山市での生活は、私の希望どおりだったのです。

だから一生、そこに暮らすつもりで分譲マンションを購入しました。

そんなときに、タイへ赴任する話が持ち上がったのです。


上司は、タイでの仕事のことは話すものの、私に行けとは一言も言いません。

おそらく、それが大変な負担だとわかっているので、言い出せないでいたのだと思います。

そう感じたから、私から言ったのです。「私が行きましょうか。」


私のいた会社で、どう考えても適任者は私しかいませんでした。

独身であること、システム開発に精通したSEであること。

タイという国のこともよく知らず、英語も話せないのに、私は引き受けようと決めたのです。

自分が得をしたいという気持ちは、まったくありませんでした。

いや、考えてしまうと引き受けられなくなると感じたから、あえて考えなかったように記憶しています。

ただそうすることが私らしいことだと思ったから、私の魂の声にしたがうことにしたのです。


その結果が今の私です。

経済的には、赴任する前よりもかなり豊かになりました。

今は少し傾いていますけど。(笑)

でも、それも何とかなると思っています。

それに何より、とても幸せな生活を送っています。

 

今、ソフトボールチームのリーダーをやっています。

リーダーと言えば聞こえがいいですが、要は裏方です。

裏方の仕事は、練習や試合の進行、グランドの手配、他チームとの交渉、用具の管理、チームメンバーへの伝達、会費の管理など。

以前は一時期、これをすべて私が受け持ってしまったことがあり、さすがにパニクってしまいました。

それで、他のメンバーにも少しずつ負担してもらうようにして、何とか続けています。


メンバーがソフトボールを楽しむためには、誰かが裏方をやらなければなりません。

そういう人がいないと、集団はなりたたないのです。

誰もがやりたがらない裏方です。私だって、本心で言えばやりたくはありません。

負担ばかりあって、何の見返りもないのですから。

活動日にだけ気楽に参加して楽しめれば、こんな楽なことはないでしょう。


でも、私の魂はそれを望まないのです。

そのことは、私自身がよーくわかっています。

ですから、損とはわかっていても、裏方をやろうと決めたのです。


それでも、他のメンバーが思ったように動いてくれないときなど、イライラすることもたまにあります。

でもそんな時は、そういう出来事があるからこそ、その中で私らしさを表現することができるのだと、思うようにしています。

目先の損得にとらわれず、魂が喜ぶ生き方をしよう。

その決意を新たにするのです。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 18:23 | Comment(2) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは。
なるほど。確かに僕の周りにも、「私できません」と言う人たくさんいます。
なんでやってもみないんだろう??

と不思議に思ってしまいます。

やってみる事自体、損ということはないですよね。
経験になるので。

ただ、それに時間を取られることが、目先の損にはなるかな、と思います。
Posted by 広瀬つみき at 2013年03月26日 20:19
> 広瀬つみきさん

こんにちは。
コメントを書いてくださって、ありがとうございます。

「できない」と言ってやらないのは、損と感じている場合もあるでしょうし、ただ不安なだけかもしれませんよ。
やってみて上手く行かなかったとき、自分が能力がないことが明らかになるのが不安だとか。
つまり、失敗することを怖れているのです。
Posted by 赤木 (幸せ実践塾塾長) at 2013年03月26日 21:03
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