その中に、「魂は愛を体験したがっている」という表現がありました。
私たちは神に創造されたわけですが、その目的は、知っていることを体験することだと言います。
「素晴らしい」ということを知っていても、他に「素晴らしくない」ものがなければ、それがどれだけ「素晴らしい」のかを感じることができません。
ですから私たちの目的は、知っている神性を体験し、感じることなのだと言うのです。
そして、その神性の究極的なものとは「愛」なのだと。
でも、私たちはこの世で、愛とはかけ離れた体験もします。
いやむしろ、その方が多いくらいかもしれませんね。
少なくとも私はそうでした。
けれども、そのことを批判したり、否定してはならないと言います。
なぜなら、「愛でないもの」が存在しなければ、「愛」もまた存在しないからです。
この世は相対的にできています。
ですから、「愛」を体験してその素晴らしさを感じるためには、「愛でない」体験が必要なのです。
なので、「愛でない」体験をしたことを否定してはならないと言うのです。
つまり、「愛」を体験するための下地づくりみたいなもの、と考えるということなのでしょうね。
そんなことを読んだ後で、WEB版のみやざき中央新聞を読みました。
「人生に悩んだら日本史に聞こう」というタイトルで書かれた、(株)ことほぎ代表取締役の白駒妃登美さんの記事に心を奪われました。
あの日本地図を作った伊能忠敬の人生についての講演録です。
伊能忠敬が苦労して日本地図を作ったことは授業などで習いましたが、私は彼のことを詳しくは知りませんでした。
でも、この記事を読んで、彼の愛に泣きましたよ。
白駒さんは彼の人生を、「いつも与えられた環境やご縁を受け入れ、感謝し、そこで出来る精一杯のことを行って、
大好きな人たちのために頑張る人生でした。」と言います。
そしてそのエピソードとして、「天明の大飢饉」のとき、彼の地元・千葉の佐原の町は餓死者が出なかったというのです。
それは、実家が造り酒屋をしていたので、大量にあった米を無償で提供したからだと。
伊能忠敬は、ほとんど自費で日本地図を作ります。
それは彼が、後世に生きる日本人のためにという思いを込めて作ったものでした。
彼の死後35年してから、ペリーが黒船を率いてやってきました。
アメリカからすれば、日本なんて野蛮な未開の国。
最新の科学技術で作った日本の海図も、ペリーは持っていました。
そこに、伊能忠敬が歩測で作った日本地図が幕府から提示されます。
それを見たペリーは、自分が持っている地図とほぼ同じものを日本人が作っていることに驚きます。
そして以後、日本を蔑む態度を改めたのだそうです。
ご存知のようにアジア諸国は、欧米の植民地にされて蹂躙された時代です。
その中で日本は、植民地化されなかった数少ない国の1つ。
伊能忠敬が作ってくれた日本地図が、私たちの国を救ってくれたのです。
少なくとも、日本を守る1つの要因になりました。
そしてそこには、彼が後の日本人のために役立つと思って、心を込めた愛があったのです。
素敵な話だと思いませんか?
私は感動して、泣けてきましたよ。
そして思いました。
私も、彼のように生きたい。
ただただ、愛するために生きたいと思ったのです。
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