もう若い人は知らないのでしょうか。美空ひばりさんの名曲「柔(やわら)」の、出だしの歌詞です。
「勝つと思うな、思えば負けよ。負けてもともと、この胸の・・・」
勝負を争う柔道競技ではあっても、勝つことに執着すると、それは負けにつながると言うのです。
私は実際に、こういう体験を何度もしていますし、おそらくみなさんもそうでしょう。
「これは絶対に勝ちたい」と思えば思うほど、身体は緊張でガチガチになり、普段の実力が出せません。
私の記憶にある最たるものは、東京都府中市の試験場で受けた大型自動二輪の試験です。いわゆる限定解除です。
中型自動二輪は、広島の教習場で練習して、試験場で試験を受けました。
そのころはまだ、教習場でそのまま免許が取れる制度ではなかったのです。
大型も同様でしたから、小金井市の教習所で10時間くらい練習してから、府中の試験上で試験を受けたのです。
因みにその教習所は、鬼の中川と呼ばれる元神奈川県警の白バイ隊に所属していた警官がやっていたところで、竹刀で叩くというスパルタ指導で有名でした。
と言っても、実際は竹刀で生徒をぶっ叩くようなことはせず、ヘルメットの上からコツンとやる程度で、ただ怖がらせるためだけのようでしたけどね。
そこでは最初に基本的なことを教わるものの、あとは自分で決められたコースをひたすら走るという練習でした。
重いホンダCB750Fを使って、大型バイクに慣れる練習です。
もう受けに行って良いと言われて行った最初の試験は、緊張のあまりボロボロでした。
最後のあたりの急制動で後輪をロックさせ、あえなく試験中止。「帰ってこーい」と呼ばれちゃいました。
2回目も、思うような走りができず、自分でも不合格とわかるできでした。
3回目の試験では、私は開き直りました。
「別に落ちたっていい。完走して、普段の練習通りの走りをすることだけを考えよう。」
細かいミスはありましたが、急制動もそれなりに上手く行き、完走することができました。
そして結果発表のときです。合格者の名前が受験者全員の前で呼ばれます。
そして、私の名前が呼ばれました。
私は前に出て合格証をもらい、手を高々と上げました。
周りから、たくさんの祝福の拍手をもらいましたよ。ヒーローになった気分です。
でも実際、50人受けて合格者が5人いないというくらいの難関でしたから、みんながその価値を認めていたのです。
こんな思い出話をしたのは、別に自慢をしたいからではありません。
勝つことに執着すると、負けてしまうという事実をお伝えしたかったのです。
勝って当然と思えないなら、むしろ勝つことを考えない方が良い。
受験だってそうです。執着すると実力を発揮できないし、落ちた時の落胆が大きくなります。
このことは真実だとはっきりと思ったのは、「神との対話」を読んでからでした。
「勝ちたい」と思えば、それは「まだ勝っていない」という事実を認めたことになります。
ですから宇宙は、「わかった、あなたは勝っていない。」と答えるのです。
そして、勝たない(=負ける)という現実が創造されます。
もちろん、柔道のような対戦型の勝負は相手があることですから、「両方が同じように思ったどうなるのか?」という疑問もあるでしょう。
イメージトレーニングしても、100%勝てるわけではないという現実があるのも事実です。
けれども、自分の実力を100%発揮して負けたなら、それはあきらめがつくのではないでしょうか。
執着するのではなく、挑戦と考えるなら、次の目標に向けての意欲が湧いてくるはずです。
100%勝てるわけではないからこそ、挑戦する意味があるのですから。
そしていつか、その負けたことが良かったと思える日が来るでしょう。
もし勝負事をされるのでしたら、そういう考え方を身につけるチャンスだと、私は思うのです。
私もソフトボールをやってますが、ゲームには必ず勝ち負けがあります。
でも、その勝ちにこだわり過ぎると、負けそうになったら意気消沈したり、負けが続くと楽しくなくなったりします。
それでは、ゲームをやる意味がないと思うのです。せっかくのチャンスがもったいないと思うのです。
負けそうになったら、むしろ逆に、「おっ、これこそ逆転するチャンスだ。」と意欲的にならないとおかしいのです。
10点差つけられたら、「ここから逆転したらすごいだろうなあ。これに挑戦できる千載一遇のチャンスだ。」くらいに考えないと損だと思うのです。
人生は、様々な挑戦をさせてくれる舞台です。
勝つことに執着せず、挑戦のチャンスだと考えて、楽しんで生きましょうよ。
2013年02月12日
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