2013年01月25日

聖職者ってどんな人ですか?

さて、教員の駆け込み退職の問題がニュースになっていますね。

事の発端は、地方自治体の人件費削減のために、公務員の退職金を減額する法律が成立したことにあります。

国から速やかな施行を迫られ、地方自治体は3月末よりも早い2月1日などを施行日と決定しました。

そのため、3月末で退職する予定だった教員などが、施行日前の駆け込み退職を願い出たということなのです。

その教員の中には学級担任も多くいたため、マスコミのかっこうの餌食となりました。

いわく、教師としての責任の放棄に等しいと。

世論も当初、マスコミの主張に追随するかのように、聖職者にあるまじき行為だとして、退職を願い出た教師たちを非難しました。

しかし今日ぐらいから、なぜ3月末まで施行を待たないのかと、施行日に対する疑問も増えてきました。

いくら先生と言っても、それぞれに事情があります。

退職金で家のローン返済を考えていた人は、100万円も減るのでは困ってしまいます。

当初は批判的だった世論も、少し同情的になったようです。


私は基本的に、特定の誰かを批判・非難するつもりはありません。

それぞれに、よんどころない事情があるのだろうと思うからです。

国には国の事情があるし、地方には地方の、先生には先生の事情があるのです。

特定の誰かを悪いと決めつけ、生徒が犠牲者だというような固定的な考え方はしたくありません。

 

さて、ここではそういう議論から離れて、別の視点で考えてみたいと思います。

教師や警察官などが不祥事を起こしたとき、必ず「聖職者」という言葉を出してマスコミは非難しますよね。

ところで「聖職者」って、どういう人だと思いますか?

普通の人と何がどう違うのでしょう?


おそらく、普通よりも高い遵法意識や倫理観を持ち、責任感が優っている人が就くべき職業に就いている人、だと思うのです。

いわゆる「りっぱな人」でしょうか。

そういう人は、法を犯すようなことはしないはずだし、してはならない。

倫理に反するようなことはしないはずだし、してはならない。

そのように多くの人が考える職業人を「聖職者」と呼ぶのでしょう。


では、教師というのは、聖職者でしょうか?

「先生」と呼ばれる人たちですから、尊敬の対象であるのはたしかでしょう。

では、その尊敬の対象に見合ったものを、彼らは受け取っているのでしょうか?


私たちは勝手に教師や警察官を聖職者に仕立てていますが、その責任を追求するのに見合っただけの給料を彼らに支払っていません。

その一方で、聖職者ではないプロ野球の選手とか、場合によってはストリッパーの方が高い給料をもらっています。

私たちはそのことに、何の疑問も抱いていません。

むしろ聖職はお金と無縁であるべきだし、金を求めてはならないとさえ考えます。

だから誰からも「教師や警察官の給料は今の10倍でもいいんじゃないか?」というような声が聞かれないのです。


ときにはモンスターピアレントとかクレイマーと呼ばれる親からの、熾烈な抗議に対応しなければならないのが今の教師です。

どこに尊敬される聖職者の姿があるのでしょう?

それなのに何か不祥事があると徹底的に叩かれる。

誰が好き好んで、そんな割の合わない仕事をやるでしょうか?


それでも、理想の炎を燃やして頑張っておられるのが、教師や警察官の方々ではないでしょうか。

実際、社会にとって重要な仕事ですし、いなければ困る職業です。

私は、本当に頭が下がる思いです。

誰からも理解されないけれど、その仕事に対する使命感を抱き続け、批判・非難にも負けずに職務を全うしようとする。


そういう気概のある方が多くおられるのだと、私は思います。

そういう気概でもなければ、とても勤まらないと感じるからです。


聖職者とは呼ばれませんが、自衛隊の方々もそうですね。

誰が好き好んで自分の命を仕事に懸けますか?

安い給料ですよ。


そういう人たちにいつも感謝しているならいざ知らず、不祥事と聞くと責任追及しようとする。

どこか間違っている気がします。


私たちが理想とする社会に近づくために、それは間違っているのです。


本当に価値があると思うなら、価値を認めるのが先でしょう。

価値があるものには、その価値に見合った対価を支払うべきです。


そうしないなら、盗人や詐欺と同じではありませんか?

いくら彼らが「もう十分です」と言おうと、「それでは私の気が済まない」と言って、無理にでも受け取ってもらおうとする。

それくらいの気持ちがないなら、価値を認めているとは言えないのです。


「価値がある=聖職者」と口で言いながら、心ではそうは思っていないのです。

都合の良い奴隷くらいにしか考えていないのですよ。


そして、そういう考え方が、その人の人生を創ります。

多くの人のそういう考え方が、私たちの社会を創っています。


そんな社会でいいのでしょうか?

それで満足ですか?


満足でないなら、変わることです。

そう思った人から変わることです。

価値があると思うなら価値を認め、その対価を支払いましょう。


もちろん私たちが個人的に、教師や警察官の給料を払えるわけではありません。

その気持を何らかの寄付でもいいし、彼らを励ます手紙を書くことで代わりにしても良いでしょう。

あるいはいろいろなところで、彼らの素晴らしさを称えることもできます。

完全に対価は支払えないとしても、何らかの方法はあるのです。


「自分はまだ、これだけしかできない。本当に申し訳なく思う。でもいつか、必ずその恩に報いるから。」

そういう気持ちになったら、あなたの生き方が変わるはずです。

不平不満を抱えて愚痴だらけだった日々が、感謝の言葉が絶えない生活になるでしょう。


批判や非難で埋め尽くされていた心が、謙虚さでいっぱいになるでしょう。

いくら「変わるな!」と命じられても、もうどうにも止まらない。

ありがたくて、ありがたくて、「お願いだから感謝させてください」という気持ちになる。


そういう人たちが大勢いる社会って、素敵だなあと思いませんか?

もしそう思われるのでしたら、他人を責める前に自分が変わることです。


誰かが変わるのを待つのではなく、あなたが率先して変わるのです。

あなたの人生は、あなたが創っているのですから。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 18:06 | Comment(0) | SJ通信過去ログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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