2013年01月31日

強制よりも自由を

ニュースによると、今度は女子柔道の代表監督らによる体罰が明らかになりました。

大阪市立桜宮高校での体罰を苦にした自殺が発端となり、他にもあちこちで体罰があった事実が明らかにされ始めたのです。


このことは、私たちにとって本当に良いことだと思います。

自殺したバスケットボール部の主将は苦しんだと思いますが、彼の死は無駄ではありません。

その死によって社会を覚醒させ、今まで隠されていたことを、白日のもとにさらす役割を果たしたのですから。


産経新聞など、まだ体罰と暴力は違うと主張する人が多いので、私も負けずに書くことにしましょう。(笑)

もちろん価値観は人それぞれですから、「体罰と暴力は違う」という考え方をする人を批判するわけではありません。

ただ、「違うと考える根拠がどこにあるのか?」、「その根拠は本当に愛情なのか?」、「体罰で本当に人が良くなるのか?」について、再考してほしいと思うのです。

 

まず、暴力を否定することでは、おそらく99%くらいの人は共感していただけるものと思います。

ところが体罰になると、少しは必要だと考える人が約半数もおられます。

これは、「子どもは言っても聞かない」という考え方が前提にあるからだろうと思うのです。

そしてその前に、「子どもに言うことを聞かせる必要がある」と考えています。


つまり、親や指導者の価値観が絶対的に正しく、それにしたがわない子どもは間違っている、という考えです。

そのため、子どもが間違っているのに放っておくと、その子は幸せなれなかったりして人生の勝者となれないので、強制してでも正しい方向に導いてやる必要がある、と考えます。

子どもを間違った方向から正しい方向へ導くとき、ある程度の強制力が必要だという結論になるのです。


ここには、いくつかの突っ込みどころがあります。

おそらくそれは、今までにあまり誰も言わなかったことです。


まず第1に、「親や指導者の価値観が絶対的に正しく、子どもの価値観が間違っている。」という考えは、本当でしょうか?

そもそも価値観に、絶対的に正しいものがあるのでしょうか?

このことは、このブログでも何度も書いています。

私の考えは、価値観は人それぞれである、というものです。ですから、100人いれば100通りの価値観があり、それはそれぞれの人にとって正しいものなのです。


たとえば、「道草をするのは悪い」という価値観があります。

教師はこれを絶対的に正しいと信じるから、生徒に強制するために校則に盛り込んだりします。

でも、道草によるメリットはないのでしょうか?

そんなことはありません。道草によって、それまで気が付かなかったことに気づくかもしれません。

これは人生においても同じです。ストレートに進学して、希望する良い(?)企業に就職することがベストとは言えません。

道草をして、様々な経験を積むことが、人生を豊かにすることだってあるのです。


次に、「子どもの価値観では幸せになれない」という考えは、本当でしょうか?

たしかに親や教師のほうが経験が豊かかもしれません。

けれども、親や教師は、間違うことはないのでしょうか?

また、子どもにとっての幸せとは何かを、本当に知っているのでしょうか?

試合に勝つことですか?安定した生活ですか?

たしかにそういう要素があるかもしれませんが、それがなければ幸せになれないのでしょうか?


自分の幸せは、自分が決めるのです。

他の人が良かれと思っても、当人がそう思うかどうかはわかりません。

それはさきほどの、価値観は多様だということからも言えることです。

どんなに良いものであっても、押し付けられるから嫌になることだってあります。

人はそもそも自由なのですから、自由が奪われることは何にも増して苦痛なのです。


最後に、「強制してでもしたがわせる必要性がある」というのは、本当でしょうか?

これが犯罪を犯そうとしているとわかっているなら、強制してでもやめさせるという意味も理解できます。

けれどもここで言っているのは、そうした方がより良くなると親や教師が考えていることです。

そんな価値観にしたがわせるため、体罰で肉体に苦痛を与えたり、言葉で脅すことや非難して罪悪感を抱かせるなど精神的な苦痛を与えることが、必要なのでしょうか?

それが愛情によるものだと言えるのでしょうか?


これも何度も書いていますが、愛とは、相手の自由を尊ぶ気持ちです。

なぜなら、自由こそが人の本質であり、重要な価値だからです。

だから愛は要求しません。愛は何も求めないのです。無条件です。「条件付きの愛」という言葉は、そもそも言葉の定義からして間違っています。


強制したくなるのは、愛からではなく、その対極の不安からです。

自分の価値観にしたがわないと、自分自身が否定された気持ちになる。

その不安に耐えられないから、強制してでもしたがわせたくなるのでしょう。

愛と不安は対局です。正反対なものです。愛は何も怖れないし、怖れとは不安の1つの側面ですから。


子どもを教育するのに、特定の価値観にしたがわせる必要性はありません。

そんなことをするより、その価値観について子ども自身に考えさせた方が、子どもにとって役立つでしょう。


親や教師の価値観は、そのまま伝えたら良いでしょう。

でも、それを採用するかどうかは、子ども自身が決めるのです。


あっちかこっちかではなく、あっちでもこっちでもだと思います。

そういう柔軟さがないことが、ギスギスして居心地の悪いストレス社会を作り出しているのではないでしょうか?

回り道に見えたって、いいではありませんか。それはその子どもにとっては、大切な経験かもしれないのですから。

失敗だって大切な経験です。経験しなければわからないことは、たくさんあるのです。そしてそのことは、大人であれば誰でも知っていることでしょう。


このことは、自分自身に対しても言えることです。

どんな経験も、無駄にならないと思えば無駄にはなりません。

ですから、どんな経験も拒否せずに受け止めることです。

そしてその経験が自分にふさわしくないと感じるのであれば、そっと手放せば良いのです。

そうやって様々なことを体験することで、私たちは「自分らしさ」を追求していく存在だと思うのです。

 

体罰は、教育や指導の現場において必要ではありません。

体罰だけでなく、精神的に苦痛を与える言葉による強制も、有効ではありません。

自由にやらせること。本人に決めさせること。それこそが大切なことだと思います。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 12:50 | Comment(0) | 私の考え | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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