「神との対話」シリーズを読み続けています。
前にも書きましたが、読むたびに「この本がシリーズ中の最高だ!」と思いますね。
11冊めの「神より幸せ」も、本当に最高の本だと思います。
10冊目からは、著者のニールと神様との対話形式ではなく、ニール自身の言葉で書かれています。
これを読むと、これまでの神様との対話というのも、神様から直接語りかけられて知ったことよりも、すでにニール自身が何かで知っていたことが多いことがわかります。
それらの断片をつなぎあわせて体系化したものが、「神との対話」になったのでしょう。
そのことから、ニールの創作(作りごと)と言うこともできますし、インスピレーションを受けて体系化されたとも言えます。
おそらくどちらも正しいのでしょう。
なぜなら、私たちは「ひとつのもの」だし、「ひとつのもの」には神も含まれると言うか、それこそが神だからです。
私たちは一度も神から離れたことはないし、神が見放したこともないと、シリーズの中で何度も語られています。
なぜなら、神とは生命であり、生命は偏在し、永続するものだから。
この、「神=生命」という見方は、実にインパクトがあります。
これだと無神論者にも否定できませんからね。
神とは生命というシステムであり、エネルギーだと言うのです。
この見方によって、科学と宗教は同じものを別の側面から見ていたことが理解できます。
さて、「神より幸せ」を読んでいるのですが、この中には驚くべきことが書かれています。
いや、書かれている内容はシリーズ中の他の本でも書かれているものなので、すでに知っていることです。
知ってはいても気づかなかったこと。つまり、異なる視点を与えてくれているのです。
この本では、「引き寄せの法則」を効果的に使う方法が書かれています。
そして、「引き寄せの法則」や「ザ・シークレット」などで言われているように、私たちが考えたことが現実になるということが、どうして起こるのかということと、それと神様がどう関係しているのかが書かれています。
たとえば、「対極の法則」というのが書かれていますが、これなどは新たな視点ですね。
つまり、私たちが考えたことが現実を引き寄せるのですが、それと同時に、いや、たいていはそれより先に、その対極のものも引き寄せると言うのです。
もしあなたが「金持ち」という状態を上手にイメージしたとすると、まず「貧乏」という状態になってしまうことがあるのです。
それが「対極の法則」と呼ばれるものです。
なぜそうなるのか?
それは、あちらが存在しなければこちらも存在しない、というシリーズの随所に出てくる考え方が根拠です。
わかりますか?
「豊かさ」を経験するためには、まずその反対の「豊かでない」状態を知らなくてはなりません。
もちろんこれは、必ずしも自分の身に起こる必要性はありません。
そういうものがあると経験的に知っていれば良いだけです。
それによって私たちは、「豊かさ」という状態を体験的に知ることが可能なのです。
ですから、「引き寄せの法則」を利用して何かを意図的に引き寄せようとした場合、その対極のものが現れても失望しないことだと言います。
むしろそれは、望みのものが現実になる兆しなのだからと。
「冬来たりなば春遠からじ」
昔の人は、そのことを感覚的に知っていたのでしょうね。
他にも、こういった道具(ツール)を利用して人生を楽しく生きるための方法が、わかりやすく解説してあります。
そういう意味では、9冊目までの神様との対話というのはとっつきにくいという方でも、この本は読みやすいかもしれません。
この本を取っ掛かりにして、それから「神との対話」を読んでみるというのも、悪くはないと思いました。
2013年01月29日
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