2013年01月24日

生き方についてのパラダイム・シフト

「神との対話」シリーズを読み続けていますが、10冊目の「神が望むこと」も、いよいよ終わりが近づいてきました。

これまでの9冊が著者のニールと神とが対話する形式で書かれていたのに対し、「神が望むこと」は、ニールが自分の言葉で語っています。

内容はこれまでの総集編という感じです。

神が望むこと


これまでと雰囲気が違うことから、この本を高く評価しないという人もいて、アマゾンなどのレビューを見ても、そういう意見があります。



まあ、それも1つの意見ですから、そういう見方もあると思います。

けれども私は、別の見方をします。

この本は、これまでの総集編としてよくまとまっており、また核心を突いた表現もあり、私たちが実際に生活する上で役立つと思います。


「神との対話」シリーズでは、要は私たちの信念を変えなければならない、ということが書かれています。

特に神に関する信念が重要だと。

そのために、まずは別の考え方があるかもしれないという可能性を、受け入れてみないかと勧めます。

「絶対にこれしかない」と思い込んでいるうちは、他のものが見えなくなるため、変わりたくても変われないからです。

その信念を変えることによって、他者や環境に翻弄される生き方ではなく、主体的に生きてみないかと語りかけます。

そのためのツール(道具)は、すでに与えてあるからと。

そのツールを使って自分の人生を創造し、より自分らしく生きる生き方をしないかと誘います。


これらのことを理解させるために、これまでの本では様々な話が出てくるのです。

それも何度も何度も、手を変え品を変えながら、同じことを繰り返し繰り返し話しています。

ですから、「要はどういうことなの?」という問いに答えるまとめが必要なわけで、それがこの「神が望むこと」だと思います。


ただ、本の前半は冗長なため、キリスト教の素地がない日本人には、退屈に感じられるかもしれません。

でも、それらはすべて、この世が私たちの願いどおりでないのは、私たちの信念が問題であり、その信念とは「神がそう望んでいる」ということにつながる、ということを説明しているのです。

そして、第13章で真実が明かされます。

本当のところ、神は何を望んでいるのか?その神の望みが書かれているのです。


初めてこれを読んだとき、第13章には驚きました。

そして、すぐに笑いました。「なるほど、そういうことね。」

すでに「神との対話」シリーズを読んでいる私にしてみれば、それは当たり前の内容です。

でも、この本ではどう書かれるのかと、ドキドキしていたのです。

その内容をここに書くとネタバレになるので、興味のある方は本をお読みください。

 

ただ、この本に書かれていることで、私たちの生活に直接役立つ部分がありますので、そこを引用しましょう。

問い三.それなら神の目的は何で、神の働きとは何なのか?

もっと身も蓋もない言い方をするなら、神がいるといいことがあるのか?ということだ。

(中略)

神がいるといいことがある。それは神を役立てることができることだ。

先にわたしは、神を信じる立派な理由があると言った。その理由はこういうことだ、とも言った。

生命そのものである力(フォース)、パワー、エネルギーを使って、一貫性と予測可能性のある結果を出すことができる。おもしろいことに、このことはすべての宗教がくり返して教えてきたことでもある。

(中略)

そこで問題は、どうやって神を役立てるか、である。

簡単だ。思考、言葉、行為。

あなたは考え、語り、行動することで、神を役立てる。

これが創造の三つの道具(ツール)で、この道具は完璧だ。偉大な道具だ。効果的だ。

自分が経験したいことだけを考え、現実にしたいことだけを語り、自分の「いちばん高い現実」として提示したいことだけを行動にすればいい。

(中略)

だか、ここにもうひとつ秘訣がある。

何かが欲しくなったとき、それを手に入れたらどう感じるかを考えよう。なぜか?それは−−これは非常に大事な手がかりなのだが−−あなたの魂が求めているのはつねに外部的な経験ではなく、内部的な経験だからである。ほとんどのひとは、自分が欲しいものは外側にあると思っている。だが、そうではない。内側にあるのだ。それをすべてのひとが求めている。その経験をわたしたちは「感じる」と読んでいる。

個人として成長しようとするとき、そこに気づくととても自由になる。なぜなら、内なる平和と内なる喜びを感じるためには、どんなときでも外部のものは何も必要ではない、ということだから。

(中略)

あなたが自分に求めているもの、これまでずっと求めてきたものは感じることであり、自分が感じたいことはいつでも自分の内側にあると気づけば、何も望む必要がない。

(p.170-173)


これは、壮大な提案であり、福音です。

今までの私たちは、外部的な経験(=出来事)に影響されて内部的な経験(=感じること)をしてきました。

ですから私たちは、外部(=現実)を原因と考え、内部(=心)を結果と考えてきたのです。

しかしこの「神との対話」シリーズでは、一貫してその原因と結果を逆転させることを言っています。

つまり、原因は私たちの思考であり、言葉であり、行動であり、現実の出来事はその結果に過ぎないのだと。

だから私たちは、自分が望んだ現実を創造することができる、と言うのです。


そして、たとえ外部に望んだ通りの結果が表れなくても、私たちは得たい経験を内部に得ることが可能だと言います。

そうやって内部の経験を保ち続けるならば、私たちの思考や言葉や行動は、特に意識しなくても私たちが望むとおりになります。

そしていつか、内部で経験するものによって現実が創造され、今度は外部で経験することが可能になるのです。


「引き寄せの法則」「ザ・シークレット」も、古今東西の成功者が語っていることも、すべてこのことではありませんか?

今、時代は私たちに、生き方のパラダイム・シフトを求めています。

私たちがより成長し、ワンランク上のレベルに上るためです。

そのお膳立ては整っています。

あとは、それぞれの人が決断するかどうかだけ。

さて、あなたは、この誘いにどう答えますか?
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 12:45 | Comment(0) | 幸せ実践塾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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