2013年01月19日

心配してくれる母への手紙

今日、田舎の母から手紙が届きました。

と言っても、母が手書きで書いた手紙を父がスキャンして、その画像をメールで送ってくれたのですけどね。

私からは、メールで返事を出しました。

これを父が印刷して、また母に見せてくれるのでしょう。


私は、自分のことをあまり隠さずに知らせるので、会社のことで困っていることなども正直に伝えています。

するとそれを知った母が、心配してくれたのです。

私は常々、「心配は要らない」ということを話しています。

なんとかなるし、なんともならないとしても、それは私にとって良いことだと思うからです。


田舎には、ネット通販で買ったものを、ときどき送っています。

今回も、父が好きなウニと、母が好きなイクラを買って送りました。

日本で行うべき様々なことを、父が代行してやってくれるので、そのお礼の意味もあります。

そういうことに対しても、母は「気を使わなくていいから」と、あまり送らないようにと言います。

それは子どもに対する優しさであると同時に、心配症の母の性格の表れでもあると思うのです。

だから私はいつも、「心配しないでいいから」と母に言うのです。


今日、私が母に送った返事を、以下に載せます。

 

お母さん、こんにちは。

手紙を読みました。


もうおわかりでしょうけど、心配は要りませんよ。
今の私にできることをするだけです。
できなくなったらやめるだけ。

それをいつまでも「やらなければならない」というように、必要性にかられるから心配が出てくるのです。

北海道旅行も、行けるのだから、行っておこうと思うだけです。
先のことが不安だったら行けないでしょうね。

でもそういう不安を抱く人は、明日にも死ぬかもしれないことは、すっかり忘れているのでしょうね。

できるときにできることをやっておく。
それだけのことです。


お金がなくなれば、ないなりに生活すれば良いのだし、もしそれでどうしても食べることさえできなくなるなら、そのときは飢えて死ぬだけのことではありませんか。

死ぬことは、まったく怖くありません。
死は終わりではないし、辛いことでも悲しむべきことでもないと思いますから。

誰かがインスピレーションを感じて書いた「1000の風になって」という詩は、まさにそのことを語っているではありませんか。


それに、生まれる時でさえ、親はもちろん、環境や肉体的な条件なども、自分で選んで生まれてきます。

いんやく・りおくんの、「自分をえらんで生まれてきたよ」という本にも、そのことが書かれています。


もしそうなら、どうして自分の死を、自分で選ばないことがあるでしょうか。


もちろんそれは精神で選ぶ(=自殺)という意味ではなく、魂が選ぶという意味です。

この世でやるべきことがすべて完了した時、魂は自分で去ることを決めるのです。
それが餓死であっても、それは魂のお膳立て。


この世で起こることはすべて必然で、無駄なことは1つもありません。

ですから、餓死するような環境であっても、それは魂が自分のために用意したありがたい環境だと思うのです。

だから、別の何かを望む必要性もないのです。
ただありがたく受取り、その中で自分がどうするかを考えるだけ。


孔子も言ってますよね。
君子だって困窮することはあると。

ただ小人は、困窮した時にあわてふためいて自分を見失ってしまうが、君子は、そういうときでもしっかりと自分らしく生きることができる。


そのためには、必要性を減らす(なくす)ことだし、すなわち執着しないということなのです。

執着しなければ、どんな状況でも自分らしくいられるし、自分らしいということが愛ならば、完全な愛を表現できるということです。

世界中の宗教が言ってきたことは、ここですべて一致します。


どんな環境でも、どんな条件でも、それは自分のためのお膳立て。
自分が自分らしさを表現して生きるための舞台です。

それがわかれば、感謝するなと言われても、感謝せざるを得ないでしょう。
敵を愛するなと言われても、愛さざるを得ないでしょう。

そもそも敵などというものはいないからです。
自分のために最適な条件を作り出してくれる協力者であり、そのために使わされた天使がいるだけなのです。


視点を変えれば見方が変わり、見方が変われば考えが変わり、考えが変われば、出来事に対する感情が変わります。

ただ視点を変えるだけで、それが可能になります。

ブッダが悟りに至る八正道を示し、その第一に正見というのがあるのも、まさにそのことだと思っています。

 

また長くなりました。

だから私は、自分のことはもちろん、他の人のことも、究極の意味では何も心配していません。

すべては完璧に存在しているし、完璧に行われているのですから。


このことを、お母さんにわかってもらいたくて、いつも長々とメールを書いてしまいます。

そうすれば、お母さんの重荷を降ろしてあげられるから。
不安から解き放ち、絶対安心の中で幸せでいられるから。

幸せになるには、何の条件も要りません。
そのこと、つまり必要性がないことに気づけば、今すぐその場で幸せになれるのです。

晴れれば晴れを喜び、雨なら雨を喜ぶ。
貧乏なら貧乏を喜び、病気なら病気を喜ぶ。
すべては自分のためにあり、自分らしく生きるための舞台だから。

相田みつをさんが、「しあわせは いつも自分の こころがきめる」と言っていますが、それもこのことです。

でも、それを受け入れるかどうかを決めるのは、お母さん自身です。

人は自由ですから。

誰かや環境のせいにするのも、その人の自由です。
すべては、その人がどういう視点を選ぶかで決まるのです。


 篤より


 

最近ずっと、「神との対話」シリーズを読んでいます。これはもう日課ですね。

今日、これまで読んでいた「神へ帰る」を読み終えました。

人の死について、死後の世界について書かれています。

この「神へ帰る」までの9冊が、著者のニールが神と対話する形で書かれる最後の本になるのだそうです。

そういう意味では、「神との対話」シリーズは、ここまでの9冊ということになるかもしれません。


今日から、その次に発行された「神が望むこと」を読み始めました。

神が望むこと

これは著者のニールが、自分の言葉で語っているものですが、これまでのシリーズの総集編のような感じになっています。

これまでの神に対する信念を総点検し、他の可能性があることを受け入れられないかと問うものになっています。

これまでの本とは、明らかに違う感じがします。

でも、頭の整理をする上では、こういうのも良いかと思って読んでいるところです。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 17:00 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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