2013年01月18日

暴力を封じるために暴力を用いること

先日の桜宮高校の体罰問題は、さらに大きな問題になっています。

ニュースによると、大阪市の橋下市長が、今春行われる予定の体育科の入試を中止するよう要請したからです。

また、全教員を異動させるべきなど、かなり強硬な対応を市教委に迫っているそうです。

そして、もし入試を中止しないなら予算の執行を停止すると、兵糧攻めの脅しまでかけてきたとか。


ここまで来ると、橋下市長のやっていることも暴力(強制力)と同じではないか、という意見もあるようです。

一方で、このくらいやらないとなかなか変わらないという意見も。

でも、桜宮高校体育科に入りたくて準備してきた受験生はどうなるのでしょうね?

彼らにまで責任を負わせる理屈は、どこかにあるのでしょうか?


どちらが正しいなどと、簡単に言えることでもないし、言うべきことでもありません。

ただ私は、こういう橋下市長のような対応は、これまでの社会が繰り返してきたことだ、と思っています。

その最たるものが、犯罪者に死刑などの処罰を与えることでしょう。

死刑は「国家による殺人」とも言われますが、別に死刑に限らないと思います。

何らかの処罰を与えるということは、強制力を発揮して、他の誰かの考えを否定し、特定の価値観を押し付けようとする行為だと思うのです。

いわば、暴力を封じるために暴力を用いることです。


しかし、もしその暴力が、単に特定の価値観を押しつけるためだけで終わってしまったら、その目論見は成功しないと思います。

なぜなら、人は自由だし、その人の価値観において間違ったことはしないからです。

戦いに敗れたからといって、相手に完全に屈服するわけではありません。

屈服したふりをするかもしれませんが、心の中では、いつか仕返しをしてやろうと考えます。

もし相手にそういう思いを抱かせるとしたら、その仕返しに対しても備えなければならず、社会は永遠に平和にはならないでしょう。


おそらく、体罰を与えることが本当に良いことだとは、誰も考えていなかったと思います。

「他に方法がないし、仕方がなかったんだ。」というように、与えられた状況の中でベストを尽くしたと考えていたのだと思うのです。

それを頭ごなしに否定されても、その人たちは納得しないでしょうね。


私自身は、体罰が必要だなどとはまったく思いません。

それは先日の記事「体罰は愛情か?」でも書きましたし、メルマガ「SJ通信」でも「教育に体罰が必要か?」と題して書いたとおりです。

しかし、体罰をやってきた人や容認してきた人たちを処罰すれば、すべてが解決するとも思いません。

いくら罰を与え、罪悪感を抱かせたとしても、その価値観が本来の目的に合わないのだと理解しない限り、この問題は解決しないと思うからです。


今はまだ、体罰は「暴力だからダメ」で終わっています。

だから、「暴力が必要なこともあるのではないか?」という疑問に答えられずにいます。

その疑問に答えないから、「最善でないとしても、暴力を使った方が効果的かもしれない。」という考えを変えられないのです。

そして、橋下市長がやろうとしているように強権を発動することは、「何かを絶対にやろうとすれば、暴力を振るうことも必要だ。」というメッセージを送ることになるでしょう。

それが肉体的に苦痛を与える暴力でないとしても、精神的に追い詰める暴力は問題ないのだと。


私は、無理して強権的に何かをさせる必要性はないと思うのです。

それぞれの人にそれぞれの価値観があり、そしてそれは、その人にとっては正しいのです。

ですから、その人自身が価値観を変えようとしない限り、どんな強制的な試みも失敗に終わるでしょう。

ならば、強制しても意味がないのですから、やらない方が良いと思います。


それよりも、もっとオープンにして、それぞれの価値観を検証し合える場を作ったらどうでしょうか?

閉じた世界にいるから、自分が持つ価値観を検証することもできないのです。

批判や非難をするのではなく、ただオープンにそれぞれの価値観を披露する。隠されることがなく、いつでも周りから見えるように透明化するのです。

それだけでも、随分と違ってくると思いますよ。


あの事件の後、元巨人軍の桑田真澄さんが、自らの体験から、体罰を受けた小中学校の頃より、受けなかった高校の頃の方が成長したと語っていました。

また多くのスポーツの指導者が、選手を強制するよりも、共感することの方が選手が伸びると言っています。

そういう考え方や価値観は、これまであまりオープンにされず、注目されて来なかったのではないでしょうか。


強制より共感を。

それは選手を伸ばすための指導方法としてだけでなく、社会を発展させるためにも有効だと、私は思います。

もちろんそれがベストではないかもしれないし、他の考え方もあるでしょう。

それも含めて、批判することも批判されることもなく、ただ自分の価値観を検証できる仕組があればと思うのです。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:58 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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