職場にほど近いショッピングモールの上の階に映画館があるため、映画好きの妻と一緒によく行きます。
たいてい、映画が始まるまでに時間があるので、そのショッピングモールのレストランで食事をします。
昨夜は焼肉屋でした。

私はあまり好き嫌いはないので、妻が食べたいもので店を選び、妻がオーダーします。
私はせいぜい、ビールとそのつまみ程度があれば良いのです。
この日は、豚タンを4皿と豚トロを2皿も注文し、予想通り食べきれませんでした。
タイ人は、最初に全部注文してしまうのですよ。それも食べきれないくらい。
中国の風習を引き継いでいるのでしょうかね。
日本人のように、途中で様子を見ながら注文するという習慣があまりないので、食べきれないことがままあります。
ただ、食べきれなくても持ち帰ることができるため、その点は便利ですね。
最近は日本でも少し変わってきたようですが、以前は食中毒を心配して、持ち帰りさせない店がほとんどでしたから。
温かいタイの方が食中毒を過剰に心配しないなんて、なんだか不思議だと思いませんか?
それはやはり、食べ物には火を通して食べるという習慣があるからです。
持ち帰ったものも時間が経てば、妻は必ず電子レンジで温めて食べます。
日本に妻を連れて行ったとき、コンビニで買ったハムなどでさえ、電子レンジでチンしてもらえと言うくらいです。
「これは電子レンジで温められません。」という店員に、「少し温まるだけでいいですから。」と無理を言ってチンしてもらいましたよ。
店員さんからは、おかしなことを言う人だと思われたでしょうね。そのくらい習慣が違うのです。
そして、仮に食べ物にあたっても、飲食店が食中毒で営業停止になることはありません。
ですから店の方も、何の心配もせずに持ち帰り用の袋や入れ物に詰めて渡してくれます。
さて、映画の話をしましょう。
一昨日は、「Gangster Squad(L.A.ギャングストーリー)」で、1949年のLAを舞台にした、実在のギャングと警察との抗争物語でした。
アウトロー的な警察官が仲間を集め、ギャングをLAから一掃しようと立ち上がります。
逆襲を受け、仲間を失いながらも、最後にはギャングのボスをやっつけるという、単純明快な勧善懲悪もの。
見終わった後、これは「七人の侍」や「荒野の七人」と同じだと思いました。
ただ違うのは、殺し方が残虐だと言う点でしょうか。
思わず目を背けたくなるような殺害シーンが多々ありましたね。私は、そういうシーンはあまり好きじゃありません。
昨日は、「The Man with the Iron Fists」というアメリカと香港の合作映画でした。
中国のある村を乗っ取ろうとする一味に対して、そこで鍛冶職人をしていた男や、その一味に父親を殺された青年などが力を合わせて立ち向かうという物語。
そこになぜか色街の女主人と、そこで働くいわゆる売春婦たちが協力します。
その売春婦たちも、なぜか実は忍者のような使い手ばかりで、最後は壮大なバトルになります。
最終的には村を守ろうとした側が勝つという、これも単純明快な勧善懲悪ものでした。
こういった単純なストーリーだと、言葉がわからなくても理解できる点がいいですね。
どちらも音声が英語のタイ語字幕ですから、どちらも私の役には立ちません。
私にわかるのは、映像と声の調子くらいなものですから。(笑)
わかりやすくアクションを楽しめるという意味では、まずまず満足できました。
それに、2人で450バーツ(約1,200円)という安さで、しかもソファーシート(VIP席)でゆったりと観られます。
タイならではのメリットでしょうか。
ただ、最近はこういう勧善懲悪もののストーリーを観ても、あまり感動はしませんね。
あり得ないと感じるからか、面白くないのです。
だって、完全な悪人なんているわけないじゃありませんか。
ギャングにだって愛する人がいたでしょうし、守りたいものがあったはずです。
それをまるで悪魔の化身かのように見せられても、一方的なレッテル貼りのようにしか思えませんよ。
なので、悪役がやられるシーンを観ても、「あの人にも親や妻子がいるかもしれないのになあ。」と想像してしまうのです。
こういう感覚は、思い出してみると、子どもの頃からあったように思います。
それは、月曜8時からの定番ドラマ、「水戸黄門」などを観たときです。
決まって助さんや角さんが悪人たちを懲らしめたあとで、ご隠居がこう言います。
「もういいでしょう。」
それを聞いた助さんか角さんは、懐から印籠を出して高らかにこう言い放ちます。
「ひかえおろー!ここにおわすお方をどなたと存じ上げる?先の中納言、水戸光圀公にあらせられるぞ。ええーい、ひかえい!ひかえおろー!」
そうすると悪人たちは、「へへーっ」と恐れおののいて平伏するのです。
「だったら最初から印籠を出したらいいのに。」
そう思いませんでしたか?私はよくそう思いました。
だって、悪人のボスから命令されて戦い、助さんや角さんに散々痛めつけられる部下たちが、かわいそうじゃありませんか。
あの人たちにだって、奥さんや子どもがいるだろうに。本当は嫌だけど、ボスに逆らえなくて仕方なく戦ったかもしれないのに。
それに、傷めつけられたら反省するというわけでもないし。ただ自分たちが溜飲を下げたいだけでしょう?
それならいっそのこと、「必殺!仕事人」のように悪人を殺してしまった方が、後腐れがなくていい。
そんなふうにも考えたことがありました。
まあでも、殺してしまっても今度は、その子どもなどの身内が仇討ちするという物語もあります。
「あー、こうして殺し合いの連鎖が続くんだなあ。」
子どもながらに考えたこともありました。
豊臣秀吉が、自分に逆らった武将だけでなく、その身内の女子どもまで処刑した気持ちはわかります。
それだけ、復讐されるのが怖かったのです。不安で不安で、仕方なかったのでしょう。
子どもの頃は、それでもまだ勧善懲悪ものを楽しめました。スカッとする気持ちもあったからです。
でも今は、次のことがはっきりわかっているため、それを心から楽しむ気持ちにはなれません。
暴力で自分の価値観を押しつけることは、まったく不毛なこと。
相手は恨むだけだし、その恨みは自分に返ってくるのです。
相手が仮に悪人と呼ばれる人であっても、同じ人間なのです。
そして相手には相手の価値観(正義)があり、それにしたがえば間違ったことはしていないのですから。