2013年01月11日

必要性があるから不正をしてしまう

福島県の原発事故による除染作業で、手抜きをしていたというニュースがありました。

まったくひどい話です。

これでは除染ではなく、たんなる掃除と同じ。


環境省も監督する立場にありながら、手抜きを指摘する声に真剣に対応しようとしなかったようですね。

忙しくて個別に対応できなかったとか。

大手ゼネコンも、仕事を受注して下請けに流すだけですから、おいしい金儲けだったのでしょう。

その下請けも、さらに孫請けへと仕事を流すだけ。

こうして国民の税金が浪費され、被災地には何の恩恵ももたらさない構図ができあがっていました。


これに関わっていた一人ひとりを見れば、けして悪人とは思えないでしょう。

知ってはいても、自分1人の力ではどうにもならないと、諦めていたかもしれません。

特に、その不正がもっともよくわかる現場の作業員は、現場監督に従わなければ仕事をもらえなくなるという不安があったでしょうから、告発するのも難しかったのでしょうね。

不正を指示した現場監督も、予定通りに仕事を終えなければ会社での自分の立場がなくなるという不安もあります。

環境省の役人だって、公にすれば環境省が叩かれるだけだし、それは自分の上司を不利な状況に追い込むことにもなり、当然、自分の出世にも影響するでしょう。

だからせいぜい、元請けのゼネコンに注意したくらいで済ませようとしたのでしょう。


こういう問題では、悪者探しをしても解決しません。

悪者は1人ではないし、悪者だと言われれば、誰もが抵抗するでしょうから。

それよりも実態を明らかにし、透明化することが重要です。

取り調べの可視化と同じですね。

誰が何を指示し、誰が何を行ったのか。悪いと責めるのではなく、どこか無理なところがないのか探すことが重要です。


今回の手抜き除染も、集めた落ち葉などを仮置きする場所がなかったという問題点がありました。

そういう問題点があったにも関わらず、それを明らかにせずに無理に予定通りの作業をしようとしたため、手抜きと指摘されるようなことをせざるを得ない状況に追い込まれていた、という一面があります。

ですから、すべてを白日のもとにさらすようにしておくことが、何より重要だと思うのです。

そのためには、悪者探しをしない、誰かの罪を問わないことを、あらかじめ決めておくことも大切かもしれませんね。

 

不正と言えば、タイは日本の比ではないと思います。それだけ日常茶飯です。

警察官が袖の下を要求することが問題になっていましたが、袖の下など、すべての公務員がやっていることでしょう。

意識しているかどうかは別として。


今回も税務署から、とんでもない要求をつきつけられました。

タイではWHT(With Holding Tax)という源泉税のシステムがあるのですが、それが払い過ぎになっているので還付申請をしようとしていました。

ところが税務署が難色を示したのです。

要は、税収が減ることが自分たちの成績に影響するから、ということなのです。

そして、平均的な利益があったように見せかけるため、経費の一部を税務上の損金として申告しないことに同意してくれと言います。

その提案(不正な申告)を受け入れてくれたら、すぐにでも還付するけど、提案を断るなら...。ある意味、そう脅されているのです。


以前、還付まで5〜6年を要したことがありました。

タイは、還付をいくら遅らせても問題がなく、その期間中の利息さえ払うことになっていません。

なので、税金を還付してもらいたかったら、税務署の言うなりにするしかないのです。

法も正義も関係のない、強権と脅しの現実がはびこっています。


これも、税務署の職員にしてみれば、自分たちの成績を上げる(=生活を守る)ための自衛の行為なのです。

自分の必要性を満たすためであれば、時には法を犯すことも辞さないし、倫理的な不正も平気になる。

それが人間というものなのでしょう。

だから仏教では、煩悩が人を狂わし、それによって苦しむことになると言うのです。


必要性をなくすことができれば、必要性を減らすことができれば、それでも人は不正を働くでしょうか?

私は、そうは思いません。

必要性を感じていなければ、何かに執着していないならば、人は自由に自分らしく、より大きな自分を表現したいと願うと思うからです。


幸せは、必要性を感じるものを得ることによって得られるものではありません。

そうではなく、必要性を手放すことによって、そもそもそういう状態だったと気づくものなのです。

だから今すぐ、その場で幸せになることが可能です。

そして幸せになることで、より大きな自分、自分らしい自分を表現することが可能になり、そのことがさらに大きな幸せをもたらしてくれるのです。

 

話はかわりますが、昨日、会社の車に乗って渋滞に並んでいたら、後ろから追突されました。

ずっと渋滞していて、ちょっと進んでは止まるを繰り返していたのです。

そのとき軽い衝撃を覚え、「あちゃー、追突されたー!」と思いました。


事故が起こると、保険会社に連絡し、来てもらうまで車を動かすことができません。

客先へ行った帰りだったのですが、幸いなことに、会社のすぐ近くまで戻っていました。

それで対応を運転手さんに任せ、私は車を降りて、歩いて会社まで帰りました。

不幸中の幸いと言うか、私には何の損害もありませんでした。


ただでさえ渋滞しているのに、その中の1車線を塞いでしまうのですから、他の車にとってはいい迷惑でしょうけどね。

ぶつけてきた方の車の運転手も、すぐに降りてきてニコニコしながら、「コトー・ナ・ピー(ごめんなさいね)」とうちの運転手さんに謝ってました。

渋滞で集中力が散漫になっていたのでしょうね。タイではよくあることで、私はこれで2回目の経験です。


でも、私はツイてます。

大した事故じゃなくて怪我もしなかったし、会社のすぐ近くだったから時間のロスもなく帰れました。

本当に、ありがたいことです。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:03 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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