斎藤一人さんの「変な人が書いた驚くほどツイてる話」 を7回読むということをやって、昨年の9月28日に達成しました。
今から思うと、あれが1つのきっかけになった気がします。
「同じ本を何度も読む」ということで考えたとき、私の頭に浮かんだのは「神との対話」シリーズでした。
前にも書きましたが、2001年にタイに来るにあたって、私は蔵書のほとんどを処分しました。
島根の実家に一部残っていますが、気持ちの上ではすべて手放したのです。
「もし、また読みたくなったら買い直せば良い。だって、それだけ価値があるということなのだから。」
そんな気持ちだったのです。
ただ、「神との対話」シリーズだけは手放せなかった。
「これは何度も読み返してみないといけない。」
そう感じていたからです。
実際、タイに来てからも2回くらいは読んだと思います。
そして昨年、斎藤一人さんの本がきっかけとなって、またシリーズの最初から読み直してみることにしました。
おそらく9月29日以降だったと思います。
そんなとき、上司から人格を否定されるような叱責を受けました。
私にとって、しばらく悶々とするような、心に残る出来事だったのです。
けれども、私はすぐに視点を変えて考えてみることを選択しました。
見方を変えたのです。
「すべての出来事が必然で無駄がないのなら、この出来事にも何か私のためになる意味が与えられるに違いない。」
そして、そういう出来事があったにも関わらず、いえ、そういう出来事があったからこそ、自分らしく生きるという選択をしたのです。
「神との対話」シリーズは、宗教の本ではありません。
既存の宗教とはまったく異なるものです。
霊的なことを扱っているという点で、宗教と勘違いされるかもしれませんが、そうではありません。
科学や哲学とも言えますし、生き方の指針とも言えます。
実際、現実の生き方において役立つ内容です。それを私が自分で証明しました。
あれから今まで、ほぼ途切れることなく少しずつ読み進めてきました。
どれもこれも分厚い本ですが、読みだすと引き込まれてしまいます。
同じようなことが書かれているのに、どれもが新鮮です。
「この本がシリーズで一番だな。」
その本を読んでいるとき、私は毎回そう思うのです。そしてそのたびに、不思議な本だなあと思います。
そして何度も同じような内容を読むことによって、徐々にその考え方が私の中に浸透してきたように感じます。
もちろんそれは、ただ読むだけではなく、こうしてブログなどを書くことによっても、私の中で明確なものになってきています。
こんな素晴らしい本なのに、まだあまり知られていないのでしょうか。
ベストセラーにもなっているのですけどね。
もし可能なら、読書会でも開いて、一緒に知恵を分かち合う仲間づくりができたらいいなあと思うくらいです。
2013年01月09日
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