2013年01月08日

人生に起こることはすべて必然

人が不安になるのは、「今」を生きようとせず、「未来」に生きようとするからです。

「今」はすでにあり、存在しているのですから、不安を感じるはずがありませんよね。

不安というのは、必ず「未来」のことなのです。


しかし、人が生きるのはいつも「今」しかありません。

禅問答のようで申し訳ありませんが、言葉をそのままとらえて考えてみてください。

私たちは常に、「今」を生きているだけなのです。


「でも、未来がいつか今になるのだから、未来を不安に思うのは当然じゃないの?」

たしかに、その通りです。

でもそれは、「未来」が自分でコントロールできないと信じているからではありませんか?

私もそうでした。

将来、どんな不都合なことが身に起こるかわからない。そう考えると不安だし、怖かったのです。


でも、それが幻想だとしたらどうでしょう。

たしかに、私たちには未来を正確に予想できないかもしれない。

でも、どんな出来事が起ころうと、それは事前に自分が創ったことだとわかれば、不安はなくなるのではないでしょうか?


 

ここで2つ疑問があるかもしれません。

1つは、「自分が未来(これから訪れる今)を創るということが本当か?」というものです。

もう1つは、「そうだとしても、どうしてそれが不都合でないと言えるのか?」ということです。


最初の疑問ですが、これは昨日の記事にも書いたとおりです。

昔から多くの人が語ってきたように、私たちは、自分で人生の環境を決め、出来事を引き寄せ、死ぬタイミングさえも決めています。

「神との対話」シリーズによれば、人は3つのものからなっているそうです。

それは、魂、精神、身体です。

この3つは本来はひとつのもの(三位一体)ですが、この世に生まれるときに分裂します。

身体は潜在意識によって創造します。精神は意識(思考)によって創造します。そして魂は超意識によって創造します。

たとえば、心臓が動き続けるとか髪や爪が伸びるのは、私たちが意識せずに潜在意識で創造している部分だと言います。

つまり、3者は互いに関連し、影響を与えつつも、精神には魂や身体がどう考えているか、はっきりわからないことがある、ということなのです。

ただいずれにせよ、私たちはその3つの部分のどこかで考えることによって、自分の人生を創造していると言います。


次に2つ目の疑問ですが、上記のように精神には、魂の考えや身体の考えがわからないことがあります。

また、自分(精神)の考えでさえ、いつそう考えたかを忘れてしまっていることがあります。

他人を恨んだり、ひどく不安を感じながら、「どうして自分は病気になるのか?」といぶかしがるようなものです。

いずれにせよ、自分の思考が人生を創造していると言えるのです。


たとえば死は、自殺でもなければ、それがいつなのか精神にはわからないこともあるでしょう。いえ、たいていはそうでしょう。

けれども、魂ははっきりとそれを知っていて、そのように計画しているのです。

その証拠は、昨日も書いたように、私たちが自分の環境を自分で決めて生まれてくるという数々の証言です。

生まれることさえ自分で決めているなら、どうして死ぬことも自分で決めないことがあるでしょうか。

また、人生における重要な出来事も、魂の計画に入っていないことがあるはずがありません。

なぜなら、人生が魂の計画通りにならないとするなら、魂はこの世で目的を達成できないことになってしまうからです。


魂を神と呼び変えてもかまいませんが、魂(=私たち)の本質が「ひとつのもの」であり、永遠に存在する「ひとつのもの」がすべてなら、何のために目的を達成できないようなことをする必要性があるのでしょうか?

それは論理的に考えておかしなことです。


こう考えてみると、自分の人生に起こることは、すべて自分が目的を達成するために考えた通りだとわかります。

ですから、考えたことが完璧に創造されたのが、自分の人生の現実なのです。


「こんな人生を望んだことなどない!」

そう怒りたいかもしれません。誰しも、もっと良い人生を生きたいと思っているでしょうから。

けれども、自分の人生に対して、自分が責任を持つまでは、それを変えることはできません。

これもまた、論理的に考えればそうなるでしょう。

他の誰か(神)や環境によって左右されると考えているなら、そうなるでしょう。

そしてそう考えている限り、自分でコントロールすることができません。


まずは、今の現実を受け入れることです。

精神には、それがいつどの部分で考えた結果なのかわからないかもしれない。

けれども、必ず自分のどこかの部分が考えた結果で、それが完璧に現れたものだ。

そう思うことが重要なのです。


そして次に重要なのが、その起きた現実には何の意味もない、つまりニュートラルだということです。

出来事には何の意味もありません。そこに自分で意味を与えることによって、私たちはそれを経験します。


そしてその経験が感情を産み、その感情に刺激されて次の思考が生まれます。

その思考がまた、次の出来事を創造するのです。


私たちの精神がコントロールできるのは、出来事に意味を与えることです。

好きなように、自由に与えられるのだということを知って、自分がこうありたいと思うことに役立つように、その意味をでっちあげるのです。


魂には、この世に肉体を持って生まれるための計画があります。

その目的を達成するために、環境や出来事を整えています。


そして、その目的が達成されないことはありません。

なぜなら、魂はしつこいからです。(笑)


何度でも同じような出来事が起こるのは、そのためです。

いくら精神が、「もう魂の好き勝手にはさせない。自殺してやる。」と考えて身体を従わせても、魂は負けません。

なぜなら死ぬことによって3者はまた「ひとつのもの」となり、自分の目的を思い出すからです。

現世で達成できないとしても、魂はまた来世で同じような体験を繰り返すことでしょう。

そういう意味では、自殺は無意味な抵抗ということも言えるでしょうね。


そういうことがわかってくると、魂に逆らおうとするような無意味なことはやめ、魂の目的にしたがう生き方をしたいと思うでしょう。

魂の目的は1つです。

それは、もっと偉大な自分を体験すること。もっと自分らしく生きること。

だから、私たちが生きる目的は、「自分らしく生きること」なのです。



これって、素晴らしいことだと思いませんか?

自分の自由に、自分らしく生きなさいと言われているのです。それが目的ですから。

何かを経験し、その中に自分らしくないものがあったら、次は別の生き方をしようと決めるだけで良いのです。

罪悪感を抱いたり、自己卑下する必要はまったくありません。

思い切って挑戦し、何度も何度も挑戦し、自分らしさを表現するだけで良いのです。


今が自分らしくないと思うなら、まずは現実を受け入れ、そこに自分らしくなるような意味を与えましょう。

他者や環境に力を与えることはやめ、すべての責任を自分で負うことに決めるのです。


そうすれば、自分らしく生きられるようになります。

この世に犠牲者はいません。犠牲者だと考える人がいるだけです。

犠牲者に甘んじている限り、自分の人生を自分で切り開くという体験ができません。

いつまでも、小さな自分を経験し続けることになります。


でも、それもいつかは終ります。

魂はしつこいですから。(笑)

いつかは、精神の方がギブアップします。

「もういい。こんな体験は十分だ。飽き飽きした。」

そのとき初めて、人は変わることができるのです。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:37 | Comment(0) | 私の考え | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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