2012年12月26日

人生劇場を楽しむ

まだ食あたりから完全復活できていませんが、やっとコーヒーくらい飲んでみようという気になりました。

ビールは明日くらいからでしょうか。まあ、夕方また考えます。


昨夜は妻と、ジャッキー・チェーンの映画「ライジング・ドラゴン」を見に行きました。

彼の最後の作品になるかもしれないということを、上映中に妻から聞かされました。

お腹がグルグルと鳴るのが気になっていましたが、そのうちに映画に完全にのめり込みましたよ。

やっぱりジャッキーの映画は面白い!最高ですね。


何が面白いって、真剣な動作の中に、ちょくちょく現れるコミカルな動きがあるからです。

思わずクスっと笑えます。

ラストシーンのアクションは圧巻でした。

ネタバレになるので言えませんけど、「なるほど、そうきたか。いや、さすがだなー。」と驚きましたよ。

ぜひ、劇場でご覧ください。観て損のない作品だと思います。

 

さて、観て楽しいのは、何も映画だけではありません。

人の生きざま、つまり人生劇場も楽しいものです。

十人十色と言いますように、それぞれにそれぞれの人生があります。

その生き様は、どれひとつ同じものはなく、輝かしいものだと思うのです。


そんな自分の人生を、ジャッキーの映画のように「これはすごいや」と思ってもらえたら、どんなにか嬉しいでしょうね。

それで、どんな人生劇場だとそう思われるかを考えたのですが、やはり波瀾万丈の人生というのが一番だと思います。

もちろんラストは、最高点に達するのがいいですね。終わり良ければすべて良しですから。

でも、なかなかそういう人生はないようです。


私が尊敬する勝海舟氏も、江戸城無血開城が華々しい活躍と言えますが、その後はそれほどパッとしたものではありません。

勝の地道な働きかけが実って、徳川家の恩赦が認められたくらいの実績でしょうか。

明治政府に出仕したものの、たいした活躍はしていません。

どうも本人も、希望を失っていたようなフシもあります。


なかなか思い通りに行かないのが人生。それは言えると思います。

そんな何が起こるかわからない人生でも、どう生きるのが素晴らしいのか?

その1つの解として、武士の生き様があります。

たしか葉隠(はがくれ)という書物に書かれている内容だと思いますが、武士の手本としてこういうエピソードがありました。



ある武士が、殿様から呼び出されてこう言われました。

「おぬし、悪いが腹を切ってくれ。」

言われた武士は、眉ひとつ動かさず即答しました。

「しょうちいたしました」

部屋に戻った武士は、すぐに切腹の準備を始めます。

感情的に取り乱すこともなく、淡々と白装束に着替え、あとのことを書き残します。

おだやかな表情で、いざ切腹というときに、殿様がやってきて言いました。

「事情が変わった。切腹はやめよ。」

武士はひれ伏して答えます。

「しょうちいたしました」

武士はすぐに元の装束に着替えると、それまで行なっていた仕事に戻り、また淡々と職務を遂行したのです。



どう思います?

私がこれを初めて読んだとき、2つのことを考えました。

1つは、「ひどいなあ」ということ。

臣下の命を何とも思わず、虫けら同様に扱うことへの憤りです。

それに対して抗議すらできない武士社会に対する反感もありました。

2つ目は、「すごいなあ」ということ。

どうしてこの武士は、切腹の命令にも動揺しなかったのか?また、切腹を許された時も、何ごともなかったかのように平常に戻れたのか?

なぜそんな風にできるのかがわかりませんでした。胆力があるとか、忠誠心がある、というだけでは、説明できなかったのです。


でも今は、1つのこたえがあります。

それは、「必要性を感じない」というキーワードです。


もし必要性を感じていなければ、あるのは単に好みだけです。

いくらサッカーが好きな人だって、24時間サッカーをするわけではありません。

サッカーも好きだけど、今は寝ていようとか、今は食事をしようとか考えます。

サッカーをする必要性からやっているわけではないのです。


上記の武士も、生きる必要性を感じていなかったのだと思います。

自分の生き様とは徹底して忠義を貫くこと。

そう決め、他に何も必要性を感じていなかったのでしょう。

恩賞も身分も、お金も、家族も、何も必要ではなかった。

だから、殿様から切腹を言いつけられれば、その理由を問う必要もなく、ただそれにしたがうことが忠義の道だったのです。


忠義という価値観がそれほど重要かどうかは別として、この必要性をなくすことで驚くような生き様ができるということは、大いに参考になると思いました。

みんなから慕われた良寛禅師は、こんな言葉を手紙に残しています。

災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬる時節には死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候。

逃げ回るのは、必要性を感じているからです。

その必要性をなくせば、それを受け入れることができます。


私が尊敬する吉田松陰氏も、こういうことを言っています。

死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。

吉田松陰.comより)

生死に囚われない、すなわち死を怖れない、生を必要としないからこそ、大きなことができるのだと思います。

 

私のようなものでも、50年も生きていれば様々なことがあります。

波瀾万丈と言えるかどうかは別として、平穏な日々を願っていた私にしては、随分と遠くまで来たものです。

それも、そのときどきで、自分の損得を考えず(=自分の必要性を乗り越え)に、もっと大きなもののために生きようとしたからだと思います。

それはすなわち、自分を拡大させることです。


この挑戦に終りはありません。

人生劇場は幕を閉じるまで、いつでも挑戦の機会を与え続けてくれます。

どこまで必要性を捨てきれるか、どこまで自分を拡大できるか、それに挑戦した生き様こそが、他の人たちへの最大の贈り物になるのだと思います。


内村鑑三氏は「後世への最大遺物」という本の中で、こう言います。

誰にでもできる最大遺物とは、勇ましい高尚なる生涯である。




あなたの人生劇場を観て喜ぶ人がいます。

必ずいます。

なぜなら、私たちは「ひとつのもの」であり、つながっており、一体なのですから。

勇気を出して、人生の挑戦を受け入れましょう。
 

posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:55 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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