2012年12月10日

自殺することは悪いことですか?

またまた既存の価値観への挑戦です。

自殺は悪いことだと思いますか?


私は、ずっと自殺は悪いことだと考えてきました。

どうして?

そう、その「どうして」が問題です。


キリスト教などでは、「自殺をすると地獄へ行く」というようなことが言われます。

つまり、神の掟に反する行為だという考えです。

そういう教義がない日本では、「親を悲しませる」、などと言われます。

つまり、親の意に反することだから悪いことだと。

ただこの論だと、「オレが死んでも悲しむ者はいない」という人を説得できませんけどね。


でも最近、「自殺」=「悪」とは思えなくなったのです。

たとえば、病気で苦しんでいる人がいます。

死ねば楽になると考えているとき、家族から「死なないで」と言われる。

これは嬉しい半面、苦しいことです。

自分はまだ苦しまなくてはいけないのか?

そう思うかもしれません。


「安楽死」という言葉があります。

苦しみから解放させてあげて、安らかに死なせること。

今の日本では、これは容易なことではありません。

どうして将来のない人に、必要以上に苦しませなくてはならないのでしょう?

その根拠は、どこにあるのでしょうか?


安楽死よりも容易なのは平穏死です。

死期が来て、食べ物が口に入らなくなったら、不要な延命措置を拒絶するというもの。

人工呼吸や透析、胃ろうなどによる栄養補給を拒否し、身体が死を準備するのを穏やかに見守ることです。

これとて消極的な自殺だし、消極的な自殺のほう助だと思いますが、積極的に関与しないということで目をつぶっているような感じです。

だからこういう人が病院に運び込まれると、医者は何としてでも生かそうとして、患者の苦痛を無視して治療をします。

「死」は医療にとって敗北だし、「悪い」ことだと考えるからでしょう。

でも、安楽死と平穏死で、どれほどの違いがあるのでしょうか?


また、こういうこともあります。

死は本来、短ければ短いほど、苦痛を感じずに済むものです。

つまり、即死というのが、どれだけ楽かということです。

そこで楽に死なせてあげようとして筋弛緩剤を注射して安楽死させると、医者は殺人罪に問われます。

その一方で、長年にわたって肉体に苦痛を与えるようなタバコを販売する人は、報酬を得られる仕組になっています。

真綿で首を絞めるような緩慢な自殺のほう助は報奨され、短期的に助けると殺人罪とか自殺ほう助罪に問われる。

どこかおかしいのではないでしょうか?


そもそもの根底に、「死」=「悪」という価値観があるため、「死」が速いほど悪いことになる。

それによってその人が喜ぶかどうかに関係なく、その人の自由を無視して、この価値観に従わせようとする。

そのことに、違和感を感じます。



何かおかしいのです。何かが機能していないのです。


私は、自殺することで苦を取り除きたいという気持ちには、深く同情します。

死ぬことで楽になれるなら、いっそのこと死んでしまいたいという気持ちには、共感できるのです。

問題は、そこで死を選ぶのが自分の目的に対して適切なのか、そうでないのか、ということだと思います。


多くの場合、苦しまなくてもよい理由で苦しんでいるからです。

本当は、その苦しみがなければ死ななくても良かったはず。

死なずにやりたいことをやりたかったはず。

そう考えるから、自殺より別の方法を選んで欲しいと思うのです。


自殺そのものは、悪いことではありません。

それが私の結論です。


自分で自分の死を選ぶことそのものは、悪いことではなく、自然なことだからです。

だから、死ぬなと命令することもできないし、ましてや自殺した者やその家族に罪悪感を抱かせるようなことも、間違っていると思います。

それよりも、本当は他の選択ができたはずなのに、気づかずに自殺を選んでしまうことを、とても残念に思うのです。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 18:32 | Comment(0) | SJ通信過去ログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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