難しそうなタイトルでごめんなさい。易経(えききょう)の話です。
中国の古典で、筮竹(ぜいちく)を使って森羅万象の変化を予想する占いでもあります。
「易」とか「易占い」と書いて、椅子に座っている人を見たことがありませんか?
あれも易経をもとにした占いをしています。四柱推命とか、それをもとにした六星占術なども、元をたどれば易経に行き着くわけです。
ただ、これを「当たるも八卦」の単なる占いと考えてはいけません。
なぜなら、易経は儒教の基本書籍である五経の1つとされているからです。立派な学問の書籍なのです。
そんな難しい易経ですが、エッセンスはそれほど難しいものではありません。
世の中はすべて、陰と陽の2つから成り立っており、陰の中にも陽があり、陽の中にも陰があると説いています。
陰とか陽という呼び方がしっくり来なければ、マイナスとプラスでも、女と男でも、闇と光でも、何でもかまいませんよ。
ともかくそういった相対的な、対照的な2つの要素の組合せが、この世の森羅万象だと言うのです。
しかもそれらは、常に動き続けます。
陰から陽へ、陽から陰へと、絶え間なく変化すると言うのです。
その変化を見極め、予想することで、将来起こることに対処するというのが、易経の目指すところでもあるのでしょう。
易経に、こんな言葉があります。
「陰、極まれば陽に転ず。」「陽、極まれば陰に転ず。」
つまり、マイナスも行き着くとプラスに変化するし、その逆もあると言うことです。
これはなんとなく理解できると思います。
「冬来たりなば春遠からじ」「夜明け前が最も暗い」「禍福はあざなえる縄の如し」
そういうように、私たちの先輩たちも言っています。
つまり、この世はすべて陰と陽の変化のリズムでできているのですから、落ちるところまで落ちれば、あとは自動的に上昇するのです。
このことを言葉では知っていても、腹まで落とし込んでいない人が多いようです。
ですから落ちることが怖くて、もがいてしまうのでしょう。
落ちるなら、落ちるところまで落ちたらよろしい。そうすれば、あとは登るだけなのですから。
昇り龍と降り龍の絵をご存知ですか?
下まで落ち切って、頭を上に向けた瞬間の龍が昇り龍です。その逆に、上まで登り切って、頭を下に向けた瞬間の龍が降り龍です。
あの絵も、実は陰陽を表しているのです。
もう1つ重要なことがあります。
陽が良くて、陰が悪い、ということではない、と言うことです。
陰も陽も、単にエネルギーの度合いを示しているだけであって、陰と陽の間の変化とは、単にエネルギーの増減のリズムに過ぎないのです。
呼吸も、吸うのが良くて、吐くのが悪いわけではありません。単にリズムに過ぎないのです。
男が良くて、女が悪いのでもなく、夏が良くて、冬が悪いわけでもありません。
ですから、下り坂の時に「悪い」と決めつけて意気消沈するとしたら、それは事実を見ない滑稽なことと言わざるを得ないでしょう。
仮に万人が「悪い」と言おうとどうしようと、あなたがそれを認めなければ良いのです。
景気が下降気味だと、景気が悪いと表現します。
それは単にその人の価値観であって、事実を表したものではありません。
会社に就職できないことが悪いのではなく、会社に就職できないからこそ、他の生き方が選択しやすくなるというメリットさえあるのです。
昨日紹介した吉江勝さんの新刊、「どんな人にも1つや2つ儲けのネタはある!」を読むと、そのことが書かれています。
今は就職難だからこそ無理に会社に就職しようとせず、やりたい仕事が自分のペースでできる起業という選択肢を選びやすくなっている。
そう考えたら、今の時代を「悪い」と決めつける方がおかしいしでしょう。
また、そう決めつけるのは、自分で自分を不幸にしようとするのと同じことだと思うのです。
2012年12月18日
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