「君子困窮(くんしこんきゅう)」という四文字熟語があるそうです。
すぐに思いつきましたが、これは論語から来たものですね。
「子曰、君子固窮」(子曰く、君子もとより窮す)
本当は「君子固窮(くんしこきゅう)」が正しいのですが、おそらく固窮(こきゅう)という言葉が日本語にないことと、漢字も困窮に似ていることから、いつしか「君子困窮」として広まったものでしょうね。
全体の口語訳は、以下のようになっています。
「陳の国にいる時に糧食が無くなってしまった。孔子の弟子達は病み疲れて立ち上がることもできない。子路が憤激して孔子に拝謁して申し述べた。『君子であっても食に困窮することがあるのでしょうか?』。先生がおっしゃった。『君子でも当然困窮することはある。しかし、小人が困窮すると混乱してしまうものだ。』。」
(『論語 衛霊公篇』の書き下し文と解説)
つまり、どんな立派な人であっても困窮することはあるのです。立派でない人との違いは、困窮した時にどう対応するかという違いです。
立派でない人は、自暴自棄になったりして何をするかわからないけれど、立派な人は困難の中でも自分を見失わず、徳性にしたがって冷静に考えることができるというわけです。
論語では、立派な人は困難の中でも自分を見失わないと表現していますが、逆のことも言えます。
つまり、困難の中でも自分を見失わない人は、立派な人だと。すなわち、君子であると言えるのです。
君子を立派な人と言いましたが、別の言い方をすれば、自分が立派だと思う人、つまり自分が抱く素晴らしい人のイメージです。
それはまさに、自分らしく生きることであり、自分らしさを表現することだと思うのです。
孟子の中には、こういうことが書かれています。
「天の将に大任を是の人に降さんとするや、必ず先づ其の心志を苦しめ、其の筋骨を労し、その体膚を餓やし、其の身を空乏し、行ひ其の為すところに払乱せしむ。心を動かし、性を忍び、その能はざる所を曾益せしむる所以なり。」
(古典と楽しむ名言集)
天が大きな使命を与えようとするときは、最初にその人の精神や肉体を苦しめることによって試練を与え、その人の能力をより大きく高めるようにする。だいたい、こんな意味になります。
つまり、困窮するということは、天が大任を与えようとして、その準備をさせるためだと言うわけです。
よく「ピンチはチャンス」とも言いますが、困難なことが起こったときは、飛躍する前触れとも言えるわけです。
ことわざでも「艱難汝を玉にす」と言います。
ちなみに「かんなん、なんじを、たまにす」と読みます。最初に就職した会社の入社式で、新入社員代表として読まされた文の中に書かれていました。
そのときはその漢字を読めず、「ぎんなん、なんじを、たまにす」と読んでしましました。
あとで気がついたのですが、今思い出しても赤面してしまう恥ずかしい思い出です。
松下幸之助氏は、自分が成功できた理由として、学歴・金・健康の3つがなかったことだと言っています。
普通に考えれば逆境ですが、逆境があったから成功できたと言うのです。
逆境を経験することの重要性で言うと、大病、投獄(収監)、貧乏(倒産)の3つが挙げられます。
これらのうちの1つでも経験し、そこから這い上がってくるなら、強い精神力を得ることができるのでしょう。
まさに孟子に言うように、天が大任を与える準備が整うのです。
「でも、そんなに強くないから、なるべくトラブルの少ない人生がいいなあ。」
そういう願いを持つ人も多いでしょうね。私もそうです。
でも、人生に起こる問題は、自分が自分のために引き寄せているので、乗り越えられない障害はないと言われます。
遠くから見ていると大変そうに見えても、いざその場に立ち会えば、何とかなるものだと。
では、実際に困難な状況に出合ったとき、どうすれば良いのでしょうか?
その解決方法を、今読んでいる「神との対話」シリーズではこう言っています。
何かあったときは、「人生を変えるたった2つの魔法の問いかけ」をしなさいと。
困窮する事態に遭遇したとき、ついパニックになって慌てふためいたり、自暴自棄になって思慮のないことをしたくなったとき、自分に問いかけるのです。
「これがわたしか?」
そうすれば、本当の自分が他にあることを思い出すでしょう。
そして次に、こう問いかけるのです。
「愛なら、いまどうするか?」
そうして得られた答が、本当の自分であるための方法です。
困窮したとき、小人は乱れるが、君子は冷静でいられる。
それは、その出来事が本当の自分を表現するチャンスだと知っているからです。
そしてただ、自分自身であろうとするのです。
2012年11月28日
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