黄金律(ゴールデン・ルール)というものをご存知でしょうか?
ウィキペディアを見ると、みごとにまとめてありますね。
よく知られているのは、キリスト教の黄金律です。
「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」
(マタイによる福音書・第7章12節)
また日本人によく知られているのは、論語の一節です。
「己の欲せざるところ、他に施すことなかれ」
否定形ですけど、要は同じことです。
自分がしてほしいことを他人に対して行い、自分がしてほしくないことは他人に対しても行わない。
それが黄金律です。
これは、ほとんどの宗教で言われていることです。
ヒンズー教でも、イスラム教でも、同じことが言われています。
「人が他人からしてもらいたくないと思ういかなることも他人にしてはいけない」
(ヒンズー教の聖典・マハーバーラタ)
「自分が人から危害を受けたくなければ、誰にも危害を加えないことである。」
(イスラム教の経典・ムハンマドの遺言)
もしこの黄金律を忠実に守るなら、世の中に争いごととか、ましてや虐待や戦争などというものは、起こらないでしょうね。
それなのにそういうものが起こるのは、特に宗教を信仰している人たちが起こすのは、自分に都合がよいものだけを見て、都合が悪いことには目を閉じているからでしょう。
それはさておき、まず注目していただきたいのは、古来よりずっと、この黄金律があらゆる場所で言われ続けてきたことです。
多くの人の支持を得てきたからと説明することもできるし、人間の本質に根ざしているからとも言えるでしょう。
けれども、それを守る人は少なかった。
だから現実がこのような世界になっているのでしょうけど、それはどうしてでしょうか?
おそらく黄金律が、ルールとして、自分を規制するものとして捉えられてきたからだと思うのです。
前にも言いましたが、人の本質は自由です。
外的に自由を制限するという試みは、ことごとく失敗しています。
それが良いことであれ、悪いことであれ、人の本質は制限を嫌うのです。
人は制限されることにより、「自分のままではいけないのだ」と思います。
制限されたことに従えない自分を恨み、罪悪感を抱きます。
そして次に、制限を与えた相手を恨みます。
どんなことであれ、他者から制限されることは、その人を不幸にするのです。
では、黄金律は間違っているのでしょうか?
そうは思いません。古典と同様、長い年月に耐え、多くの人の目にさらされてきて、なおも生き残っているのですから。
おそらく、その解釈が間違っていたのです。
誰かを強制するものととして捉えたために、私たちは間違って利用しようとしているのです。
では、正しい解釈とはどんなものでしょうか?
そのことが、今読んでいる「神との友情・下」に書かれていました。
「人類の歴史を永遠に変え、苦しみを終わらせ、人びとを神のもとへ連れ戻すことができるメッセージがたったひとつある。そのメッセージが、新しい福音だ。わたしたちはすべて一体である、というメッセージだ。」
「この新しい福音から、全面的な責任という新しいメッセージが生まれる。あなたがたは自分が選んだことに全面的な責任があり、選択はすべてみんなでするもので、選択を変える唯一の道はみんなで変えることだというメッセージだ。」
「他者を苦しめていると考えているかぎり、自分を苦しめつづけることになる。じつは自分自身を苦しめているのだということがわからないかぎり、いつまでも自分を苦しめるだろう。」
(中略)
「他者にすることは自分自身にしているのだと、他者にしてやらないことは自分自身にしていないのだと、教えてやりなさい。」
「自分にするようにひとにしてやりなさい。なぜなら、それは自分にすることだから!」
(p.168-169)
他人に対して優しくせよという命令ではないのです。優しくしなければならないという制限ではないのです。
ただ単に、他人とは私自身のことであり、私たちの本質は「ひとつのもの」だという認識に過ぎないのです。
もし目の前の他人が、実は自分自身だと知ったら、あなたはひどい仕打ちができるでしょうか?
できるはずがありません。
目の前の他人がお金がなくて困っていたら、あなたは喜んで自分のお金を差し出すでしょう。
なぜなら目の前の他人とは、自分自身のことだから。
あなたは他人を助けたのではなく、自分自身を助けたことになるのです。
だから、もし自分がこうなりたいという希望があれば、それを他人にさせなさいと言うのです。
成功したければ、他人を成功させなさい。他人の成功を助けてあげなさい。
あなたは何も失わない。むしろ多くをあげることによって、さらに多くを得るのです。
黄金律は、守るべきルール(規制)ではないし、自由の制限でもありません。
あなたが本質に目覚めたなら、そうせざるをえないだろうという神の言質です。
あるいは、魂の望み通りに生きるための指針なのです。
黄金の規則ではなく、黄金の知恵、黄金の真実、黄金の福音なのです。
2012年11月26日
この記事へのコメント
コメントを書く
●コメントを書く前に、こちらのコメント掲載の指針をお読みください。