漫画家のさかもと未明さんが引き起こした大論争です。
雑誌Voiceに寄せた「再生JALの心意気」と題した記事を報じたものだったのですが、その内容があまりにすごかった。
簡単にその経緯を書きましょう。
さかもとさんがJAL国内線に乗ったとき、1歳くらいの赤ちゃんがずっと泣きっぱなしだったのだそうです。
その泣き声を聞かされることに彼女は耐えられず、着陸準備中だったにも関わらず立ち上がって出口に向かったのだとか。
さらには、その赤ちゃんの母親に文句を言い、着陸後もJALにクレームし、広報部に取材を申し入れました。
そのときの取材内容から、JALの対応の良さを紹介するとともに、搭乗マナーや法整備など、まだ改良の余地があるという問題提起をしたのです。
この記事が紹介された後、さかもとさんが論点にしたかった問題提起の部分ではなく、彼女のふるまいについて大論争が起こっているようです。
まあ大論争と言うより、さかもとさんの態度に対する批判や非難がほとんどです。
それに対して、さかもとさんを擁護する意見もあるようです。
何人かの著名人が、このことについて意見を述べているようです。
脳科学者の茂木健一郎氏:
「1歳の赤ちゃんのふるまいを、コントロールできると思っている大人がいることが信じられない」
弁護士の落合洋司氏:
「気持ちはわかるが赤ちゃんが泣くのは仕方ないのでは。昔から、泣く子と地頭には勝てぬ、いうくらいで」
音楽プロデューサーのつんく氏:
「15年前飛行機で離陸から着陸まで泣いてた赤ちゃんのママと目が合った。『すいません。疲れてはるのに居眠り出来なかったでしょ』って。『いえいえ、2時間泣いてたこの子が一番がんばった。エライエライ』って言ったらママさんが涙しはった。今ならこのママさんの涙の意味がわかる。子供は泣くさ」
スポーツライターの乙武洋匡氏:
「うーん、僕とは相容れないなあ」
※RBB TODAY 11月20日(火)17時18分配信記事より
たしかに、さかもとさんの行動は、かえって他の乗客に迷惑をかけていると言えるでしょう。
しかし、そうでもしなければ誰も改善しようとは思わないからと、その行動を正当化することもできます。
私も、「電車内で子どもが騒ぐのを「うざい」と思ってました」という記事に書いたように、公共の乗物の中で子どもが騒いだりすることを良からぬことと思ってました。
子どもにマナーがないのはしょうがないとしても、それが身につくまで他の乗客と一緒にすることを禁止するとか、保護者が責任をもってマナーを守らせるべきだと考えていました。
ですから私は、さかもとさんを批判しません。
だってそれは、かつての私そのものなのですから。
では彼女の考えに賛同するかと言えば、それもしません。
今の私は、かつての私ではありません。
赤ちゃんが喚くことにイライラしたり、いきり立つような人間でありたくないし、それは私らしいと思わないからです。
ですから私は、私の考え方を変えます。見方を変えます。そうすることで、私らしさを表現しようと思うのです。
今回の出来事は、見方によって様々な考え方が可能です。
赤ちゃんは、おそらくつらかったからだと思いますが、一所懸命に泣いてくれました。そのお陰でさかもとさんは、記事を書くことができました。
また、さかもとさんがそういう行動をとってくれたお陰で、私たちはそういう問題に対して「どうありたいのか」を、考える機会を提供してもらえました。
彼女のことを批判することも可能ですが、それは単に、「自分の考え方と違う人を批判するのが自分だ」と表現しているだけです。
彼女は自分とは違うけれど、それを批判せずに、むしろ感謝することだってできます。
すべての出来事は、私たちに「自分とはなにか?」という問いかけをしています。
そのチャンス(機会)を与えてくれているのです。
さかもとさんを批判する人は、泣き続ける赤ちゃんの母親を批判したさかもとさんと同じことをしたのです。
自分と異なる価値観を持つ人間を批判し、罪悪感を持たせようとして攻撃するのが、自分らしいことなのでしょうか?
それを決めるのは、自分自身です。
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