2012年11月17日

定められた善悪というものはありません

「神との対話B」を読んでいます。今、やっと337ページまできました。

この本、シリーズの中でも1、2を争うほどの大作なのです。

約460ページもありますから。

神との対話B

どうです、この厚さ?隣の本と比べると、その厚さの違いがよくわかると思います。

因みに隣の本は、昨日読み終えたばかりで、松橋良紀さんの「目標設定の鉄則」というもの。

約190ページで1,300円します。

もちろん「神との対話B」とは発売時期が異なるので、単純に比較はできませんけど、460ページで2,000円というのは、かなりお得だと思いませんか?

なお、松橋さんの本も、目標設定の方法について、わかりやすく書かれた良い本です。

 

さて、今日のテーマに入りましょう。

「神との対話」シリーズでは、一貫して神は「裁かない」と言います。

それは我慢しているからとかではなく、神には善悪の基準がないからだと言うのです。


これが、既存の宗教と大きく異なるところ。

死後に閻魔様に裁かれて、嘘をついたら舌を引き抜かれるなんてこともないのだと。


なぜ神は裁かないのか?

その理由が驚きです。

すべてであって、全知全能である神なら、どうして自分が創った人間に規則を守らせる必要があるのか?と言うのです。

もしどうしても守らせたいなら、守るように創れば良いだけではないかと。

また、この世のあるものを善と言い、またあるものを悪と呼んで忌み嫌うとしたら、神の一部が忌み嫌うものになってしまうと言います。

神はすべてだから、私たちが善とか悪と呼ぶものの全てであると。


この考え方は、とても理屈にかなっています。

私も、このことで苦しんできたのです。

神が愛だというなら、どうして我が子を迷わせておいて平気なのかと。

どうして堕落して悪事をはたらくようにさせて、それで苦しませておいて、何もしないのかと。

その疑問に、この「神との対話」シリーズは答を与えてくれました。


神は、人間に何をせよとは命令しないし、何が善で何が悪かも判断しない。

人間が勝手に善悪を決めることを認めており、自由にさせている。人間に自由を与えたのは神ですから。

そうやって、すべてである神の無限の要素の中から、私たちが何を選択するかを観察しているのだと。

善も悪もないのですから、悪いことをしたから罰を与えるなんてこともありません。

神罰も仏罰もあり得ないのです。


しかし人間は、あるものを善と呼び、あるものを悪と呼びます。

そうやって自分とそうでないものを区別するのです。

それは、相対的なこの世において、自分というものを体験的に知る方法なのだと言います。

つまり、「これが私だ」と思う考えを善、「これは私ではない」と思う考えを悪と呼ぶのです。

したがって善悪という価値観は、人それぞれですし、時間によっても変化するものだと言えるでしょう。



問題はここからです。

私たちが、善悪という価値観を自分を表現する手段として利用するなら、問題はありません。

そうではなく、他人を律する手段として用いるなら、問題が発生するのです。


世界中で戦争が行われてきたし、今もなお内戦や戦争があちこちで発生しています。

戦っているそれぞれが、「自分こそが正義(=善)である」と主張し、返す刀で「相手が悪い」と切り捨てます。

そして、悪いと断定した相手を変えることによって、全体の善が守られるのだと考えるのです。


この考え方を、何世紀も続けてきました。

その結果、人間の歴史は紛争と戦いの歴史となったのです。

国と国との戦争だけでなく、人が関係する争いは、すべてこのことが原因となっています。


時には、正義であることの裏付けとして、神が自分たちに味方すると言いました。

つまり、神は自分たちを善と呼び、相手を悪と呼ぶと言って、自分たちの戦いを正当化したのです。

しかし相手も、同じ理屈によって自分たちこそ善だと主張しました。


おかしいでしょう?

どう考えても矛盾だらけなのに、ずっとそういう主張を繰り返してきたのです。

そして戦いに勝った側が自分勝手な神話を作り上げ、自分たちの正当性を示す根拠としてきたのです。


しかし、理屈にしたがって考えるなら、すべてである神の一部が悪(=神ではないもの)などということはあり得ません。

神がどちらか一方に味方し、もう一方に敵対するなんてこともあり得ません。

そんなわかりきったことを認めることさえできていないのが、今の私たちなのです。


神は、常に私たちと共にあって私たちを観察し、問いかけます。

「それで、あなたは何を選ぶの?どう考えるの?」

その考えによって私たちは、自分の人生を創造するのです。

そして創造した人生を体験し、その体験によって自分自身を知るのです。



誰もが、そういう生き方をしています。生きるとは、そういうことだからです。

ただ、そういうことが行われていることを意識して生きているのか、それとも無意識に反応するだけで生きているのか、その違いがあるだけです。

いわゆる「引き寄せの法則」とは、私たちが自分の人生を創造する方法です。

考えたことが現実になる。

それは意識しようとしまいと関係なく、常に働き続けるこの世の法則です。


あなたはこの世で、人生において、自分は何だと考えますか?何を善と呼び、何を悪と呼びますか?

その考えにしたがって、あなたの人生が創られます。

他人を批判する必要性はありません。

他人は他人の人生を生きているのですから。他人との関わりの中で、自分がどうかを考えれば良いのです。


あなたは、素晴らしい人間になりたいですか?

だとしたら、そういう人間であることを選びましょう。そういう人間だと考えるのです。

自信を持って。あなたは本当に、素晴らしい存在なのですから。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 20:05 | Comment(2) | 私の考え | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
もし私が人殺しを善と考えるなら実行して良いということでしょうか❔
神は善悪を持たないし、裁かないんですよね。
Posted by りか at 2016年04月27日 19:35
りかさん

コメントをありがとうございます。
ブログ記事を本当に読まれました?
その上で、そう質問されてますか?

もしそうなら、答えはYESです。
たとえ法律で裁かれようとも、神が裁くことはありません。
人は自由ですから、自分がそう決めたとおりにすることができます。

問題は、それでよいと自分が本当に思っているかどうかです。
そうすることが、本当に自分らしいのか?
それを他人の価値観ではなく、自分の価値観でしっかりと考え、体験した後は、その体験をしっかりと感じることです。

りかさんは、人殺しをしたいのですか?
そうすることが自分らしいと思うのですか?
その答えがYESなら、誰が何と言おうと関係なく、そうするだろうし、そうすることができます。
そしてその結果は、すべて自分が引き受けることになります。
それは神の罰ではありません。単に結果です。
それを引き受けて、さらにどうするかという機会です。
Posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 2016年04月27日 21:25
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

●コメントを書く前に、こちらのコメント掲載の指針をお読みください。

ランキングに登録しています。面白かったらボタンをポチッと押してね。
↓↓↓↓
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自分らしさへ

スポンサーリンク