2012年11月16日

結婚制度が私たちを不幸にした

あなたにとって、「結婚」とは何ですか?

みなさんはその言葉に、どんなことをイメージされるでしょうか?

「永遠の愛」「幸せ」「家族」「絆(きずな)」など、ワクワクするような、ほれぼれするような、そんな感じではないでしょうか?

しかし、そういうイメージとは裏腹に、現実は不幸の巣窟となっています。


「それはいくら何でも言いすぎでしょう!?たしかに少しは失敗する例もあるけど、たいていは幸せになるものでしょう。」

そう反論したい気持ちは理解しますが、それでも前言は撤回しません。

事実、結婚したカップルの半数以上が離婚するという現実が、それを物語っています。

半数以上のカップルは、「永遠の愛」に失敗しています。

さらに言えば、離婚という選択をせずに、結婚という状態のままで愛情を失い、惰性で継続してるカップルがどれほどあることか。


「チャーミーグリーンのCMのように、年をとっても手をつないでラブラブでいられるようなパートナーと一緒になりたい。」

これが私が若かった頃、多くの人がイメージした理想の結婚でした。

しかし、現実はそう夢想した多くの人が、その夢を達成できずにいるのです。

どうしてでしょうか?

その理由を考えたことがありますか?


「私は一所懸命に尽くしたんだけど、相手が浮気をしたから。」

「子どもが生まれたりして生活が大変になると、慣れてもくるし、愛とかなんとか言ってられないのよね。」

「多分、お互いの目指すところが違ったんだと思う。だんだんと意見の違いに耐えられなくなったんだよ。」

それぞれ理由がありますが、共通していることがあります。

それは、「変化」です。

結婚した当初とは変わってしまった。相手が、あるいは自分が、そしてお互いに。

ここに、結婚制度が私たちを不幸にする原因があります。


私たちの本質は自由です。

そして、生命の本質は変化です。


今さら「祗園精舎の鐘の声」という平家物語を持ち出すまでもなく、この世は諸行無常であり、変化し続けるものです。

片時もとどまっているものはなく、それはこの世に生を受けた私たち人間も同じことです。

その生命の本質を知っていながら、変化させないように硬直化させる制度を作った。それが結婚という制度ではありませんか。


私たちは生命であり、変化するものです。そして、自由に生きるものです。

それに抵抗する試みが、結婚という制度なのです。


どうしてこのような制度で、人が幸せになれるでしょうか?

本質に反するのですから、幸せになれなくて当然ではないでしょうか?

こんな当たり前のことなのに、まだ多くの人が目をつぶって見ないようにしています。


「それじゃあ、永遠の愛を否定するのか!?相手に対する責任を放棄することが、人間らしいとでも言うのか!?」

そう反論されるかもしれませんが、私はそのことを否定しているわけではありません。

結婚制度のような、法によって、倫理観によって、人を縛り付ける方法では上手くいかない、と言っているのです。


このことは、今読んでいる「神との対話B」に書かれています。

p.274-276から、少し引用しましょう。

大半の結婚は、とくに美しくもないね。それは、人間の自然な真実の三つの側面に反するよ。

あなたがたは愛である。愛は無制限で永遠で自由である。(中略)あなたがたはもともと、無制限で永遠で自由なのだ。

結婚という制度は、安全を保証しようとする試みだ。(中略)お互いの行動を律しようとする人工的な社会制度だ。

結婚が無制限で永遠で自由な愛につながるなら、それは究極的な愛の宣言だ。だが、いまのあなたがたは、自分の愛を約束か保証のレベルにまで引き下げようとして結婚する。

結婚は「いまの状態」が永遠であることを保証しようとする努力だ。保証がいらなければ、結婚も必要ない。その保証をあなたがたは何に使うか?第一に、安全を保証する手段として使う(自分自身のなかに安全を求めるかわりに)。第二に、その保証が永遠に続きそうもないと、相手を罰する手段として使う。


つまり結婚という制度は、私たちの本質である愛とはほど遠い「現状を永続化させる試み」として、私たちに本質以下の表現を強いているのです。

だから不幸になって当然だし、結婚から本当の愛が生まれにくいのです。


どうして相手の愛の保証が必要なのでしょうか?

それは不安だからです。


不安は、愛の対極にあるもの。その不安に根ざした制度が結婚なのですから、そこから愛が表現されなくても当たり前なのです。


ではどうすれば良いのでしょうか?

本当の愛に生きることです。

愛とは、何の保証も必要としません。相手の自由を喜びます。相手の変化を受け入れます。同様に、自分の自由を喜び、変化を受け入れるのです。



もし自分の自由意志で、1人の人を愛し続けたらどうなるでしょうか?

義務だからではなく、要求されるからでもなく、ただ自分がそうしたいと思い、そうすることが自分らしいことだと思うからという理由で。

相手がどう考え、どう行動するかは相手に任せます。相手が自由に考え、行動することを喜ぶのが愛ですから。

決められるのは自分の考えだけです。相手がどうするかに関係なく、自分がどうするかを愛を動機として決めるとしたら、いったいどうなるでしょうか?

そのことを考えてみて欲しいのです。


私たちは、保証を求めているのでしょうか?

それとも、愛に生きることを求めているのでしょうか?

保証を求めるなら、愛に生きることは不可能です。

結婚制度にしがみついている限り、いつまでたっても本当の愛に生きることができないのです。


なお、結婚の問題に関しては、別のブログ「マリッジブルー解消講座」にもいろいろと書いています。

そちらも併せてお読みいただけると幸いです。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 12:45 | Comment(0) | 私の考え | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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