2012年11月15日

自己卑下するのをやめる

「いやあ、私なんてたいしたことありませんよ。」

そう言って謙遜することが美徳とされています。

自分の価値を低く示すことで、相対的に相手の価値を高く表現する方法。

それ自体を悪いこととは思いませんが、過度の謙遜はあなたの価値を損ね、幸せになれない原因となります。


過度の謙遜は、自己卑下です。

その動機は、不安にあります。


自分を高く評価されると、かえって不安になるのです。だから自分で自分を低めることで、安心しようとするのです。


何がそんなに不安だか、わかりますか?

相手の反応が一変することが不安なのです。

さっきまで「いやあ、素晴らしいですねえ。」なんて持ち上げてくれた人が、手のひらを返したように「なんだ、大したことないじゃないですか。」と言ってくる。

すると自分という存在が否定されたような気になるので、心が傷ついてつらく感じます。

そのつらさを怖れているのです。傷つくことが不安だから、最初から自分の価値を下げてみせることで、傷つくのを防いでいるのです。


そういうように自己卑下したい気持ち、よーくわかります。

私もそうでしたから。

本当はもっとほめられたい。「すごいねえ」と言ってもらいたい。役に立つ人間だと思ってほしい。私の存在を肯定してほしい。

けれども、私にそんな価値があるとは思えません。自信がないのです。

他人は、適当に言葉だけで褒めたりするけど、いつ手のひらを返すかわからない。

だから、少々褒められたぐらいで有頂天になってちゃいけない。手痛いしっぺ返しを食らうだけ。あとで傷つくのは自分なのだから。

そう思って、反射的に自分を低めていたのです。


それともう1つ理由があります。

自分の価値を低めて示すことで、「それでも私を受け入れてくれますか?」という、相手に対する踏み絵にしていたのです。

これは、奥さんや恋人、あるいは母親の愛情に素直になれず、なぜか意地悪をしてしまう心理と同じです。

「これだけひどいことをしても、それでも愛してくれるの?」

そうやって、相手の愛情が本物かどうかを確かめるのです。

「自分はこんなに価値がない人間だけど、それでも素晴らしいと思ってくれるの?本当なの?」


こういう自己卑下は、他者に依存している状態です。

他者が自分をどう評価するかによって、自分の存在感の高低が決まると思っています。

もちろん高く評価してもらいたい。でも自信がないから、あの手この手を使うのです。


しかし、こういうことをやっている限り、他者に依存する体質から抜け出せません。

他者に依存している限り、他者に翻弄されることになりますから、いつまでたっても幸せにはなれないのです。

一瞬くらいなら、幸せを感じるようなことはあるでしょう。

けれども、その幸せを与えてくれた他者の気持ちが変わったように感じたとき、その幸せは消えてなくなるのです。

ストーカー殺人などは、まさに他者依存の結末です。

「あの人が愛してくれなくなったから、私の人生が狂ったのだ。」

その考え方を変えない限り、幸せにはなれないのです。


自分を他者依存の状態におくことで、本当の幸せから遠ざかったのは、自分自身です。

そういう自分を選んだのは、他のだれでもない自分です。

そのことに気づくまで、自分を変えることができません。

自分が変わらない限り、本当の幸せは手に入らないのです。

まずは自己卑下することをやめてみる。

そこから始めてみましょう。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 20:33 | Comment(0) | 実践内容 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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