私が子どもの頃、我が家は7人家族でした。
父方の祖父母、両親、姉と妹と私の子ども3人という構成です。
両親は共働きでしたから、学校から帰ると祖父母に面倒をみてもらうことになります。
そんな生活の中で、よくこんな会話がありました。
「あんたは、おばあちゃん子だねえ。お姉ちゃんは、おじいちゃん子だけど。」
最近は、あまり使わなくなった言葉ではないでしょうか。
何かあるとすぐに「おじいちゃん」と甘えていくのが「おじいちゃん子」です。
おばあちゃんに甘えるなら「おばあちゃん子」。
「お父ちゃん子」とか「お母ちゃん子」という言葉は聞いたことがありません。
このことを考えたとき、2つのポイントがあるように思いました。
1つは、祖父母の方が子どもに対して寛大に接しやすいということです。
つまり、子どもに対して細かいことを言わず、そのまま受け入れてくれる存在だということ。
そのままの自分を受け入れてもらえるから、子どもにとっても気持ちいい。
だから、おじいちゃんやおばあちゃんが好きになるのです。
これを単純に「甘やかす」と考えるために、多くの人は害があると考えがちです。
しかし、私はそうではないと思います。
「甘やかす」と表現される中にも、2つあるからです。
1つは、何も要求しない愛です。そしてもう1つは、相手に好かれたいがために行う取引です。
愛は相手の力を強くしますが、取引は相手の力を弱めます。相手を依存させようとし、自分も相手に執着します。
したがって、祖父母の接し方が必ずしも「愛」だとは言いませんが、経験を積んできただけに、愛する能力も成長しているのではないかと思うのです。
愛するには、必要性をなくすことが不可欠です。
その点、お年寄りになると「もう何も要らんなあ」と言って、悠々自適に暮らしておられる方が多いように見受けます。
つまりそれだけ、純粋に愛しやすくなっていると言えるのです。
もう1つのポイントは、愛と所有欲の違いです。
「神との対話B」に書かれていましたが、所有欲というのは愛という感情を抑圧することで生じたものだそうです。
その意味がちょっとわからなかったのですが、おじいちゃん子やおばあちゃん子のことを考えていたら、スーッと理解できました。
核家族化が進んだ現在、祖父母に孫の顔を見せに行くのが嫌だという悩みを、人生相談に寄せる方がおられます。
だいたいお嫁さんですが、夫の祖父母に会わせたくないのだと。
理由は様々です。祖父母が甘やかすからとか、子育てに対して口を挟むからなど。
けれども、それは単に子どもを、自分の所有物だと考えているからではないかと思うのです。
そう言われると反論したくなるかもしれませんが、まあお聞きください。
子どもが、祖父母に会いたくないと言っているなら、その気持を尊重してあげれば良いでしょう。
そうではなく、自分の思いで会わせたくないと考えているのだとしたら、それは子どもの気持ちを無視していることですよね。
相手の自由を奪う行為は、愛から生じたと言えるでしょうか?
このことは、離婚した夫婦についても言えます。
親権を持った側(たいていは母親)が、もう一方の親に子どもを会わせないようにするという問題があります。
そのとき、「子どもが会いたくないと言っている」という理由を使うケースが多いそうですが、それが真実かどうかは、自分自身がよくわかっているでしょう。
他人を騙すことはできても、自分をごまかすことはできませんから。
子どもにプレッシャーを与えることで、「母親は父親に会ってほしくないのだ」と子どもが察してそう言うとしたら、それは子どもに対する愛と言えるでしょうか?
自分自身が愛の感情を抑圧してきた(そうさせられてきた)ために、ねじれ曲がった所有欲という形でしか表現できなくなったためではないでしょうか?
無条件に与える愛ではなく、自分が何かを得る必要性があると無意識に思ってしまうために、対象に依存し、執着してしまう所有欲として表現される。
子どもがおじいちゃん子やおばあちゃん子だったとしても、愛だったら嫉妬はしません。
本当は、変えなければならないのは自分自身なのに、相手を変えようとする。
子どもを所有し続けようとして、祖父母に会わせないとか、離婚したもう一方の親に会わせないようにする。
しかし、相手は変わりません。
なぜなら、相手は相手の意志でしか変わらないし、それに相手の存在はあなたへの贈り物だからです。
せっかく気づかせてくれたのです。それは所有欲であって愛ではないということを。
その気づきを得るために、自分が引き寄せた現実なのです。
苦しいのでしょう?つらくてたまらないから、誰かに相談したくなったのでしょう?
苦しさやつらさは、大いなる気づきの前兆です。
「これは本当の自分じゃない」と、あなたの魂が叫んでいるのです。
他の誰かの意見にしたがってはいけません。そうではなく、自分自身の心にしたがうべきです。
自分自身が楽しくなるよう、気持ちよくなるよう、自分で答えを探すのです。
それを見つけたとき、大きな満足感に包まれるでしょう。
「ここに自分がいた。これが本当の自分だ。」
そう魂が感情を通じて伝えてくれるからです。
2012年11月07日
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