そう問われて、すぐに目を輝かせて答えられる人は、本当に幸せな人だと思います。
何かの映画に、こんなシーンがありました。
片田舎でウエイトレスをして働いていた少女が、客からもらうチップのコインを、大きなガラス瓶に入れて貯めています。
これが一杯になったら取り出して、そのお金で大都会へ行く。
大都会へ行って、都会人として華やかな生活をしたい。
そしてついに少女の夢が叶い、大都会へ旅立つのです。
その夢がどんなバカげたものであっても、嬉々として夢を語ってくれる人は、とても魅力的だと思います。
そういう人と出会うと、応援したいと思いませんか?
私は、応援したくてたまらなくなります。
だから、勉強したいという子どもたちの夢を叶えてあげたくて、支援したりするのでしょうね。
夢は、書くことで叶いやすくなると言います。
実際私も、ブログに書いた夢とも言えないような「アジアに行きたい」という思いが叶って、こうしてタイで暮らしているのです。
青いバイクがほしいなという思いが叶って、わずか1万円で中古でしたがCB350を手に入れたこともありました。
まずは言葉にして語る。次は紙に書き出す。
こうすることで、自分の夢(願望)が何かをはっきりさせることが大切なのだと思います。
もっと実現しやすくするには、イメージにまですることが大事だと言われます。
それが実現した様子をありありと思い浮かべること。
そのために、写真を使うことが有効だとされています。
夢ノートに、ほしいものとか、行きたい場所の写真を貼り付け、その夢が叶った様子を思い浮かべてはワクワクする。
引き寄せの法則からしても、そういう手法は効果的でしょう。
ただ、こういう人もいるでしょう。
「夢?夢なんて何もないよ。別に何かしたいとか、どこかへ行きたいなんてこともないし。」
私も経験がありますが、積極的な気持ちになれないとき、夢なんてものが思いつかないのです。
こういうとき、無理に夢を作り上げる必要はありませんから、焦らないでください。
いつかふと、そういえばこんなことしたいなあと感じることがありますから。
そのための準備として、こういう質問を覚えておいてください。
「もしあなたが、何も制約がないとしたら、何でもできるとしたら、何がしたいですか?」
コーチングで使う質問ですけど、自分の本心を引き出す問いかけです。
人は無意識のうちに、外的な環境などの条件を受け入れ、それに立脚してものごとを考えてしまいます。
ですから、いったんその条件を取っ払ってみるのです。
たとえば、かすかに「外国で暮らしてみたい」なんて願望を持っている人がいるとしましょう。
しかし、次の瞬間には自分をとりまく条件が頭をよぎります。
「無理、無理。第一お金がないもの。給料も安いし、貯金なんてないし。それに、英語はからっきしダメだし。日本語ガイドがついてパッケージツアーで行くのがせいぜいよ。」
こうして自分の可能性を制限してしまうのです。
「だってその通りなんだから、しょうがないじゃないの。その条件の中でできる方法がなかったら、無理なものは無理でしょう。」
そう反論したい気持ちはわかります。
とても論理的だし、論理的な考え方は私の好むところですから。
でもね、世の中には理屈では説明できない不思議なことがたくさんあることも事実です。
もちろんそれは、自分が持っている知識では説明できない、ということですけどね。
たとえば私など、まさにそうでしょう。
外国で暮らすノウハウがあったわけでもないし、英語なんていまだにしゃべれませんから。
特に裕福だったわけでもないし、海外に赴任する可能性がある会社にいたわけでもありません。
しかし、どういう縁だかわかりませんが、青天の霹靂というような出来事が起こって、タイで暮らすことになったのです。
これ、理屈で説明できますか?
まあ、後づけで何とでも言えるでしょうけど、私が計画してこうなったわけではないことを理解してください。
おそらく私は、夢(思い)を書いた後、それを忘れていたから否定しなかったのです。
「できたら楽しいだろうな。」とまでは思いましたが、「どうせ無理だよ。」とは思わなかったのです。
だから時間がかかっても、それが実現したのだと思います。
いいじゃないですか、思うくらい。バカバカしくても書いてみるくらいやってみましょうよ。何も損はしませんから。
書いて、放っておけば良いのです。
私自身は、あまり夢がない人間です。
あれをしたいとか、これがほしいなどという欲求がないのです。
でも最近、ふと思ったことがありました。
1つは、田舎の神楽に「八岐の大蛇」を復活させたいということです。
今年、神楽を見に行ったのですが、「八岐の大蛇」がなかったのです。
理由は、蛇胴が壊れて使えないからというもの。
神楽の最後を飾る大蛇の舞がないなんて、残念だなあと思ったのです。
もう1つは、タイ東北部のイサン地方を、農業でもっと豊かな地域にしたいということです。
イサン地方は赤土で塩分を多く含んでいます。灌漑のインフラが遅れていて、乾季には渇水で水がなくなるのです。
せっかく温かい土地なのに、米も一期作でしか作れません。タイ中部の肥沃な土地なら三期作さえ可能だと言うのに。
もっと高いポテンシャルがあるはずなのに、上手く利用できていないだけではないか?
そんな気がするのです。
もちろん、すでに農業をされてる方からは、「だったら自分でやってみろよ。どれだけ大変かわかるから。」と言われてしまうかもしれません。
それはたしかにそうなのでしょうけど、まあいいじゃないですか。私の単なる夢ですから。
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