2012年10月30日

人はなぜ立つこともできない赤ん坊として生まれるのか?

人間以外の動物は、生まれると同時に立ち上がり、歩き出し、中には親と同等の能力を持つものもいます。

それは、いち早く親と同じような能力を身につけないと、生きていけない現実があるからだと言います。


でも、ちょっと待ってください。

もし人間がそういう動物から進化したのだとしたら、どうして人間の赤ちゃんは立つことはおろか、座ることさえできないほど未熟な状態で生まれるのでしょうか?


母体の中で育つ期間だって、十月十日と言われるほど長期間です。

そこまで体内で育てながら、それでも未熟な状態で生まれるのは、進化論的にはおかしなことだと思います。

もちろん、人間は親が子を守る能力に長けているので、未熟なままで生まれても育てることが可能なため、その能力が退化したとも言えるでしょう。

でも、なぜ?どうして退化させる必要性があるのでしょうか?

 

説明はいろいろできると思いますが、私は、人間は体験することが生きる目的だからだと思うのです。

 

体験するというのは、いろいろと試してみるということです。

赤ちゃんに「ストーブは熱いから触っちゃダメ!」と叱ったところで、理解できないでしょう。

「熱いって何?どういうこと?どうして熱いと触っちゃいけないの?」

熱いということはわかっても、それがどういうことなのかは体験しないとわかりません。

その体験によって熱いとは、自分にとってものすごく不快なことなのだと理解します。


大人からすると、それは無用なことだと思うかもしれません。

けれども赤ちゃんにとっては、それもまた貴重な体験です。

大人にとって失敗と思えることが、子どもにとっては重要な体験なのです。


もちろんこれは極端な例であって、だから赤ちゃんがストーブを触ろうとしても放っておきなさいと言っているわけではありませんよ。

手を近づけて熱いということを体験させてわからせることで充分です。

火傷までさせる必要はありません。


しかし、この考え方の違いをよく考えてみてほしいのです。

体験させるというのは、失敗を許容することです。

「許容」という言葉を使ったのは、一般的に失敗が許されないことと考えられているように思うからで、本当は許容ではありません。

失敗こそが体験だと言う方が、より真実に近いと思います。


私もそうでしたが、いつしか失敗を怖れるようになっていました。

失敗してはいけない。失敗することは、自分の存在そのものが否定されるのと同じこと。そう感じていたのです。

完全主義者。そう自分のことを思っていましたが、そんなカッコイイものではありません。

単に失敗を怖れる臆病者です。

だって、失敗しないためには、100%できると思うことしか挑戦しないことしかないのですから。

ですから、長年想いを寄せていた初恋の人にさえ、自分で告白できなかったのです。


今は、そういう生き方(考え方)が間違っていることがわかります。

私は間違った価値観を持ち続けていたのです。

「間違った」という意味は、私が本来ありたいと思う自分の姿に照らして、その価値観では上手くいかないという意味です。

「悪い」という意味ではありません。


いんやく・りおくんの「自分をえらんで生まれてきたよ」という本にあるように、人は、親や環境を選んで生まれてくるのだと思います。

それは、自分自身(=魂)が果たしたい課題があるからです。

その課題に挑戦するのに最適な条件を自ら設定して生まれてくるのです。

その中で、完璧な人生を過ごすように設計されているのだと思います。


「完璧」とは、体験が完璧だということであって、失敗しないという意味ではありません。

自分が生まれた環境は、自分の課題に挑戦するために完璧なのです。

生まれつき障害を負っている場合も、両親が離婚するとか、大事件に遭遇するなどの出来事も、自分の課題に挑戦するために完璧にお膳立てされたことなのです。

その中で私たちは、どう生きるかを決定することができます。その自由があるのです。

自分の意志で自由に考えることができるので、そういった出来事をどう体験するかが選べます。


そのときも、先ほどの意味で「間違った」考え方を選択するかもしれません。

でも、それが良いのだと思います。

「間違った」考え方であっても、それは自分の体験につながります。

その体験によって、私たちは自分自身を知るのです。



「間違った」と気づいたなら、正しい電車に乗り換えるだけのこと。他の考え方を選び直せば良いのです。

「間違った」考え方を選択することは、けして失敗ではありません。

単に体験を楽しんだに過ぎないのです。


 

子どもの頃、道草をせずにまっすぐに家に帰れと親からも先生からも言われました。

道草をするのは悪いことという価値観を、私は身につけたのです。

でも、今なら別の価値観を採用します。

大いに道草をしなさい。自分の興味に従って、様々なことを体験しなさい。

そして、その体験が自分らしくないと思ったら、あっさりとその考え方を捨て、他の考え方を選び直しなさい。



人生は、そういった体験の連続です。

出来事に反応して体験させられるのではなく、自らの意志で体験した方が、より楽しいと思いませんか?

私は、その方が楽しいと思います。

だからみなさんにも、その楽しい生き方をお勧めするのです。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 14:53 | Comment(0) | 私の考え | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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